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青春の終焉 講談社学術文庫
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 講談社 |
| 発売年月日 | 2012/04/12 |
| JAN | 9784062921046 |
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青春の終焉
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青春の終焉
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商品レビュー
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三浦雅士は「博覧強記」の人だ。 この作品は彼の知性と膨大な読書そして鋭い感性の結晶であり、長期にわたり『群像』に連載した評論をまとめたものである。 小林秀雄の「青春」性に着目して日本文学の近代化過程を振り返る。彼の中原中也との三角関係や大岡昇平と江藤淳の小林評価から始め、19世...
三浦雅士は「博覧強記」の人だ。 この作品は彼の知性と膨大な読書そして鋭い感性の結晶であり、長期にわたり『群像』に連載した評論をまとめたものである。 小林秀雄の「青春」性に着目して日本文学の近代化過程を振り返る。彼の中原中也との三角関係や大岡昇平と江藤淳の小林評価から始め、19世紀からヨーロッパ文学に登場した青春の思潮を日本の作家に照らして分析し洞察する。 滝沢馬琴の『八犬伝』から紐解き、明治の坪内逍遙や二葉亭四迷・田山花袋・北村透谷、柳田國男や夏目漱石・森鴎外、正岡子規や萩原朔太郎、そして大正・昭和に至り芥川龍之介や太宰治・三島由紀夫・大江健三郎、吉本隆明‥‥、徳富蘇峰や中村光夫など評論家の主張も取り上げて論考を進める。 視野を古今東西の政治や思想にも広げ、議論はドフトエフスキーやマルクス、スターリン主義、ルカーチなどに及ぶ。大学では安保闘争や全共闘運動など「青年の熱狂」の爆発と挫折で青春の時期が終わり、同時に小林秀雄は還暦を越え日本文学の「青春の終焉」と結論する。 「文学評論家=舞踊評論家の語り口は、劇作家=評論家の端正な論じ方と違って、奔放を極め、約束事を無視し、まことに無遠慮である。もちろん個性の表現ではあろうけど、一目置いている先輩と張り合うための工夫という要素もかなりあったに相違ない。そしてこんなふうな趣向の妙がこの長編評論をいちいちおもしろいものにしている。文芸評論とは論理とレトリックによる芸事で、冗談も詭弁も皮肉もゴシップもペダントリーも、ひがみもとぼけもお世辞も厭がらせも、いや、ああ言えばかう言う売り言葉に買い言葉やへらず口さえ芸のうちなのだから、読者はこの早口な饒舌息もつがせぬ話題の転換には眉をひそめてはならない。せいぜい楽しまなくちゃ損である。」 丸谷才一が解説で書いているが大いに納得できる。 大胆な論理展開でテンポよくキレのある文章は快感で、これ程多くの作家や作品・思想を網羅して手際よく論評する知力にも脱帽である。 一部に感じる牽強付会な強引さや横道脱線も辞さない論調も彼の個性であり愛嬌に映る。 従来多くの作家が書いている文学史とはまったく異なる編集者三浦雅士の思考空間を垣間見る独特の近代日本文学史であり、濫読を整理する心地良さを堪能できた。
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一応、近代の批評、小説が青春という座標系においてどれだけ語られてきたかということが主軸にあるが太宰が口頭伝承的で落語に期限があるとか、並置してドストエフスキーも口頭筆記が多かったとかの話がでてきて、そのほか様々なことについて語られしかも掘り下げ方が半端ないのでついていくのに結構...
一応、近代の批評、小説が青春という座標系においてどれだけ語られてきたかということが主軸にあるが太宰が口頭伝承的で落語に期限があるとか、並置してドストエフスキーも口頭筆記が多かったとかの話がでてきて、そのほか様々なことについて語られしかも掘り下げ方が半端ないのでついていくのに結構大変だった。 一番おもしろかったのは村上龍、春樹、中上健次を大江の万延元年のフットボールの作内の対立構造において語るところで、「失うものは何もない」という急進性において、主人公の蜜三郎と弟の鷹四は対置されるのだが春樹においては鷹四(急新性)は最初から解雇されるか、すでに失われており、「失うものは何もない」という意識そのものが失われているというところだった。村上龍においては世界は破壊され失われるものの集積で、しかし春樹においては逆に世界はすでに終わっているという地平から始まっている。この対立は鮮明だろう。しかしその地平において語られる「失うべきものはなにもない」という言葉はもはや何かのはじまりの決意を告げるものではなくただ、終わりの悲哀を告げるものでしかない。この「失うものは何もない」という言葉がもはや何の意味も持たない世界が、著者のいう青春の終焉である。 しかし一時期いれあげてた身からすれば春樹は世界の終わり、青春の終焉から、ただの悲哀的嘆きばかりでなく何か新しい構造や価値観を作ろうと腐心した、またはしているように思う。これは村上龍が、鷹四に対応する、行動のための行動から転じた、破壊のための破壊のほうにいったのとはやはり対照的で、今の評価の開きはここらへんにあるのではと思う。
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141018 中央図書館 大正期以降の日本文学評論の系譜を、小林秀雄を中心として濃厚な主観で記したもの。日本にとって成長や教養という意味が重要であった「青春」が、1970年前後には失われていったというのが主題。
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