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生涯被告「おっちゃん」の裁判 600円が奪った19年
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生涯被告「おっちゃん」の裁判 600円が奪った19年

曽根英二【著】

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生涯被告「おっちゃん」の裁判 600円が奪った19年

定価 ¥1,760

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 平凡社
発売年月日 2010/06/25
JAN 9784582824551

生涯被告「おっちゃん」の裁判

¥385

商品レビュー

4.7

3件のお客様レビュー

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2012/09/17

教育を受けられず、手話でのコミュニケーションも難しいおっちゃん。 人としての権利とは? 無実を証明する手段がない? 基本的人権について考えさせられた。

Posted by ブクログ

2012/08/18
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

以前、最高裁の判決だけを知って、とても気になっていた事件でした。 被告人は、耳が聞こえず、手話も修得していません。文字も記号として以外は分かりません。 「訴訟能力を欠く場合には手続を停止すべき」という判決がこれでいいのか、ということももちろんですが、もっと素朴な疑問として、確立された意思疎通の手段を持たないこの人は、どのような人生を歩んできたのだろう、と。 病気で亡くなる直前まで、19年も「被告人」であったとは、どういうことなんだろう、と。 まずは、裁判について。 岡山地裁の判決を読んだとき、涙があふれてきました。 「単に、黙秘権の告知に努めたけれども伝えられなかったとしてのみ済ますわけにはいかない重要な事柄である」 (詳細な調書の自白について)「ここで忘れてならないのは(中略)被告人は通訳人の身振り手振りの動作による通訳に対して例外なくといってよいほど首を縦に振っているということである。この事実をどのように理解したらよいのか、率直にいってわからない。」 「『これで審理を終りますが、最後になにか特に述べておきたいことはありませんか』という発問は、やはり被告人には通じないのである。」 裁判官として、事実を見つめ、法律のルールと照らし合わせる。その過程が深い人間味をもって行われていると感じました。 「最後に被告人の言い分を聞いてあげたい」 でも、それすらできない。 このようなジレンマを感じること無しに判決を出すことなどできるでしょうか。 差戻審では、召喚状の送達で、召喚状だけではなく、カレンダーのコピーと時計の絵を同封されていました。 こういうケアがもっと早くからなされてもよいはずです。 ものごとは、すべて人と人の心遣いで進んでいくのではないでしょうか。 厳格さは人間味を切り捨てるものではないと思います。 次におっちゃんの生きてきた道について。 おっちゃんの裁判をずっと支援してきた盲目の柔道整復師の中川さん。 おっちゃんが亡くなる前の1か月ほど、おっちゃんは中川さんに激しい態度をとっていたそうです。 きっと、おっちゃんが中川さんを信頼していたことに違いはないと思います。 でも、いつもニコニコしていたおっちゃん。 おっちゃんは、自分がどのような状況に置かれているか、分かっていなかったでしょう。 よく分からない状況の中で、どんどん物事が進んでいく。 とても怖いと思います。 状況が正確に把握できない中で、できるだけ安全に生活するためにおっちゃんが身に着けたことが、ニコニコしていること、だったのではないでしょうか。裁判の通訳に対して、すべて首を縦に振っていたように。 中川さんの言うとおり、亡くなる前に、それまでの不安や恐怖が率直に出たのだと思います。 耳が聞こえない、というだけで、気持ちを抑えて、不安に満ちた生活を送らなければならないなんてことがあってよいのでしょうか。 多数派のルールを門切り型にあてはめて、19年も被告人のままであるなんてことがあってよいのでしょうか。 少数派を切り捨てる世の中であってはならないと思います。 裁判のルールにしても、教育についても、就職についても、すべてにおいて。 それを実現するのは、相手がどういう状況にあるのか、どのように考えているのか、を感じ取ろうとする、曇りのない目と想像力だと思うのです。

Posted by ブクログ

2011/11/04

容疑は窃盗。金額は600円。45歳で起訴された男性の裁判は、 異例の長期間に亘った。争点になったのは、起訴事実ではない。 この男性を裁けるのか。司法が抱える根本的な問題だった。 支援者や著者が「おっちゃん」と呼ぶ男性は、聾唖者だった。 聞こえない。話せない。そして、戦中戦後の混...

容疑は窃盗。金額は600円。45歳で起訴された男性の裁判は、 異例の長期間に亘った。争点になったのは、起訴事実ではない。 この男性を裁けるのか。司法が抱える根本的な問題だった。 支援者や著者が「おっちゃん」と呼ぶ男性は、聾唖者だった。 聞こえない。話せない。そして、戦中戦後の混乱期に生まれ育った おっちゃんは、文字も読めず、手話も理解しない。 「黙っていなさいは伝わるが、黙っていてもいいは伝わらない」。 そう、黙秘権が何でるのかが、おっちゃんには伝わらないのだ。 被疑者の権利を理解しないまま、果たして公判は維持出来るのか。 「黙秘権を伝えようとした、だけではすまされない。刑事訴訟法 自体果たして身振り手振りによる通訳を予測したであろうか」 一審の裁判官は公訴棄却の判決を下す。この一審の裁判長が読み 上げた判決文は、まさに名判決であろう。しかし、検察側が控訴、 二審では原判決棄却となる。 裁判が長期したのには、司法が司法を裁くことに二の足を踏んだ こともあるのだろうが、最大の問題は日本の司法制度の盲点だった。 極限の障害者を裁くのに、コミュニケーションの手段は確保されて いるのか。障害を病気や心神喪失と同列に扱い、「回復の見込みは ないとは言えない」と判断出来るのか。 おっちゃんの裁判は公判停止となり、身分は被告のままだった。 一審で弁護に立ち、最後までおっちゃんの弁護士だった人は公訴 棄却を求めて特別抗告まで活動した。 還暦を越え、被告としての20年近い歳月が流れる。おっちゃんの 体は病に蝕まれていた。やっと「被告」から降りられたのは、 亡くなる3カ月前だった。 「法の下の平等」。だが、そこから漏れてしまっている人たちが 確実に存在する。おっちゃんの裁判は私たち健常者が、障害を 持つ人たちとどう付き合うかも教えてくれる。 尚、公訴棄却の判決を出した一審の裁判官の判決文中の「「これで 審理を終わりますが、最後に何か述べておきたいことはありませんか」 という発問は、やはり被告人は通じないのである。」は、この裁判官の 人間性を伺わせる。 多くの人に是非とも読んでもらいたい良書である。おっちゃんこと 森本一昭さん、19年間を被告人として過ごし、1999年12月16日、入 院先の病院にて永眠。 いろんなことから解放されたおっちゃんは、どんな思いでるのだろうか。

Posted by ブクログ

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