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教科書が教えてくれない「奈良」歴史の謎 ベスト新書
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | ベストセラーズ |
発売年月日 | 2010/06/18 |
JAN | 9784584122860 |
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教科書が教えてくれない「奈良」歴史の謎
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商品レビュー
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4件のお客様レビュー
〈目次〉 第1章 邪馬台国は奈良か、九州か 第2章 神話に見る天皇家の起源 第3章 歴史を動かした人物・聖徳太子 第4章 歴史的な改革劇「大化改新」 第5章 万葉 集がうたう恋と政治的野望 第6章 平城京・一三〇〇年の古都を歩く 第7章 仏教国家の誕生 第8章 新...
〈目次〉 第1章 邪馬台国は奈良か、九州か 第2章 神話に見る天皇家の起源 第3章 歴史を動かした人物・聖徳太子 第4章 歴史的な改革劇「大化改新」 第5章 万葉 集がうたう恋と政治的野望 第6章 平城京・一三〇〇年の古都を歩く 第7章 仏教国家の誕生 第8章 新しい時代の新しい文化 〈内容〉 何か今一つつかめない内容。 学校図書館
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読みやすそうな体裁だけど、案外、集中して読まないと頭に入ってこないところあります。 興味があれば完読できるー、という印象です。
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奈良時代が平安時代の前にあったのは覚えていたのですが、奈良時代は短い(80年程度)というイメージしか持っていなかったのですが、奈良に都があった期間を考えると、古墳時代・飛鳥時代を含めると400年以上になっていた(p15)を認識したことが、この本を読んだ一番の収穫でした。 この...
奈良時代が平安時代の前にあったのは覚えていたのですが、奈良時代は短い(80年程度)というイメージしか持っていなかったのですが、奈良に都があった期間を考えると、古墳時代・飛鳥時代を含めると400年以上になっていた(p15)を認識したことが、この本を読んだ一番の収穫でした。 この本の著者は、昔から多くのテーマについて楽しく読ませていただいている武光氏ですが、今後も今まで余り語られることの少なかった奈良時代やその前の時代について、今後もわかりやすい解説本を書いて欲しいと思いました。 以下は気になったポイントです。 ・平城京は、日本の中心が大和にあった時代に営まれた、現在の奈良市には、大和で文化が栄えた期間の最後の輝きを伝えるものが多く残っている(p14) ・天皇号が作られたのは、7世紀の天武天皇の時代から、厳密に言えば、天皇の起源は7世紀末、天皇の先祖にあたる「大王」と呼ばれた君主は、まき向に出現した(p16) ・日本書紀等は、神武天皇登場直前までを「神代」、それ以降を「人代」としている(p57) ・飛鳥時代よりも前の日本は、文字の無い時代であった、「文字を用いた契約が必要のない時代」である、大和時代までの人びとは地縁で結ばれた共同体の中で信頼しあって生活していた(p76) ・日本書紀の記事の内容は、太子の時代の8,90年前の継体天皇のころから増して行く、継体天皇は、太子の曾祖父で推古天皇の祖父に当たる人(p78) ・法隆寺建設の直前に、日本最古の大寺院である飛鳥寺が完成、別名を法興寺で、飛鳥時代においては最も権威のある官寺であった(p79) ・603年に制定された冠位十二階(徳、仁、礼、信、義、智、色:紫、青、赤、黄、白、黒)は、大宝律令に発展するもので、貴族公家の社会では、明治維新直前まで引き継がれた(p85) ・それまで王宮のあった飛鳥は蘇我氏の勢力圏であったので、 新政権(孝徳天皇)は難波宮へ遷都した(p104) ・20巻から成る万葉集の編集方針は巻ごとにまちまちで、最後に、大友家持とその一族の歌集を加えることによって完成した(p118) ・貴族たちの衣服の襟が左前になるのは、大宝律令の直後辺りである、それまでの日本人は右前であった(p144) ・飛鳥時代の日本人は朝鮮系の学者に倣った六朝風の漢字を書いていたが、平城京遷都の前後頃の720年頃から唐風の書が急速に広まっていく(p145) ・藤原京の中枢は町の中心にあったので使いにくく平城京に移ることになった、町の北側に有力者の屋敷を集めることができないから(p146) ・藤原京の造りが不吉とされる理由として、1)北側の標高が低く、庶民も住む場所が天皇が生活する場所よりも高い(見下ろしている)、2)風水では北に山を置くべきとされているが、南に山があること(p150) ・貴族は単なる支配階級とは異なり、庶民とかけはなれた教養を持ち、普通の人にできない優雅な立ち居振る舞いを日常的にする者である(p188)
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