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チャイコフスキーがなぜか好き 熱狂とノスタルジーのロシア音楽 PHP新書
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | PHP研究所 |
発売年月日 | 2012/02/16 |
JAN | 9784569803333 |
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チャイコフスキーがなぜか好き
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チャイコフスキーがなぜか好き
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ロシアの作曲家を概観。 グリンカは、ロシア音楽の西欧化の役割を果たした。ロシアの内容を西洋の形式によって、ロシア文化と西欧文化を融合した。バラキレフが音頭を取り、1860年代に登場した五人組は、より民族的な色彩の強い音楽創造をめざした。五人組は、国家のアイデンティティを強調する...
ロシアの作曲家を概観。 グリンカは、ロシア音楽の西欧化の役割を果たした。ロシアの内容を西洋の形式によって、ロシア文化と西欧文化を融合した。バラキレフが音頭を取り、1860年代に登場した五人組は、より民族的な色彩の強い音楽創造をめざした。五人組は、国家のアイデンティティを強調するため、ロシア中世の歴史と、ロシアの文化が本質的に帯びている東方的な性格に注目した。彼らが共同戦線を張ることができた背景には、同時代の革命運動であるナロードニキ運動に共感を寄せていたことがある。その運動が1870年代に入ると、急激にラディカル化して、五人組は独自の道を歩み始めた。 ボロディンはグルジア皇太子の非嫡出子として生まれた。作曲の世界に足を踏み入れたのは、30代半ばのこと。日曜作曲家を自称して、専門の化学に従事する傍らに作曲に励んだ。職務で多忙をきわめたため、「イーゴリ公」は完成に至らなかった。ポロヴェッツ人の踊りは補筆され、リムスキー=コルサコフが編曲。第三幕全体は、グラズノーフが再構成した。
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「好き」なものの背景を知ることができたのが良かった。音楽に限らず美術でも文学でも創り出されるには歴史や政治情勢や文化、信仰などの背景があり、私はそういった背景から生まれる曲想に惹かれているのかも。 また、自分の馴染みのない新しい音楽に触れられたのも良かった。現代ロシア音楽は、あま...
「好き」なものの背景を知ることができたのが良かった。音楽に限らず美術でも文学でも創り出されるには歴史や政治情勢や文化、信仰などの背景があり、私はそういった背景から生まれる曲想に惹かれているのかも。 また、自分の馴染みのない新しい音楽に触れられたのも良かった。現代ロシア音楽は、あまり馴染みがなく、今回本を読んだことで聴く機会につながった。ただ、聴いてみても良さがよくわからなかったりもした。 美術でも、古典作品に比べると現代美術作品は良さがよくわからなかったりするので、馴染みがないことにより、受け入れキャパシティが狭いのかもしれない。
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数年前、急遽、チャイコフスキイの弦楽セレナードで舞台に乗ることになった。1カ月で合奏から脱落しない程度に難しい譜面をさらわなければならず、文字通り気が狂ったように練習した。自分のパートをさらうのはきつかったが、合奏練習に行くとそれは喜びに変わった。冒頭のノスタルジーをかきたてら...
数年前、急遽、チャイコフスキイの弦楽セレナードで舞台に乗ることになった。1カ月で合奏から脱落しない程度に難しい譜面をさらわなければならず、文字通り気が狂ったように練習した。自分のパートをさらうのはきつかったが、合奏練習に行くとそれは喜びに変わった。冒頭のノスタルジーをかきたてられる旋律、見たこともないのに「ロシアの大地」などという言葉が頭に浮かぶ。他方、第1楽章主部のテーマの何たる典雅。あるいは通俗に堕ちそうで堕ちないワルツ。エレジーのセンティメント。そして快活でも優雅なフィナーレの最後に戻ってくる冒頭の旋律の感動。チャイコフスキイとの蜜月を過ごしたのである。 でもチャイコフスキイはなぜか好きではない。では嫌いかというとそういうわけでもない。交響曲も弾いたことがあるが、弾いて楽しく、聴いてすばらしい作曲家だと思う。でも、これから死ぬまで全くチャイコフスキイを聴かなくとも平気。 だから『チャイコフスキーがなぜか好き』と言われたって別に読む気はしないのだが、著者が亀山郁夫なら、手に取ってみるし、20世紀までのロシア音楽全般に言及されているのなら、「ロシア音楽はなぜか好き」だから、読んでみる。 最初のほうで、われわれがロシア音楽に漠然と感ずる何かを、しっかりと言語にしてしまうあたり、さすが亀山郁夫。それは副題にある通り、熱狂とノスタルジーである。そして時として風刺やアイロニーが含まれる。チャイコフスキイはアイロニーを欠くが、ムソルグスキイにはそれがある。そのことを20世紀に継承したのが、プロコフィエフとショスタコーヴィチである。だから評者はショスタコーヴィチに愛するが、プロコフィエフは美しいと思いつつ、距離を感ずるのかと納得する。そしてチャイコフスキイもしかり。 著者が音楽評論家の友人にチャイコフスキイの音楽がなぜ胸に届かないかと聞いた、その返事というのも面白い。作曲家なんてみんなナルシシストだけど、音楽への愛が自己愛を上回る瞬間が必ずある、しかしチャイコは音楽よりも自分のほうが大好きだったんだろう、というのである。 さらにもうひとつの大局観は、正統ロシア的で異教的なモスクワと、西欧的であるがゆえに異端のザンクト・ペテルブルクの対比である。そうしたいくつかの軸を示しながら列挙されるロシアの作曲家たちの解説はとても見通しがいい。チャイコフスキイまでの音楽は「熱狂とノスタルジーのロシア音楽」と題された章で語られ、スクリャービンからショスタコーヴィチまで、すなわち革命とテロルの時期は「暴力とノスタルジーのロシア音楽」と題されている。 「雪解け」以降のロシア音楽の章では、デニーソフ、グバイドゥーリナ、シュニトケ、ペルト、カンチェリ、シリヴェストロフ、ティシチェンコが取り上げられているが、熱狂—ノスタルジー、有機的—無機的、キリスト教的—異教的、キャベツタイプ—たまねぎタイプなどといったいくつかの二稿対立でその特徴が分類されているところが面白いし、なるほどと思う。 この章を読みながら、無性に聴きたくなって、最近ご無沙汰のシュニトケやシリヴェストロフなどのCDをとりだしてきたのだが、しかし、それでもチャイコフスキイを無性に聴きたくはならず、ただ、弦楽セレナードだけ聴き直してみた。美しい。
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