レヴィナス 壊れものとしての人間 河出ブックス現代思想の現在
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レヴィナス 壊れものとしての人間 河出ブックス現代思想の現在

村上靖彦【著】

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レヴィナス 壊れものとしての人間 河出ブックス現代思想の現在

定価 ¥1,540

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 河出書房新社
発売年月日 2012/08/16
JAN 9784309624488

レヴィナス

¥1,430

商品レビュー

3.8

7件のお客様レビュー

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2023/09/17

特異な立場から書かれたレヴィナス論。 それは医学、介護をフィールドとした現象学者という立場だ。 精神病理の視点を持って、これまでより納得できるレヴィナス論がところとごろ展開されていた。 しかし、期待が大きい分、難解な部分への失望は大きい。内田さんの論の素晴らしさを改めて噛み締める...

特異な立場から書かれたレヴィナス論。 それは医学、介護をフィールドとした現象学者という立場だ。 精神病理の視点を持って、これまでより納得できるレヴィナス論がところとごろ展開されていた。 しかし、期待が大きい分、難解な部分への失望は大きい。内田さんの論の素晴らしさを改めて噛み締める。 末尾の、レヴィナスは不条理な世界のなかで意味を確保するために四つの装置を要求した、のまとめの一段落が大事。←個人的メモ。

Posted by ブクログ

2021/07/24

人間の思考って複雑、でも共感できる感情はあって、親近感はあった。 ところどころ哲学の難しい言い回しで、理解しずらい。

Posted by ブクログ

2015/07/21

外傷や意味の再生の話が良かった!しかしレヴィナスは分離(個性化)を勧めたけど統合に関しては死にかけの女との愛を除いては極めて否定的ということのようだ。最適戦略が何かの変数によってどこかで別れるとしたらそれはなんなのか、そして双方を含んだ新しい理論はどこにあるか。 壊れた世界か...

外傷や意味の再生の話が良かった!しかしレヴィナスは分離(個性化)を勧めたけど統合に関しては死にかけの女との愛を除いては極めて否定的ということのようだ。最適戦略が何かの変数によってどこかで別れるとしたらそれはなんなのか、そして双方を含んだ新しい理論はどこにあるか。 壊れた世界から出発して壊れかけのこの世界を作ろうとする。無意味から意味に変わる可能性。世界の終わりから不安定な世界をつくる。建物や社会制度を作り直しただけでは世界の意味は回復できなかった。形を失った質量とは世界から文節を排除した姿。 死者と死にゆく人との交換が他者の限界値。 ハイデガーの無への恐怖と対立される存在してしまうことの恐怖。何ものかではないような何ものかの餌食になり引き渡される。 共にいることから逃れて行く者との関係、これがこの共にいることの逆説的定義。 時間論 停止と持続を同一視。瞬間が移ろうことなくなったとき瞬間が持続してしまう。時間は対人関係においてのみ存在。感性の自己差異化の運動は同時に時間の停止、永遠への封じ込め。 偶像崇拝の禁止は時間の不在から時間を救いだし、壊れた世界に秩序をもたらす。 師匠とは崇拝する対象でなく全力で新たな思考をぶつけて師匠に対して論争を申し込まなくてはならない。人格と思考の多様性こそ重要。 教えることは何らかの思考の伝達でない、伝達になってしまうと発話に対して思考が前もって現実存在するために否応なく予定調和になる。 教え、創造、選びは密接に関係。神は文明化する力。 デリダによる批判。暴力なき終末論的世界、メシアの時間は絶対的暴力ではないか? 外傷の哲学から狂気の哲学へ。 絶対:世界からの分離 思い出すことも忘れることもできない外傷体験との関係で主体は規定されている。 主体の個体性を抹消する暴力を全体性と呼び、そこからの離脱の可能性を探った。ところがいくら全体性から分離しても主体は再び全体性に飲み込まれる。 狂気の構造 1 苦痛を出発点として主体を作る。極度の苦痛は他者のために苦しむという形になったときに意味を生み出し、再び主体の出発点となる。 メシアニズムの方向では統合失調症で出現する迫害妄想や誇大妄想と類似するような世界の苦痛や罪悪を一身に背負いこむ。 2 ある、の無意味を意味へと反転する方向 他者との関係が不可能になったときに、これを他者との関係へと反転しようとしたときある種の精神疾患の症状と似る。 対人関係の完全な不可能性ではなく、解体を隠蔽する症状を狂気と呼ぶ。精神病は外傷体験から脱却するために必要な装置。 メシアニズムの否定 キリスト教を否定するのはユダヤ人の虐殺までもイエスの受難の名において了解されてしまうから。 救済があるとすれば永遠の生命や不幸の解決などでなく、無意味のただ中での意味の再発見のこと。私の生をないがしろにしてでも他人の生存を確保する。 絶対的未来とは生存不可能な世界にあって、なお生存を可能にするための条件、無意味の中での意味の可能性を確保する構造。意味の再生に対する期待? 意味とは生きる意味の確保と外傷や疾患、暴力といった無意味の克服が主題。 自己性を破壊する(分離)苦痛は他者から切り離されるときには外傷体験となるが、対人関係の中で生じるときには自己を個別化するために必要な極限値。このとき自己そのものの契機として極限の苦痛が要請される。 意味を発見するための装置 1 私が苦しむ極度の苦痛は他者のための苦痛に反転したとき意味の出発点になる 2 ある、あるいは他者の不在 3 生者の中に死はよぎり死者とも出会いなおすことができる。生と死を包摂する地平がある 4 不条理な無意味を今ここで一挙に反転して意味を構想する。妄想。

Posted by ブクログ