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現代語訳 武士道 ちくま新書
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 筑摩書房 |
発売年月日 | 2010/08/06 |
JAN | 9784480065650 |
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商品レビュー
3.8
73件のお客様レビュー
春に一気に咲き誇り、潔く散りゆく桜を見るたびに、読み返したくなるのではないかと思います。 本書を手に取ったきっかけは、本村凌二さんの『教養としての「世界史」の読み方』の中にあった「古代地中海世界に一〇〇〇以上あった都市国家の中で、なぜローマだけが大帝国になり得たのか。十九世紀後...
春に一気に咲き誇り、潔く散りゆく桜を見るたびに、読み返したくなるのではないかと思います。 本書を手に取ったきっかけは、本村凌二さんの『教養としての「世界史」の読み方』の中にあった「古代地中海世界に一〇〇〇以上あった都市国家の中で、なぜローマだけが大帝国になり得たのか。十九世紀後半、欧米列強が植民地化を進めるアジアで、なぜ日本だけが植民地支配を免れ独立を保つことができたのか。」という問いです。その問いに対する一つの仮説として「ローマでは「父祖の遺風」、日本では「武士道」という、精神の柱とでも言うべきものがあったからではないか」と提示されており、興味を持って手に取りました。 また、新渡戸稲造が本書執筆のきっかけともなった「宗教教育なくどのように道徳を授けるのか?」という問いも、問われてみれば確かに自分たちのことでありながら不思議なことだと感じ、読んでみた次第です。 欧米人向けに書かれた書物だけあり、野蛮で危険だと捉えられていたサムライたちの精神性や、刀や切腹の扱い方などについて、ヨーロッパの哲人や詩人たちの言葉なども豊富に引用しながら相手に理解しやすい概念として説明されています。 それにより、日本人である私もまた、読んでいて海外の思想や文化と比較・相対化しながら日本文化を捉えることができました。 新渡戸稲造は、本書の中で武士道は当時流行ったベンサム・ミルよ功利主義や唯物主義を重んじるデモクラシーの中で消える運命にあると書いています。名誉や道徳よりも金銭的利害が重きが置かれ始め、その流れは確かに止まることなく現在に続いていますが、私は自分自身や身近な家族の中に、知らず知らずのうちに武士道精神のようなものが行動原理として残っているのを感じます。 また、「このまま欧米流のやり方に則り続けて良いのだろうか?」という違和感が、実際に政治や会社経営、仕事観や人間観・組織観においても噴出し始めていますし、特に経営において今一度日本的経営のあり方が見直され始めているのは、脈々と私たちの精神に息づく武士道と無関係ではないのでしょう。 改めて私たちは何を大切に残していきたいのか深く考えながら、目の前の当たり前を疑い、日々の営みを見直していきたくなる一冊です。
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現代人が武士と聞くと、まず思い浮かべるのは戦国時代の徳川家康家臣、蜻蛉切で有名な本多忠勝や真田幸村などを思い浮かべるかもしれない。古くは平安時代の源頼朝に仕えた弓の達人の那須与一、そして日本人の心を掴んで離さない楠木正成など、古今東西問わず未だ、誰が最強かといった議論が巻き起こる...
現代人が武士と聞くと、まず思い浮かべるのは戦国時代の徳川家康家臣、蜻蛉切で有名な本多忠勝や真田幸村などを思い浮かべるかもしれない。古くは平安時代の源頼朝に仕えた弓の達人の那須与一、そして日本人の心を掴んで離さない楠木正成など、古今東西問わず未だ、誰が最強かといった議論が巻き起こる程に人気がある。武士といえば、自分の得意とする武器を巧みに扱い、戦場に出ては数千の敵を前にしても、恐れを知らずに敵を斃していく、そんな姿を思い浮かべるのではないか。徳川家康が天下を平定したのち、江戸時代は260年以上も続き、次第に世が平和になっていくと、武士が戦場を駆け回り活躍するような機会は減っていく。寧ろ平和な世に物騒な日本刀を振り回されてはかなわない。徐々にその立ち位置を微妙なものにしつつも、失われずに残ったのが、武士としての立ち振る舞い、心構え、生き方にも通ずるであろう、武士の道としての「武士道」である。古くは佐賀藩士の山本常朝の話した内容を纏めた『葉隠』に既に「武士道」という言葉が登場し、その後も幕末の万延元年に山岡鉄舟が「武士道」を記し、そこでは「神道にあらず儒道にあらず仏道にあらず、神儒仏三道融和の道念にして、中古以降専ら武門に於て其著しきを見る。鉄太郎これを名付けて武士道と云ふ」と記されている。勿論、その武士のあるべき姿はずっと古くから、武士と呼ばれる者たちの心の中で連綿と受け継がれてきたものであり、体系的に纏められたりする事なく、武士の生き様として続いてきたものだ。 本書「武士道」は新渡戸稲造が自身の妻や海外の友人たちに、日本人が何から道徳を学ぶのかと尋ねられ、答えに窮した事から執筆されたものである。よって最初は海外向けに全て英語で記されていたが、その後日本人の手により日本語訳されるという逆輸入の形で入ってきた。そこには武士の魂の根底にある「義」をはじめとし、「仁」「礼」「信」などの説明、武士が何故に切腹という責任の取り方を用いるのかなど、武士道とは何か、そこから日本人が何を学び取り、どう生きているかを17章にわたり説明していく。海外の人からは理解し難い武士の切腹や、キリスト教国の「騎士道」との対比が武士の姿を克明に明らかにしていく。その記述は外国人向けということもあり、外国人がよく知る文献や宗教観との比較が多く用いられ、日本に古来から存在する武士が、西洋の文化と同レベル、若しくはそれ以上に優れた形で道徳として成立してきた事を説明している。当たり前ではあるが、決して外国の考え方を真っ向から否定したり、日本の考え方が優れていると大っぴらに言うものではない。その奥ゆかしさも武士道と言えばわかりやすい。 残念ながらその後の日本は軍国主義に振れ、太平洋戦争の特攻隊のように、喜んで死に向かう若者の姿に重ねられていく。なお特攻隊の名前である「敷島隊」「大和隊」「朝日隊」「山桜隊」は万葉集の「敷島の大和心を人問わば朝日ににおう山桜花」の歌からとられている。 本書の中でも取り分け興味深いのは、武士の死に対する考え方である。武士が刀を抜くときは、相手を殺すか、殺せば自身も罪を償うために死するか、さらには殺し損ねても武士としてあるまじきとして死ぬか。兎に角、刀を抜く事はすなわち武士にとって死を意味する。武士は名誉を重んじるから、それを傷つけられる事は死よりも屈辱的となる。だから名誉のためなら死を恐れる事はない。こうした考え方が、正に前述の特攻隊にとっては都合の良い受け止め方をされたのだろう。現実、死に直面した若者たちが、国の為、愛するものの為と次々と命を散らしていく姿は、武士道の中にある散る桜の美しさを思わせる。 日本人なら一度は読んで触れてみたい考え方である。エコノミックアニマルと呼ばれて久しい日本人の姿を、当時の武士たちがどのような目で見ているだろうか。その視点を知り、自分の生き方を正すきっかけになる一冊に違いない。
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多様性とか言われている現代ではあるが日本人の美徳はこれだよなと感じる。さすがに武士道は究極な状況だが、名誉を高める観点は共感する。 また、外国人から見た日本人の奇妙さも捉えられるので、敢えて知った上で接するとコミュニケーションが上手く取れる印象。
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