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岡山の災害 岡山文庫
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 日本文教出版 |
発売年月日 | 1989/12/01 |
JAN | 9784821251421 |
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岡山の災害
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表紙は、明治17年の高潮被害で多くの死者を出した、水島の千人塚である(倉敷市広江の鼻丘上にある)。本書は平成元年出版。実に30年前の本であるが、大災害に遭った昨年の岡山県を予想したかのような、教訓に満ちた本である。他県は知らず。岡山県民はことごとく去年までは「岡山は晴れの国であり...
表紙は、明治17年の高潮被害で多くの死者を出した、水島の千人塚である(倉敷市広江の鼻丘上にある)。本書は平成元年出版。実に30年前の本であるが、大災害に遭った昨年の岡山県を予想したかのような、教訓に満ちた本である。他県は知らず。岡山県民はことごとく去年までは「岡山は晴れの国であり、災害は極端に少ない県だ」と思っていたが、近代になって、つまりこの150年の間に(本書の記述から言えば、約100年の間に)大きな災害は何度も何度もやって来ていたことを知ることになる。つまり、私たちは「忘れていただけ」なのである。 中世までの災害についても「吉備国降雪、大風にて五穀実らず(「古事記」天武10年、681年)」から始まり、約10年ー20年毎に、或いは50年毎に飢饉や干魃、洪水などが押し寄せて来た記録があるという。特に天保の大飢饉(1836)では、浅口郡では餓死者96人、路頭倒れ死人が35人も居たという記録がある。地震の記録も多くある(安政元年家屋全壊700軒)。 私の住んでいるのは倉敷市なので、この地域(及びその周り)だけに焦点を当ててメモする。岡山市、備前市の方や倉敷市の方で詳しく知りたい方は、是非本書を紐解いて欲しい。 ・明治17年(1884)8月25日、水島・玉島に台風通過、高潮被害。死者・行方不明655人、家屋流壊2217戸、田畑荒廃2427町。一家全員死亡24戸。 ・明治25年大洪水では旭川、吉井川流域で大きな被害をだしたが、夏目漱石が罹災して記録しているのが有名。 ・明治26(1893)年、高梁川、旭川流域に大きな被害。この翌年に伝染病大流行。開闢以来の大悪年と言われた。県下被害総括、死者423人、家屋全流壊6240戸、罹災し飢餓に迫る者57634人。(去年被災した)真備町・川辺では384戸が僅か19戸を残すのみ。秋祭り当日で来客多く、死者は180人と言われる。船穂、長尾、阿賀崎、中洲、西阿知、中島の被害も大きかった。 ・明治32年。3回洪水。7月10日、20日は西部に大きな被害。死者7人、全流壊198戸。西ノ浦大崎で45センチの床上浸水、西阿知、中洲、北面新田、宮之浦、鶴新田、西ノ浦被災。 ・大正13年、大旱魃。 ・昭和9年の、岡山市街を水没させた大洪水では、高梁川下流域は大正末期に完成した改修堤防がよく耐えて安泰だった。ただし、高梁市は堤防が決壊、落合や成羽も被害甚大だった。 ・昭和14年大旱魃。大正13年を上回る。ついに、県や農業団体が真面目に、吉備津神社で雨乞い祈願。 ・昭和21(1946)年、12月21日、南海大地震。岡山県被害。死者51人、負傷者187人、全壊478戸、半壊1959戸。庄村の国民学校は、二階講堂の半分と宿直室、その他付属建物が倒壊。笠岡では、駅周辺二軒と富岡で倉庫一軒が崩壊、各所の狭い道路は破損した家屋の壁や瓦で埋まる。 ・昭和29年台風15号、33.2mの烈風、高潮被害。玉島・笠岡・児島で堤防決壊、玉島・乙島の坂田新開地では80戸が軒下まで浸水。3回来た台風の県下総括。死者13人、負傷者74人、全流壊476戸、半壊522戸、床上浸水4600余戸。 ・昭和47(1972)年大洪水。成羽ダム放出。下流大水害。川上郡三町で全壊88戸、半壊107戸、床上浸水291戸。高梁市全体被害、全壊43戸、半壊90戸、床上浸水237戸。小田川矢掛でも市街地浸水。井原・芳井で山崩れ、美星でも山崩れで一家四人死亡。 ・昭和49年三菱石油重油流出事故。 ・昭和51(1976)年豪雨。県下東南に被害甚大だった。それでも、笠岡市では小河川氾濫、山崩れ84カ所、7人死亡、全壊25戸、半壊57戸、床上浸水1100余戸。矢掛では床上浸水390戸。真備町でも堤防一部崩壊、一時住民の緊急避難命令。 近代に入り、地震は南海大地震以外では大きな被害はなかった。大水害は、昭和初めまで繰り返しやって来た。しかし、倉敷市は昭和に入ってからは堤防がよく防いて大きな決壊がない。いったん起きたら、大きなのが来るのがわかる。水をどう治めるか?これが、弥生時代からの「吉備国」の課題だった。と改めて思う。
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