1,800円以上の注文で送料無料

密教経典 大日経・理趣経・大日経疏・理趣釈 講談社学術文庫
  • 中古
  • 書籍
  • 文庫

密教経典 大日経・理趣経・大日経疏・理趣釈 講談社学術文庫

宮坂宥勝【訳注】

追加する に追加する

密教経典 大日経・理趣経・大日経疏・理趣釈 講談社学術文庫

定価 ¥1,892

990 定価より902円(47%)おトク

獲得ポイント9P

残り1点 ご注文はお早めに

発送時期 1~5日以内に発送

商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 講談社
発売年月日 2011/07/13
JAN 9784062920629

密教経典

¥990

残り1点
ご注文はお早めに

カートに追加するカートにいれる

商品レビュー

5

2件のお客様レビュー

レビューを投稿

2018/11/18

大日経、読了。 空海を掘り進めるのにまず密教経典から、という。 断つのでも、否定するのでもなく、ひたすら離れること。 理趣経 読了 自性清浄。 十七清浄句の過激にも見える表現を読みたかった。 顕教では断つべきものとされる煩悩も、それは密教の悟りの立場からすれば、宇宙...

大日経、読了。 空海を掘り進めるのにまず密教経典から、という。 断つのでも、否定するのでもなく、ひたすら離れること。 理趣経 読了 自性清浄。 十七清浄句の過激にも見える表現を読みたかった。 顕教では断つべきものとされる煩悩も、それは密教の悟りの立場からすれば、宇宙の発現なのであって取り除くべきものではなく、浄化されるべきものである。捨てるべきものも取るべきいかなるものも存しない。っていう解説がわかりやすい。 性欲や性交すら本来、清浄である、というのは、少子化で人を滅ぼす顕教の考えよりよっぽど現実的。 ちなみに、釈迦はそんなこと言ってない。 司馬遼太郎も空海の風景で理趣経は取り上げてる。 最澄と空海が袂を分かった原因の経典でもある。

Posted by ブクログ

2012/08/21
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

2012.09.22 どのようなものが狗の心であるかというと、わずかばかりのものを得て、喜び満ち足りている(わずかばかりの善き事柄を得ても行いがたく、それ以上のすぐれたものを求めようとしない、真言の実践者は、大海が細流をも大河をも選ぶことがないようでなければならない)。(P74) U・x・U そんなことないよ! 2012.09.21 どのようなものが狸の心であるかというと、(狸や猫などは、射った獲物を捕るときに)除々に進んでいくのにしたがう(狸や猫のように、そのときを窺っているが、進んで積極的に修行することをしない。真言の実践者は時と場所を考慮することなく、見聞にしたがって直ちに実践し、恩の恵みに報いなければならない。狸や猫がひとに飼育されていても、その恩徳がわからぬように、他人の恩の恵みに報いなければ、狸や猫と変わりがないという意味をも含む)。(P74) (*`・ω・)ゞ  o(^・x・^)o そんなことないよ! 2012.09.07 どのようなものが迷いの心であるかというと、執るところと異なり、思うところと異なる(不浄観を修めようとして、清らかなすがたをとり、無常・無我の理法を修めようとしても、かえって常住・自我の思いに住する。真言の実践者は、専念して、このように錯乱した観察することがないように勤めなければならない)。(P79) ・・・ヾ(_ _。) 2012.09.05 どのようなものが窟(いわや)の心というと、洞窟のなかに入る法にしたがう(真言の実践者は、現実において実践修行すべきであるから、竜宮や阿修羅宮といったような理想の海底または地下の宮殿とされる存在に心を奪われてはならない)。(P76) 2012.09.04 どのようなものが剃刀の心であるかというと、ただ(髭を剃るように)そのように剃り除くことにとどまる(髭や髪を剃った出家修行者が世俗の善事にすら一切かかわらないとすれば、世間がすなわち仏法であることを知らないことになる。世俗に即して仏法を実現するのが、密教の極意である)。(P81) 2012.08.27 つまり、<そのようにただ人間存在の構成要素のみが存在して実体的自我は実在しないということを理解して、器官、認識対象、認識の領域にとどまって進むことなく修行し、迷いの行為を引き起こす>煩悩の残りかすである根源的無知の可能力が十二因縁を生ずるのを抜き取って、建立などの教えを離れる。このような(清らかなさとりを求める心の)非常に深い静けさは、すべての(内外の)思想を報ずるものが知ることのできないところのものである。(P84) 2012.08.25 心・・・・・・(・_・?) 秘密王よ、心というものは視覚のはたらく世界に(あって目に見えるもので)あることもなく、聴覚・嗅覚・味覚・触覚・思考器官のはたらく世界に(おいて認識されるもので)あることもない、見ることのできないものであり、そこにかたちをとって現れているものでもない、なぜかというと、大空のかたち(と同様)の心は、さまざまな思慮や思慮なきものを離れているからである。 そのわけはどうかというならば、性質の点では(心は)大空と同じであるから、そのまま(大空のかたちは)心と同じである(つまり、心はすがたなきこと大空がかたちがないようなものである)。(大空の)性質は心と同じであるから、(すがたなき心は)そのまま(すがたなき)さとりと同じである。 このように、秘密王よ。心と大空の領域とさとりの三種のものは、分かちがたいものである。これら(のさとりと全智と)はあわれみ(悲)を根本とし、手立ての完成(方便波羅蜜)を成就する。(P38-39) 2012.08.23 菩提心を因となし、 大悲を根となし、 方便を究竟(くきょう)となす。 菩提心って・・・・・・(・_・?) いうなれば、ありのままに(ことごとく)自分の心を知ることである。 2012.08.21 大日経を読み始めた。・・・___φ(・_・*) フムフム

Posted by ブクログ

関連ワードから探す

関連商品

同じジャンルのおすすめ商品

最近チェックした商品