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西田哲学と田辺哲学の対決 場所の論理と弁証法 Minerva21世紀ライブラリー90
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | ミネルヴァ書房 |
発売年月日 | 2012/09/11 |
JAN | 9784623064076 |
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西田哲学と田辺哲学の対決
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西田哲学と田辺哲学の対決
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西田幾多郎の後継者と目されていた田辺元は、1930年に論文「西田先生の教を仰ぐ」を発表して、厳しい西田批判を開始した。その後の西田の思想の進展は、田辺の批判に対する応答という意味を持っており、田辺もまたそれらの西田の仕事を追いかけながら、たえずみずからの思想の吟味をおこなっていっ...
西田幾多郎の後継者と目されていた田辺元は、1930年に論文「西田先生の教を仰ぐ」を発表して、厳しい西田批判を開始した。その後の西田の思想の進展は、田辺の批判に対する応答という意味を持っており、田辺もまたそれらの西田の仕事を追いかけながら、たえずみずからの思想の吟味をおこなっていった。この両者の間で交わされたやりとりは、多少の誤解やすれ違いはあったものの、哲学論争の少ないわが国にあって、もっとも意義のある論争だったと言ってよいだろう。 本書の第1部で著者は、西田と田辺の対決を詳しく検討し、その哲学的意義を掘り下げている。田辺の批判は、西田の『一般者の自覚的体系』が哲学の宗教化を帰結することと、歴史の非合理性を宗教的な境地に解消してしまうことを指摘したものである。この批判を受けて西田は、論文「場所の自己限定としての意識作用」で、「自己が自己に於て自己を見る」という「場所」の自覚構造のうちにある「根本矛盾」がひそんでいることを明らかにする。 著者によれば、カントの超越論的自我のレヴェルではいまだ「根本矛盾」は生じていない。そこからさらに行為的自己の立場へと進んだときに、「根本矛盾」が見られることになる。行為的自己によって一歩一歩実現されてゆく自己は、どれほどリアリティがあっても「映された自己」であり、本来の自己の「影」でしかない。ここに西田は「根本矛盾」を見いだした。彼はこの「根本矛盾」を、自己の有限性についての宗教的な自覚にまで深めてゆく。ここに、ヘーゲル的な「過程的弁証法」を越えてこれを包む「絶対無」の「場所的弁証法」が見られることになる。 他方田辺は、こうした西田の「絶対無」から大きな影響を受けながらも、それをみずからの概念へと作り変えた。彼は、現在の行為によって過去と未来の「相互転入」が生じるところに、「絶対媒介」としての「絶対無」の働きを見ようとしたのである。彼は、「弁証法的なるもの」は維持されたままで、それが「弁証法を超えるもの」と弁証法的に統一されると考えた。これが田辺の「絶対弁証法」の思想である。 第2部では、西田哲学とカントおよびヘーゲルとの比較が、第3部では、田辺哲学とカント、マルクス、ハイデガー、A・ベルクの風土論との比較がおこなわれている。
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