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遊戯の終わり 岩波文庫
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遊戯の終わり 岩波文庫

フリオ・コルタサル(著者), 木村榮一(訳者)

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遊戯の終わり 岩波文庫

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 岩波書店
発売年月日 2012/06/18
JAN 9784003279021

遊戯の終わり

¥605

商品レビュー

3.8

28件のお客様レビュー

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2025/06/08

20世紀アルゼンチンの作家コルタサル(1914-1984)の第二短篇集。1956年。コルタサルは、ボルヘスやガルシア=マルケスらと並んで、1960年代以降のラテンアメリカ文学ブームを担ったひとりであった。ボルヘスと同様に、コルタサルも幻想的な短篇作品で知られるが、本書に収められた...

20世紀アルゼンチンの作家コルタサル(1914-1984)の第二短篇集。1956年。コルタサルは、ボルヘスやガルシア=マルケスらと並んで、1960年代以降のラテンアメリカ文学ブームを担ったひとりであった。ボルヘスと同様に、コルタサルも幻想的な短篇作品で知られるが、本書に収められた作品には、ボルヘスに特徴的な「高度の感覚」、自己が空間の高みに発散してついに消失してしまうような感覚はなく、むしろ土の臭い、血の臭い、人間の体臭が感じられる。 □ 「幻想文学とは、絵画でも音楽でも映像でも建築でもなく、ただ言語によってのみ構築可能な世界の表現である」というような定義をどこかで読んだ記憶がある。言語は、秩序を打ち建てる。そして秩序とは、区別と序列と順序のことだ。しかし同時に、秩序をぼかし、偽り、すり替え、撹乱し、反転させてしまえるのも、また言語の為せる業である。言語は、階層構造を構築すると同時に、階層化されたものを全て同一平面上に引き摺り下ろして並置させてしまうことで当の階層構造を破壊してしまう。数学、論理学、プログラムが言語の形式体系であると同時に、幻想文学もまた言語の産物であるといえる。「続いている公園」は、まさに言語によってのみ構築可能な「幻想」であり、本書の白眉だろう。 「メビウスの輪というのがある。細長い一枚の紙を一ひねりして、その両端を糊でくっつける。そして紙の上を鉛筆でなぞってゆくと、紙の表と裏がひとつにつながっているのである。コルタサルの世界がまさにそれで、読者が紙の上に印刷された幻想的な物語を読みながら、心の底でここに書かれていることは自分とはかかわりのない世界の出来事だと思い込んでいると、いつの間にか自身の足元から現実世界が崩れはじめるのである。」(p254木村榮一「訳者解説」) 幻想譚以外に、子どもを主題とした作品がいくつかある。少年少女たちは、思春期になると、自分以外の他者の存在やそうした他者からの眼差しを意識し始めるようになり、自己が他者との関係のうちに位置づけられる相対的な存在であることを知るようになる。他者の存在を通して、自己は万能でもなければ世界の中心でもないことを、反発しつつも、しかし否応なく思い知らされ、そうやって行きつ戻りつしながら、徐々に自己、他者、世界の関係を整序して、相対化された自己を受け容れていくようになる。こうして、「子どもの世界」は崩壊していく。「遊戯の終わり」や「殺虫剤」は、そうした成熟への過程の或る瞬間を見事に切り取った佳品であると思う。 「そのあと、オランダとわたしはいつものように柳の木のところに行ったが、どうなるか大方の察しはついていた。列車が通ったので、三番目の窓を見たが誰もいなかった。思ったとおりだった。ほっとしたような、そのくせ腹立たしいような気持ちでわたしたちは顔を見合わせて、笑った。」(p245「遊戯の終わり」) 「誰も悪くはない」は奇妙な滑稽譚で、ミクロを偏執的に記述するさまはニコルソン・ベイカー『中二階』を思わせる。こういうナンセンスな話も面白い。「バッカスの巫女たち」は、美的なものや神的なものに対する集団的な熱狂の不気味さを風刺的に描いており、強く印象に残る。現代では、美的なものや神的なものがイデオロギーに取って代わり、陶酔、忘我、合一が政治化していくという事態が、ありふれたものとなっている。「キクラデス諸島の偶像」「黄色の花」「水底譚」「山椒魚」「夜、あおむけにされて」など、現実/夢、正気/狂気、生/死、自/他の境界が曖昧になり、後者が前者へ侵犯してきて、時間感覚や因果関係を混乱させる物語も多いが、今回はそこまで惹き込まれることはなかった。

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2025/04/04

幻想と言うよりは怪奇に近い作品が多く、現実からいつの間にか異界へと誘われていたという感覚が大変面白くて魅力的。ひとつの題材から立ち上る話がその要因が語られないことからさらに想像は膨らみ果てなく悪夢は続く…これは最高な短篇集。 それぞれ掌握な短篇の中に、これほど場面から世界観がくる...

幻想と言うよりは怪奇に近い作品が多く、現実からいつの間にか異界へと誘われていたという感覚が大変面白くて魅力的。ひとつの題材から立ち上る話がその要因が語られないことからさらに想像は膨らみ果てなく悪夢は続く…これは最高な短篇集。 それぞれ掌握な短篇の中に、これほど場面から世界観がくるりと変わる巧みさ不条理さに魅了され、その翻弄され具合に心惹かれます。 「続いている公園」「誰も悪くはない」「殺虫剤」「夕食会」「昼食のあと」「夜、あおむけにされて」「遊戯の終わり」などお気に入り。(2024年1月28日読了)

Posted by ブクログ

2024/08/05

初めて手に取るコルタサル作品。 短編集なのでひとつひとつの話は長くないですが、話の中で現実と虚構が入り混じるというか、境目が曖昧になる部分も結構あり、集中力が切れると「今わたしは何を読んでるんだ?」と混乱しそうになります。 そこが魅力でもあり楽しいところなんですが。

Posted by ブクログ