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最後の授業 心をみる人たちへ

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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | みすず書房 |
発売年月日 | 2010/07/26 |
JAN | 9784622075431 |


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最後の授業
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商品レビュー
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17件のお客様レビュー
見にくい というのは 見難い と 醜い の二重の意味があります。見にくいものというのは、見るのが苦しい、あるいは見るのが難しいから私たちは 醜い と言って逃げてしまうのではないか という一文がある 今はテレビよりもYouTubeなどネット情報でそれこそ見難いを避けて 見やすいも...
見にくい というのは 見難い と 醜い の二重の意味があります。見にくいものというのは、見るのが苦しい、あるいは見るのが難しいから私たちは 醜い と言って逃げてしまうのではないか という一文がある 今はテレビよりもYouTubeなどネット情報でそれこそ見難いを避けて 見やすいものばかりに流れているような気がする 10年以上の前に出版された本だが、それからの時代の変化の加速を考えると、むしろ今を立ち止まって見るための視点に溢れている
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表と裏の理論からはヤフコメやSNSの問題につながるヒントを沢山頂いた。学生にも分かりやすい身近な例を用いて話しているので、とても読みやすかった。
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正直に言うと、精神分析医としての北山さんだけでなく、「戦争を知らない子供たち」の作詞などの経験からのアプローチを少し期待していた。 北山さんの最後の授業は、確かに研究生活の集大成と呼ぶにふさわしい、フロイトを起点にしたオーソドックスな精神分析的精神療法の学問的蓄積の披露と呼べる...
正直に言うと、精神分析医としての北山さんだけでなく、「戦争を知らない子供たち」の作詞などの経験からのアプローチを少し期待していた。 北山さんの最後の授業は、確かに研究生活の集大成と呼ぶにふさわしい、フロイトを起点にしたオーソドックスな精神分析的精神療法の学問的蓄積の披露と呼べるものだった。 だが冒頭に書いた視点で読めば、期待どおり北山さんならではの考えを私は見いだした。 それを挙げる前に、まず北山さんの研究分野のおさらいが必要だ。 人間の活動や意思を制御する精神領域には「意識」の他に「無意識」がある。 「無意識」は目に見えないため、その明確化には困難が伴う。精神分析的精神療法とは、無意識の中に佇む“何か”を患者から引き出し、さらに形を与えるために分析して神経症などの原因を探るという一連の作業だ。北山さんはその作業を「言語化」と言い換えている。 具体的には、患者と治療者(=精神分析医)とが1対1となって第三者を入れない環境下で、患者をカウチで横になるようにリラックスさせ、治療者と患者とは目が合わないようにして、患者に自由に発言させる。でも発言内容は不定形で順序も正しくないため、分析によって患者の無意識の領域に宿る“何か”に形を与えて可視化するということだ。 途中で北山さんは、自分がなぜ華やかな音楽業界の先端から降りたのかに触れる。 曲のヒットという渦中に心ならずも巻き込まれた北山さんは、マス・メディアによって映し出された“言語”が裏側を正確に映しておらず、そのうえ映し出された内容がすべてであるかのように振舞っていることに強い不信感を抱いたのだ。 北山さんの説明は理解可能だ。なぜなら北山さんはヒットメーカーであることはやめたが、作詞やライブハウスでの活動は継続したから。つまり自分が“言語”として正しく送受信が可能な限りで音楽活動をしていたのだから、筋は通っている。 北山さんはこのことについて面白い例え話をしている。 牡牛座に代表される星座を考えたとき、確かに夜空に牡牛の姿を想像したのはすごいことだけど、牡牛座の名前が与えられた途端にもうそこには牡牛の姿しか見えなくなる、他の姿は想像できなくなる、テレビによって与えられた映像も同様に想像力を奪っている、と説明している。 それと北山さんは、現代のSNSなどのパーソナル・コミュニケーションの発達にもつながる示唆もしている。 カメラなどの記録や編集メディアの発達で、自分でイメージを作ったり、確認したりが容易になった(講演では「セルフモニタリング」という語が使われている)。 しかし、そうした自己イメージ確立の容易化は、かえって誤りを修正しにくくなっているのではないか。例えばネガティブなイメージが一たん自分に染み込んでしまったら、それを取り除くことに固執し、時にはそれに自己の精神が滅ぼされてしまう恐れがある。北山さんはそれを“This is it”のときのマイケル・ジャクソンを例に出す。自己の完璧さを求めた(求め過ぎた)マイケルがどうなったかは言うまでもないだろう。 だから北山さんは、1対1の対面によるコミュニケーションこそを、時間もかかるし非効率に見えるけれども、“言語”を正確にとらえる最適な手法として追求したのだ。 これは現在のコロナ感染拡大社会に対しても、指針となるものを含んでいると思える。 しかしながら、北山さんがそこまでして追求した精神分析学について、私はいまだ到達できない“深さ”に複雑な思いも浮かんだことを告白する。 北山さんの最後の授業は2010年1月。だがフォーク・クルセダーズとしてともに活動したことのある加藤和彦さんがその直前の2009年10月に亡くなっている。人の心の裏を見切るということがいかに困難か!これは北山さんだけの話ではなく、私の身辺に起こっても不思議ではない。北山さんがこれだけ心血を注いだにもかかわらず、精神分析学の到達点は未だはるかに遠いのだ。
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