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西洋中世の罪と罰 亡霊の社会史 講談社学術文庫2103
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西洋中世の罪と罰 亡霊の社会史 講談社学術文庫2103

阿部謹也【著】

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西洋中世の罪と罰 亡霊の社会史 講談社学術文庫2103

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 講談社
発売年月日 2012/03/14
JAN 9784062921039

西洋中世の罪と罰

¥825

商品レビュー

3.5

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2020/08/12

ゲルマン社会における活力のある亡者が、いかに哀れな亡者に変わっていったか。 学術文庫なので内容はやや難解ですが、簡潔な文章と整然とした論理、多数の具体的なエピソードにより、比較的分かりやすいと思いました。 エッダ、サガに出てくる死者は、死してなお領地を得ようとしたりと生者を脅かし...

ゲルマン社会における活力のある亡者が、いかに哀れな亡者に変わっていったか。 学術文庫なので内容はやや難解ですが、簡潔な文章と整然とした論理、多数の具体的なエピソードにより、比較的分かりやすいと思いました。 エッダ、サガに出てくる死者は、死してなお領地を得ようとしたりと生者を脅かします。たくましくて読んでいて怖かったです。 支配者はキリスト教による国家安定を図ったが、民衆はまだゲルマン古来の信仰も持っていた。 本書では、司祭のハンドブックとして中世に普及した「贖罪規定書」の内容を事細かに紹介してくれています。贖罪規定書では、異教の信仰は禁止事項として挙がっています。禁止事項を見ると、ゲルマン古来の信仰や習慣が見え、面白かったです。 贖罪規定書に規定される内容は、魔女裁判の際に魔女として特定される理由と通ずるものがあり、興味深いです。

Posted by ブクログ

2017/05/06

西洋中世の罪と罰 キリスト教以前の亡霊とキリスト教以後の亡霊のありかたについて書かれている。前半は筆者の専門分野でもあるアイスランドサガに見られる亡霊観からキリスト教以前の世界を読み解く。サガでは死者は生者と戦争したりするなど、死者はとても生き生きとしていることがアイスランドサ...

西洋中世の罪と罰 キリスト教以前の亡霊とキリスト教以後の亡霊のありかたについて書かれている。前半は筆者の専門分野でもあるアイスランドサガに見られる亡霊観からキリスト教以前の世界を読み解く。サガでは死者は生者と戦争したりするなど、死者はとても生き生きとしていることがアイスランドサガの様々な物語から説明される。当時の人々にとって死後の世界について考えることがあまりなく、生を全うすることが主題であったようだ。だからこそ、生前に共同体に認められなかったものの恨みは大きく、彼らが死後に生者を襲うようになる。このような死者観は、キリスト教導入後に、生者に救いを求める哀れなものに変わる。キリスト教徒は、自らの布教活動の為に、民衆に死のイメージをすり込んだ。中世民衆説話である「黄金物語」などでは、既に民衆教化の影響もあり、死者のイメージは死後の世界で苦しみ、生者に救いを求めるものに変わっている。キリスト教の布教におけるもっとも大きなインパクトをもたらしたのはカール大帝の王国である。カール大帝はゲルマンのキリスト教化において、教区制というハード的なシステム設計とカロリング・ルネサンスと呼ばれる文化興隆-ソフト面の教化―を成し遂げたのであった。歴史家のウルマンはカロリング・ルネサンスについて、単なる文化興隆ではなく政治的な解釈をしている。カール大帝は従来の慣習に生きる人々を、文化を介在し教義(規範)を浸透させることで、慣習や歴史、伝統とは全く特徴を共有しない神の教えに服する社会への変革を目指したのであった。それがカロリング・ルネサンスのからくりであるという。このようなカロリング・ルネサンスの政治的解釈については筆者も一部を除いて同意している。さて、前置きが長くなったが、キリスト教化後の人々の生き方を決定的に規定したのは『贖罪規定書』である。カール大帝の社会変革は、教区の司祭によって実行に移され、その際司祭は、罪という強力な武器を用いて天国と地獄、そして煉獄の概念を人々に植え付け、日常生活のキリスト教的再編を行ったのであった。『贖罪規定書』はいわばそのハンドブックであり、告解を通じて人々はキリスト教的罪の概念を媒介に、個人について自覚するようになる。ここに、従来の血縁・氏族的共同体(ゲマインシャフト的)からの個人の解放が起こり、新たな社会的結合体(ゲゼルシャフト的)の成員として生まれ変わるプロセスがある。観念的なレベルで「個人」という概念を誕生させた『贖罪規定書』が歴史的に大きな意味を持つことは言うまでもない。以上、本の要約であるが、少し自己の解釈を述べる。『贖罪規定書』と告解の項を読んでいるとき、これが社会の成員になるための通過儀礼的な意味合いを持っていることを感じ、同時に今自分が直面している就職活動との関連性について考えた。ここでは、『贖罪規定書』の宗教的な意味合いというよりも、個人への影響に限定して書く。就職活動を社会人への通過儀礼と位置づけた時、そこに多くの類似性を見出せる。就活生は自己分析という名のもとにそれまでの20年余りの人生を振り返り、それを面接という場で告白し、自己をアウトプットすることを通じて自己認識を高めていく。自己アピールは「チームで成し遂げた経験」など社会の成員として一定の評価に値するものが述べられ、自己分析と面接も、そのような経験にフォーカスされる。このような構造は、『贖罪規定書』が社会成員としてのネガティブリストであるのに対し、面接の自己アピールの評価がポジティブリスト的であることを除いては贖罪規定書の構造ととても似ているように思える。『贖罪規定書』が当時の民衆にとって血縁的結合体に埋没した自己の再認識作業の指南書であったならば、就活における社会人として評価される学生時代の経験を数え上げるプロセスというものもまた、学生として埋没していた自己の再認識作業であることに他ならないのではないか。自分自身、就活や自己分析を曲がりなりにもやってみて、自己というものを再認識する良い機会であったことは認めざるを得ぬ事実であり、新卒一括採用・就活というシステムに問題があるかは別にして、自己にとって意味のある期間であったと思う(まだ就活終わってないけど)。時代は違うが、告解を通じて社会の物差しで自己を図りなおす作業は、中世の人々のその後の人生をより豊かにしたのではないかと私は思う。以上。

Posted by ブクログ

2012/05/02

キリスト教が浸透する以前のヨーロッパ社会の亡霊とキリスト教が普及したヨーロッパ社会の亡霊を比較すると、前者の乱暴で粗野な亡霊と地獄を前におののく哀れな亡霊との際立った違いがある。その違いが、1215年以降、キリスト教徒年1回が必ず行うことになった告解の浸透が背景にあるとしている。...

キリスト教が浸透する以前のヨーロッパ社会の亡霊とキリスト教が普及したヨーロッパ社会の亡霊を比較すると、前者の乱暴で粗野な亡霊と地獄を前におののく哀れな亡霊との際立った違いがある。その違いが、1215年以降、キリスト教徒年1回が必ず行うことになった告解の浸透が背景にあるとしている。個人が司祭の前で罪を告白し、司祭から贖罪を命じられる告解は、それ以前の共同体的な古代異教の世界にいた人々には大きなインパクトを与えたことは容易に想像できる。キリスト教会が戦った古代ヨーロッパの迷信的世界は、告解の手引きである「贖罪規定書」に記述されている数々の迷信、悪魔、魔女からうかがえる。共同体のキリスト教以前の亡霊をエッダ、サガから、以降の亡霊を民間伝承から描いており、具体的イメージでき、良く理解できた。また、悪魔、魔女がキリスト教に追いつめられた異教の神、巫女であるのが良くわかる。死者のイメージの変化から、ヨーロッパの異教的な世界からキリスト教による罪の意識を持った均質な世界への転換を読み取る視点は、興味深い。

Posted by ブクログ