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アラン『幸福論』
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | NHK出版 |
発売年月日 | 2011/10/25 |
JAN | 9784142230082 |
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アラン『幸福論』
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商品レビュー
4.1
12件のお客様レビュー
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
幸福論、というタイトルで和訳されていますが、実際は、幸福についての語録、フランスのProposという原題だそうです。もう少し、気軽に読めそうな、エッセイ集みたいなものに近いようです。 そして、本書では、いろいろな過去の思想家との関係でこの語録が書かれていることを紹介されているので、とてもありがたいです。 いくつか印象深かった内容を記しておきます。 … あくまで自分が幸福になることが他人にとっても幸福であり、それ自身が徳であること。 この点については、 「…快楽を抑制したから幸福になるのではなくて、幸福であるから快楽を抑制することができる」、とといたスピノザの考えを継承しているとのことです。 … 心と身体の関係も興味深いです。 究極的には「心」は「宇宙」(スピノザの言う「実体」)とつながる。 目で見えるものは、目で見えない全体の関係性の中で存在している、身体という見える部分も、心というものの存在合わさって存在していて、ただ、見えている部分は一側面であるということ。だから心の問題と思っていたことが身体に原因があったり、身体に現れる問題が、心に起因していたりする、という考えが述べられています。 それは想像力が戦争やさまざまな不都合な現実を生み出していることにもつながっているとのことです。 … 意志と行動を強調。 悲観主義は感情で、楽観主義は意志の力、 人に命令されて行動するのではなく、自分の意志で持って能動的に行動すること、幸福は行動のなかにしかない、と説いています。 先日読んだニーチェの意志すること、と、かなり重なってきました。 そして自分で行動して得られる楽しみがポイントであるということ。日々のふるまいによって少しずつ積み重ねていく、つまり生き方のようなものとしてとらえることができるようです。 自分で決めて行う、という事実自体が、決して私たちを裏切らないことも説かれてます。 ___幸福はいつでも私たちを避ける、と言われる。人からもらった幸福についてなら、それは本当である。人からもらった幸福などと言うものはおよそ存在しないものだからである。しかし自分でつくる幸福は、けっして裏切らない。 … 憐みや同情を否定し、生の力、希望を語ること。 ここも、ニーチェのツァラトゥストラにかなり重なっているように思ったのですが、もしかしたら少し違う視点も入っているのかもしれません。 ニーチェのこの遠人愛についても、星々を見るように遠くを見て、自分やその周りについて延々と考えるところから解放されよう、といい、その「遠く」が創造すべき「自己」である、との考えが紹介されています。 そしてアランも、憐れむことは憐みの対象をつくっていること、不幸をつくっていることになる。逆に、私たちは生命の力、希望に焦点を当てて、喜びを伝染させることで幸福をつくるのだ、と説いています。 人に本当に与えられるものは、自分のもっている希望だけ。 … 人とのつながりは、上機嫌を交換し合う、奇跡の場で優雅に踊ること。 ___人とのつながりは、そのときの天気や風向きによって快適だったりそうではなかったりするような木陰のようなものではない。それどころか魔法使いが雨を降らせたり、天気にしたりする、奇跡の場所なのである。 このために必要なスキルが礼節、だといいます。踊る、という表現があるように、これはしなやかさの求められる、いわば、アートであるようです。 自分の機嫌を自分でとる、他人に対しても幸せに生きるというアートであり、それを極めることが義務であること。 ___幸せだから笑うのではない。笑うから幸せなのだ。 私たちの意志に基づく行動は、私たちは、幸せになることをどれだけ強く決意し、自分に誓っているかを反映している。そしてその技能は、日々の積み重ねで高めていく、強めていく者であるのだという理解を得ることができました。
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幸せは自分でなるもの。高邁な心と礼節は実践していこうと思った。デカルト、スピノザ、カントらに影響された上で、自分の思う「ここ!」ってとこに焦点をあてて、プロポという他とは違うアウトプットしたアランはおもしろい、自分もこんな風に自分なりのアウトプットを生きている間に残したい。こうい...
幸せは自分でなるもの。高邁な心と礼節は実践していこうと思った。デカルト、スピノザ、カントらに影響された上で、自分の思う「ここ!」ってとこに焦点をあてて、プロポという他とは違うアウトプットしたアランはおもしろい、自分もこんな風に自分なりのアウトプットを生きている間に残したい。こういう話を読むと哲学者はいかにも精神洗練された哲人賢人だと想像してしまうけど、哲学者も歯を食いしばって身も心も削ってギリギリで生きているんやろうなと思う。人間。
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・幸福とは徳の報酬ではなく、徳自身。不幸から徳が生まれ、その結果幸福になれるというのは誤り。 ・人間にとって最大の敵は自分自身。不幸だと思うから不幸なのであって、その原因がわかれば対処は難しくない。その原因はしばしば単なる身体的なこと、例えば疲れていたり気が張っていたりということ...
・幸福とは徳の報酬ではなく、徳自身。不幸から徳が生まれ、その結果幸福になれるというのは誤り。 ・人間にとって最大の敵は自分自身。不幸だと思うから不幸なのであって、その原因がわかれば対処は難しくない。その原因はしばしば単なる身体的なこと、例えば疲れていたり気が張っていたりということもある。逆も然りで、精神的な不調が体に現れることもある。 ・他人の言動に潜む意味を考えたところでわからないのに、そうした不確定なことに想像力を巡らせ自らを不幸に追い込むのは滑稽。そうした想像は時に行動することで抑圧、つまり克服したり忘れることができる。その行動は人から命じられるものではなく、自分の意思を以って行う必要がある。またそれを楽しむこと、困難を乗り越え続けることが重要である。 ・悲しみやいらだちは連鎖する。憐れみも悲しみを連鎖させる行動の1つ。だからといって無関心であれというわけではなく、自分自身が内面として幸福になり、かつ外面としても礼節つまり優雅・上機嫌であることで、生命の力を他人に与えることができる。幸福も伝播するものであり、自分が愛する人たちの幸福ためにできる最善のことは自分が幸福になること。その結果としての意図せざる報酬として、周囲からの愛情や世間からの褒賞が与えられる。 ・人間は情念から離れられない以上、不機嫌でいることはたやすく、不幸にもなりやすい。ゆえに自らの意思で上機嫌になり、幸福を目指さなければならない。
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