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奇想の美術館 イメージを読み解く12章
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 白水社 |
発売年月日 | 2010/12/10 |
JAN | 9784560080993 |
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奇想の美術館
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商品レビュー
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4件のお客様レビュー
ChatGPTも画像生成AIを実装したが、我々のコミニュケーションは込み入った記号=言語、事物を相対化するための数字よりももっとプリミティブな所での感情や要求を表すものとしてジェスチャーや表情があり、アートがある。それぞれの意味を読み解いてこそAIが機能するはずだが、ヒエログリフ...
ChatGPTも画像生成AIを実装したが、我々のコミニュケーションは込み入った記号=言語、事物を相対化するための数字よりももっとプリミティブな所での感情や要求を表すものとしてジェスチャーや表情があり、アートがある。それぞれの意味を読み解いてこそAIが機能するはずだが、ヒエログリフのような記号化された絵画は規則性を抽出できそうでも、一点物の芸術作品から意味を見抜くのは、まだまだAIには難しいだろう。パターン学習が成立しないし、画家の生い立ちを文脈に含む場合は、著名なものに付与された解釈をなぞる以上の解説は不可能だからだ。 その絵をよく知るものは、それを描いた画家以上にはいない。しかし、だからこそ一意に規定されぬ多義的解釈の幅と、直感や印象こそが芸術のもつ力だ。言葉は発するモノを背後に有すから、文意は必ずしも切り離せない。しかし、芸術は、どこまでも読み手の想像力を膨らませるのである。 「私たちにはあらかじめ認識可能なイメージしか見えない。構成や文法や語彙を知っている言語でしか文章が読めないのと同じである」本著でも、こう述べられる。絵画を読み解きなさいという教皇グレゴリウスの言葉だが、絵を見ることが読書と同じであれば、それは大きな創造性を伴う読書だと言える。文字を音にし、そこから意味を取るだけでなく、イメージまで意味に転じてそこから物語を読み取るのだから。 神を描こうとした。言葉よりも、より抽象的でいられるはずのその領域で。人としてのキリストを描く事は異端である。それに対し、イコン容認派の人々は、十戒はユダヤ人のためのもの、託神(神性と人性が合体すること)によってキリストはまさに人の外観を持つものとなったのだから、神としてのキリストと人としてのキリストの乖離が解消されているはずだと主張。 人間が人間らしいのは、表面があるからだ。肌を剥ぎ、切り開けばそこから先は機械の領分である。底知れぬ実態の中で自分を見失い、実に馴染んだ全てが異質なものとなるだろう。しかしそれこそが本質なのだとポールヴァレリーは言う。 神が人間の形をしているなら、人間こそが創造された芸術として環流する。そしてその挙動は肉体を離れ、認識世界としての領域を物語や芸術に託す。物語は二重三重に複写され、人間は共有する認知により自分たちの秩序を形成し、社会性生物として活動を規定し始める。 アダムが感じた羞恥心は裸体でも性器でもなく、その器官の動きを制御できない事に起因したのだという。元々アダムは目が見えるものとして創造されていた。エレクトこそ、原初。侵食こそリビドーでありアートで、秩序形成。芸術は秩序の領域に境界線を引き、大衆心理としての羞恥を生む。恥や倫理の観念こそ、私たちが言葉で伝え、芸術で問いかける本源ではないか。 本著の沢山の絵画と共に、考える読書時間。
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絵画、写真、彫刻、建築など、西洋美術のいくつかの作品を選び出し、そのイメージを読み解いた一冊。 日本の絵解き本のように「こうだからこう」とスパッと結論付ける、センセーショナルな感じではないけれど、多数の書籍に裏付けられた上での内容は、じわじわと納得させられて、深い印象を抱きました...
絵画、写真、彫刻、建築など、西洋美術のいくつかの作品を選び出し、そのイメージを読み解いた一冊。 日本の絵解き本のように「こうだからこう」とスパッと結論付ける、センセーショナルな感じではないけれど、多数の書籍に裏付けられた上での内容は、じわじわと納得させられて、深い印象を抱きました。 西洋と東洋の思想の違いもあり、東洋を交えたらどんなイメージを抱かれるのかと思う点も。ぜひ、他の著書も読んでみたいです。
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『奇想の美術館』という題名から私が想像していたものと実際の内容は違っていたけれど、これはこれで面白かった。なぜこの題名なのか、と思って、原題を確認してみると、『Reading Pictures』。これなら納得。これは『奇想の美術館』ではなく、『Reading Pictures』と...
『奇想の美術館』という題名から私が想像していたものと実際の内容は違っていたけれど、これはこれで面白かった。なぜこの題名なのか、と思って、原題を確認してみると、『Reading Pictures』。これなら納得。これは『奇想の美術館』ではなく、『Reading Pictures』という書物だと思う。 しかし実際のところ、筆者の考えの赴くままに、迷宮のように話は広がっていく。そういう点では、「奇想」というのは当たらずとも遠からず、というところか。 表紙を飾るのはトニーナの肖像ではあるが、フリークスに関する内容ではなく、むしろ図像学的で、作品に表されたもの(あるいは表されなかったもの)についてだった。 描かれたもの全てが意味を持った作品、または逆に、全てに意味を持たせない作品(意味を読み取ることを拒否する作品)。そういうものに対する考察は興味深かった。図版が多用されていて、それが理解をよりよく助けてくれていたのも良かった。
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