神も仏も大好きな日本人 の商品レビュー
前に読んだ「浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか」の著者さんの本で、こちらでは日本史における仏教と神道のあざなえる縄のごとき歴史と、ひいては現代日本人がなぜ誕生や成長や結婚では神前に参り、葬式や盆では仏前に手を合わせるのか、その謎に迫っていく。 神道にとっては「救済」を始めとす...
前に読んだ「浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか」の著者さんの本で、こちらでは日本史における仏教と神道のあざなえる縄のごとき歴史と、ひいては現代日本人がなぜ誕生や成長や結婚では神前に参り、葬式や盆では仏前に手を合わせるのか、その謎に迫っていく。 神道にとっては「救済」を始めとする信仰のコアが欲しかったし、仏教にとっては神道の空間が持つ「聖性」を必要とした、という入り繰りの関係は大変面白いし、神仏習合や本地垂迹といった神と仏の統合のプロセスと、明治期に至って神仏分離や廃仏毀釈といった分離のプロセスのダイナミズムは、読んでいてエキサイティングですらあった。 さまざまな社会のダイナミズムを経て、結果的には今、神社と寺は分離された状態にあるが(比較的容易に分離できたのは、両者は本質的には融合していなかったからだと著者はいう)、普通の日本人が両者をともに違和感なく必要としているありさまは、日本人が遺伝子レベルで持っている「(一つではなく)ヤオヨロズの神々のメンタリティー」という理解で良いような気はする。
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[ 内容 ] 阿修羅像は、なぜ博物館にあったのか? 伊勢神宮に、仏教の儀式を行う場所があった? 天皇家は、代々仏教を信じていた? …近代以前には、日本人の生活に溶け込み、密接に結びついていた神道と仏教は、「神仏分離」により無理やり引きはがされてしまった。 このことは、どんなダメージをもたらし、日本人の信仰にどんな影響を与えたのか。 仏教や曼荼羅、神社、寺の姿を丹念に見ることで、その実態を解き明かしていく。 [ 目次 ] 第1章 阿修羅像が愛される理由(阿修羅像の悲劇;興福寺を廃寺に追い込んだ出来事) 第2章 神社こそが浄土なのだ(神と仏とが溶け合う世界;かくして地上に浄土があらわれた) 第3章 密教の示した圧倒的な魅力(なぜ仏像は名前を変えるのか;席捲する密教の信仰;国家も宇宙も支配する密教の力) 第4章 伊勢神宮の正体を見きわめる(山を御神体とする神社;伊勢神宮は古代そのままか) 第5章 近代が創造した伝統宗教(伝統の危うさ;宗教への愛はますます深まっていく) [ 問題提起 ] [ 結論 ] [ コメント ] [ 読了した日 ]
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この本の内容を3行でまとめると、 *そもそも日本には1000年以上の間、神道も仏教も溶け合うように一体化した「神仏習合」の信仰世界がありました *明治新政府が天皇を中心とした新体制確立のために行った「神仏分離」により、神道の世界から仏教的要素は払拭され(ることを目指し)、古代...
この本の内容を3行でまとめると、 *そもそも日本には1000年以上の間、神道も仏教も溶け合うように一体化した「神仏習合」の信仰世界がありました *明治新政府が天皇を中心とした新体制確立のために行った「神仏分離」により、神道の世界から仏教的要素は払拭され(ることを目指し)、古代から変わらず守られてきた日本土着の信仰であるところの神道、という「伝統が作られ」ました *日本人が自分は無宗教だと答えるからくりは、初詣も行くし葬式は寺でやるし、という習慣を「宗教的無節操」と認識し、厳然と分けられた宗教としての「神道」「仏教」のどちらも選べないから、であり、私はむしろ、日本人は宗教というものと長く密接に関わりながらも、のめり込みすぎない節度ある距離を保ちながら生きてきたのだと考えます という感じです(1行が長い)。 それらを説明するための例も興味深く、最近でた別の著書(「八幡神社はなぜいちばん多いのか」だったかな)よりも、深く楽しめました。 その他、印象に残ったことメモ。 *神仏習合を理論的に支えたのは密教 *密教の影響のない神社はない(とまでは言わないにしても、とても多い) 。伊勢神宮だって例外ではない(今は払拭されているけど古い絵など見ると明らか)。 *仏像の名前って実はころころ変わってたりする(弥勒菩薩として作られたけど観音菩薩ってことになってる時代があるとか)。素敵にいい加減! *神道には救済論がない。寺には神秘性がない(寺は僧侶が生活する場所なので、結局は人間のための場所。神社は祈祷のため、神のための場所。)ということで両者補い合う。
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明治維新って一体なんだったのだろうか?と思わずにはいられない。 日本近代仏教の不幸な側面が突きつけられる。 「神様仏様」と思わずつぶやく感覚だけは日本人からなくならないことを祈ります。 仏教神道を見つめ直すための一冊。
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神仏混淆(習合)についてはそれなりの知識を持っているつもりでしたが、それでも知らないことがわんさか出てきました(苦笑) 特に最終章(第5章)「近代が創造した伝統宗教」は目からうろこが落ちました。 いずれにせよ、日本の長きにわたる宗教伝統は神仏混淆であって、神仏分離は明治以降のわ...
神仏混淆(習合)についてはそれなりの知識を持っているつもりでしたが、それでも知らないことがわんさか出てきました(苦笑) 特に最終章(第5章)「近代が創造した伝統宗教」は目からうろこが落ちました。 いずれにせよ、日本の長きにわたる宗教伝統は神仏混淆であって、神仏分離は明治以降のわずか百数十年の歴史しかないことをわからせてくれる本です。
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日本人はよく無宗教だといわれる。でも、お正月は初詣に行くし、結婚式は神前で挙げたり、お葬式には必ずお坊さんを呼ぶ。生活の中に神道や仏教の教えやしきたりが根付いているのだ。なのになぜ無宗教が多いのか、これを本著は無宗教ではなく、宗教という考え方(区切り方)が日本の宗教の考え方にそぐ...
日本人はよく無宗教だといわれる。でも、お正月は初詣に行くし、結婚式は神前で挙げたり、お葬式には必ずお坊さんを呼ぶ。生活の中に神道や仏教の教えやしきたりが根付いているのだ。なのになぜ無宗教が多いのか、これを本著は無宗教ではなく、宗教という考え方(区切り方)が日本の宗教の考え方にそぐわないのだと展開する。 日本は近代になるまで神仏習合というスタイルを取ってきた。これはそもそも外来宗教である仏教と神道の教えが相互に絡み合い、悪く言えば互いの宗教がもつ欠点を補う形で発展したのだ。例えば、神道にはそもそも救済という考え方がないが、これに仏教の救済心が加わり、神社の中でも神に願えば救われるという精神が根付いた。また密教の多数の神々が日本の八百万の神という考えと融合し、神社でも曼荼羅や護摩を行うところもある。日本の宗教は、こうした日本文化と深く根付いているという考えが面白い。こうして日本の宗教観や歴史を振り返ると、そこには古くから持つ日本人の価値観に出会えることだと思う。
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タイトルからは、ざっくりとした日本人の宗教観に関するよもやまエッセイ的なものを想像してしまうが、実は神仏習合/神仏分離/廃仏毀釈に的を絞った好著。勉強になりました。
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タイトルは非常にポップだが、内容は日本人と仏教・神道の関わりについて、丁寧に分析・考察された一冊。 内容は、神道と仏教の融合・分離の歴史を辿りながら、日本人の宗教観を論じている。 歴史を辿るの中でとりわけ印象的なのは、歴史上における「密教」の持つ意義の大きさである。「密教」は圧倒的な魅力をもって日本宗教史を彩っている。そのことを再認識した。 また「阿修羅像が愛される理由」「伊勢神宮の正体をみきわめる」といった具体例を示した箇所を通して、神と仏の関係を解き明かしている。 さらに「近代が創造した伝統仏教」として、今日の日本人の宗教観は近代に創られたものとしている。たとえば、『寺院は合掌、神社は2礼2拍手1礼』…などという行為も、近代に生み出された。別に大昔から行われているわけではない。 総じて、本書は「神道と仏教との関係性」(=すなわち、融合や習合、対立や断絶の歴史)をたどることで、日本人は「無宗教」ではない。むしろ神道にも仏教にも関心がある。どちらかを選べないから「無宗教」と答える。とまとめている。 まあ、これだけ初詣やら、パワースポットやら、仏像巡りやら、墓参りやら、そういうことが好きな日本人は、「無宗教」ではないとは想う。その結論の賛否は別としても、宗教や神道・仏教の歴史ついて非常に整理されている本である。
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日本の宗教の歴史、仏教や神道がたどってきた道などが学べる。 仏教にしろ神道にしろ密教の影響を強く受けていたこと、近年まで奈良の寺院はひどく荒廃していたことなど興味をそそる内容が多く、とてもおもしろかった。
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初詣、といって、うっかりお寺に行ってしまった。周りをみれば、浅草寺や増上寺など、お寺に初詣にいくひとも多かった。初詣にお寺でおみくじってどうなんだ?と疑問に思って読んでみた本。 可哀想な阿修羅像さんの話から始めて、なぜ日本人は自らの宗教に自信がないのか?という謎に迫る。 ミステリ...
初詣、といって、うっかりお寺に行ってしまった。周りをみれば、浅草寺や増上寺など、お寺に初詣にいくひとも多かった。初詣にお寺でおみくじってどうなんだ?と疑問に思って読んでみた本。 可哀想な阿修羅像さんの話から始めて、なぜ日本人は自らの宗教に自信がないのか?という謎に迫る。 ミステリーの様に、日本の寺社や仏像に隠された数々の謎を解き明かすやり口が滅法面白い。 そもそも、考えてみれば、天皇家が代々神道だけを信奉してきたわけじゃないことは、小学生の歴史の教科書にだって書いてある。大きな大仏様を作ったのは、天皇だった。 それなのに、現代に於いては天皇家は神道なことになっている。いつからこうなったのか? それは、明治政府が神仏分離をやったから。 この作者は、この近代に人為的にやからされた神と仏の分離に、相当な恨みを持ってるようだ。 お寺では合掌を、神社では柏手を、というやり方ですら、近代のものなのだそう。伝統、という言葉は、案外怪しいものなのだ。 本来の日本は、神道と仏教、密教、陰陽道や、儒教などをミックスして、その都度時代の求めに応じた宗教感を持ってきた。神社には寺が、寺には神社が一緒に建てられ、どっちでも合掌して詣でてきた。 神と仏、両方大事にしてきた日本人というものを誇ろうよ、これこそが伝統ってもんでしょ?というのは、なかなか近代人には目新しい考えかもしれない、と思った。
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