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弁証法はどういう科学か 講談社現代新書
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 講談社 |
| 発売年月日 | 1985/01/01 |
| JAN | 9784061155596 |

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弁証法はどういう科学か
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商品レビュー
3.4
14件のお客様レビュー
世の中で起きている現象。戦争や議論、受容など、その「構造」を解き明かせば、そこに弁証法というアプローチが見出せる。対立する概念。〈Aが正しい?それともBが正しい?いや、それらの意見を踏まえて別のCにしよう〉みたいなこと。 その別のCが、折衷案であったり、代替案であったり、AとB...
世の中で起きている現象。戦争や議論、受容など、その「構造」を解き明かせば、そこに弁証法というアプローチが見出せる。対立する概念。〈Aが正しい?それともBが正しい?いや、それらの意見を踏まえて別のCにしよう〉みたいなこと。 その別のCが、折衷案であったり、代替案であったり、AとBの中間や上位か、その際に生じる他方の部分的な否定など、そうした手続きを解説した話。一見難しそうだが、日常ありふれた話だ。 もう少し踏み込んでいうと、弁証法が扱うのは「対立するAとBにおける矛盾」である。つまりこれはそれぞれの正義、正論がある状態で、正論が二つあるなら、それは矛盾だよね、と。どうしてそうなるかというと「自分の立場でしか、物事を考えられていないから」。 ならば簡単だ。弁証法とは、相手の立場を踏まえ、同じ共同体としての解決を見い出すこと。 ー 「唯物史観と、それをプロレタリアートとブルショアジーとの現代の階級闘争へ特別に適用することは、弁証法を媒介としてはじめて可能であった。」 立場を選ぶ。いや、選ばなくても大多数の立場は自然発生である。あなたは生まれながらに女性である。それは男性と異なる利害を含む属性だ。そうなると、男女は互いに「完全な理解」はできず、享受する果実も互いに「同じ効用」とは限らない。そこで話し合い、解決していく必要がある。 相手を否定し、否定され、その過程で互いに「同じではないこと」に気付き、自らを否定(妥協)しながら考える。平和な解決策だが、否定が無秩序な暴力に変わる事で喧嘩になり戦争になる。弁証法はそうした現象をも解き明かす。人格否定や過去の出来事を持ち出す暴走は、弁証法にあらず。 「矛盾は絶対であり、闘争は普遍である。しかし、矛盾の解決は暴力ではなく、弁証法的理解によって達成されるべきだ。」毛沢東 とここまできて、毛沢東と似たような同じ話に辿り着き、自己嫌悪。毛沢東の発言と行為に対して、アウフヘーベンを試みる気力は生まれず。「何言ってんだコイツ」と人格否定して終わりだ。
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今日この書を読むものは、「どういう科学か」というタイトルにまず困惑するであろう。ヘーゲルやマルクスの弁証法と科学にどんな関係があるのだろうか。結論から言えば今日の意味での科学と弁証法はあまり関係ないのであるが、経済学を社会「科学」とするべく研究に打ち込んだマルクス=エンゲルスが自...
今日この書を読むものは、「どういう科学か」というタイトルにまず困惑するであろう。ヘーゲルやマルクスの弁証法と科学にどんな関係があるのだろうか。結論から言えば今日の意味での科学と弁証法はあまり関係ないのであるが、経済学を社会「科学」とするべく研究に打ち込んだマルクス=エンゲルスが自身の史的唯物論を科学的であると呼んだ史実を踏まえた単なる用語法である。 つまり、ここでいう科学とは社会科学のことであり、弁証法とはマルクス主義のことであるが、「マルクス主義者」にとって唯一可能な社会科学は「マルクス主義」にほかならないので、ほとんど意味のないタイトルである。 ではこの書は無価値かと言えば、マルクス用語の解説書としては今日もかろうじて価値があるといえるだろう。物事を多面的に考え、批判を忘れないことのような、学問するうえでだけでなく社会生活を送るうえで示唆に富む指摘も多い。高校生であれば読んでおいて損ないのかもしれない。 しかし、本書には大きな問題がある。まず、本書は用語の解説に終始しており、体系としての史的唯物論の説明がほとんどない。これでは、なぜ史的唯物論から革命が導き出されるのか、また、なぜ革命によって社会を変えるにはヘーゲルの弁証法では不十分なのか全く分からない。著者の全くの力量不足であろう(著者自身理解していないのではないか?)。 この思想史的な背景の説明がないことで、分かりやすいようにと卑近な例を持ち出したことで、かえってわかりづらくなっている箇所も多い。社会や自然の中に弁証法が内在されており、それゆえ理論も弁証法的な形態をとらざるを得ないという説明に納得できる読者が今日どれだけいるであろうか。科学技術の進歩にしても手放しで称賛することはもはや困難であり、それ以前に著者の自然科学の理論に対する理解はかなり怪しいものである。 そして、より深刻で本質的な問題として、自然科学の理論から史的唯物論の妥当性を説明している点はまずい。スターリンや毛沢東を批判しながら、こうした態度をとることは、彼らと同じ轍を踏んでいると言えないか。彼らの誤りは「正しい」共産主義が世界に規定されていると主張したことにある。そんなものは当然存在しない。あくまで、社会法則が人間の頭の中だけではなく、社会の中にも存在していると言うに過ぎず、それは自然科学も同様である。自然科学においても、唯一の正しい理論は存在せず、世界に内在している法則によって人間の理論が制約を受けていると考えるべきである。唯一の正しい理論が世界に内在し、それが「正しい」革命の存在を証明するというのが誤りであることは論を俟たないが、それ以上に、スターリンや毛沢東が非難に値することが明るみになって後、このような宗教じみた主張を展開することは、歴史に学ばない態度と言わざるを得ない。 以上の欠点は、上に挙げた利益を上回って余りあると言わざるを得ない。この本の議論の展開に満足してしまうような読者にとっては、この本の主張は有害でしかないだろう(もっともそのような読者は今日いないであろうと信ずるが)
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結局、この本を読んでも弁証法=共産主義者の詭弁の道具、程度の認識しか得られない。まだ毛沢東が健在である頃に書かれたものだが、その後の文革やソ連の行方を知っている後世の人間からすると、アカの戯れ言はいかなる説得力も持ち得ない。
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