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神も仏も大好きな日本人 ちくま新書
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 筑摩書房 |
発売年月日 | 2011/12/07 |
JAN | 9784480066404 |
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神も仏も大好きな日本人
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神も仏も大好きな日本人
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商品レビュー
3.7
13件のお客様レビュー
前に読んだ「浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか」の著者さんの本で、こちらでは日本史における仏教と神道のあざなえる縄のごとき歴史と、ひいては現代日本人がなぜ誕生や成長や結婚では神前に参り、葬式や盆では仏前に手を合わせるのか、その謎に迫っていく。 神道にとっては「救済」を始めとす...
前に読んだ「浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか」の著者さんの本で、こちらでは日本史における仏教と神道のあざなえる縄のごとき歴史と、ひいては現代日本人がなぜ誕生や成長や結婚では神前に参り、葬式や盆では仏前に手を合わせるのか、その謎に迫っていく。 神道にとっては「救済」を始めとする信仰のコアが欲しかったし、仏教にとっては神道の空間が持つ「聖性」を必要とした、という入り繰りの関係は大変面白いし、神仏習合や本地垂迹といった神と仏の統合のプロセスと、明治期に至って神仏分離や廃仏毀釈といった分離のプロセスのダイナミズムは、読んでいてエキサイティングですらあった。 さまざまな社会のダイナミズムを経て、結果的には今、神社と寺は分離された状態にあるが(比較的容易に分離できたのは、両者は本質的には融合していなかったからだと著者はいう)、普通の日本人が両者をともに違和感なく必要としているありさまは、日本人が遺伝子レベルで持っている「(一つではなく)ヤオヨロズの神々のメンタリティー」という理解で良いような気はする。
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※このレビューにはネタバレを含みます
[ 内容 ] 阿修羅像は、なぜ博物館にあったのか? 伊勢神宮に、仏教の儀式を行う場所があった? 天皇家は、代々仏教を信じていた? …近代以前には、日本人の生活に溶け込み、密接に結びついていた神道と仏教は、「神仏分離」により無理やり引きはがされてしまった。 このことは、どんなダメージをもたらし、日本人の信仰にどんな影響を与えたのか。 仏教や曼荼羅、神社、寺の姿を丹念に見ることで、その実態を解き明かしていく。 [ 目次 ] 第1章 阿修羅像が愛される理由(阿修羅像の悲劇;興福寺を廃寺に追い込んだ出来事) 第2章 神社こそが浄土なのだ(神と仏とが溶け合う世界;かくして地上に浄土があらわれた) 第3章 密教の示した圧倒的な魅力(なぜ仏像は名前を変えるのか;席捲する密教の信仰;国家も宇宙も支配する密教の力) 第4章 伊勢神宮の正体を見きわめる(山を御神体とする神社;伊勢神宮は古代そのままか) 第5章 近代が創造した伝統宗教(伝統の危うさ;宗教への愛はますます深まっていく) [ 問題提起 ] [ 結論 ] [ コメント ] [ 読了した日 ]
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この本の内容を3行でまとめると、 *そもそも日本には1000年以上の間、神道も仏教も溶け合うように一体化した「神仏習合」の信仰世界がありました *明治新政府が天皇を中心とした新体制確立のために行った「神仏分離」により、神道の世界から仏教的要素は払拭され(ることを目指し)、古代...
この本の内容を3行でまとめると、 *そもそも日本には1000年以上の間、神道も仏教も溶け合うように一体化した「神仏習合」の信仰世界がありました *明治新政府が天皇を中心とした新体制確立のために行った「神仏分離」により、神道の世界から仏教的要素は払拭され(ることを目指し)、古代から変わらず守られてきた日本土着の信仰であるところの神道、という「伝統が作られ」ました *日本人が自分は無宗教だと答えるからくりは、初詣も行くし葬式は寺でやるし、という習慣を「宗教的無節操」と認識し、厳然と分けられた宗教としての「神道」「仏教」のどちらも選べないから、であり、私はむしろ、日本人は宗教というものと長く密接に関わりながらも、のめり込みすぎない節度ある距離を保ちながら生きてきたのだと考えます という感じです(1行が長い)。 それらを説明するための例も興味深く、最近でた別の著書(「八幡神社はなぜいちばん多いのか」だったかな)よりも、深く楽しめました。 その他、印象に残ったことメモ。 *神仏習合を理論的に支えたのは密教 *密教の影響のない神社はない(とまでは言わないにしても、とても多い) 。伊勢神宮だって例外ではない(今は払拭されているけど古い絵など見ると明らか)。 *仏像の名前って実はころころ変わってたりする(弥勒菩薩として作られたけど観音菩薩ってことになってる時代があるとか)。素敵にいい加減! *神道には救済論がない。寺には神秘性がない(寺は僧侶が生活する場所なので、結局は人間のための場所。神社は祈祷のため、神のための場所。)ということで両者補い合う。
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