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大逆事件 死と生の群像
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大逆事件 死と生の群像

田中伸尚【著】

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大逆事件 死と生の群像

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 岩波書店
発売年月日 2010/05/28
JAN 9784000237895

大逆事件

¥220

商品レビュー

4.5

8件のお客様レビュー

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2018/12/03

☆大逆事件の本人及び遺族に焦点を当てた作品 大逆事件そのものの裁判記録とかは無いのだろうか? (関連)大逆事件の全体像、大逆事件と今村力三郎―訴訟記録・大逆事件、大逆事件〈1〉 (今村力三郎訴訟記録)、

Posted by ブクログ

2012/06/28
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

自身の歴史への無知を、これほど恥じたことはない。 思想や信条の自由という日本国憲法で保障されている人権が、明治の日本でいかに軽視されていたのか。施政者の恣意によって、簡単に人の一生が左右されてしまう社会が、つい100年前の日本の姿(正確には太平洋戦争に負ける67年前まで存在していた)だったのだということを、あらためて知ることができた。 田中伸尚「大逆事件 死と性の群像」は、そのことを事件で刑死した人々や、出獄後も苦しい生き方を余儀なくされた人、そして罪に問われた人々の遺族たちの姿を通して、国家が犯した過ちの姿を浮き上がらせた労作だ。 著者の立ち位置は 「大逆事件」は客観的に存在した犯罪事実が裁かれるのではなく、国家にとって都合の悪い思想を殺すためにつくられた「物語」によって個人が有罪にされた事件である(p267) という記述によくあらわれている。 もちろん宮下による爆弾製造や爆弾を使った犯罪の計画はあったが、そこには被害者はなく、あくまでも構想・計画があっただけ。事件の連座者のほとんどは、社会主義思想を弱体化させようとした国家意思によって(著者は元老の山県有朋―首相の桂太郎―大審院次席検事の平沼騏一郎のラインによるフレームアップだとしている)罪をでっち上げられたのだということが、著者や先行する研究者らのこれまでの調査で明らかになってきている。 大逆事件の連座者の一部は1960年に再審請求をしたが、これも東京高裁の不可解な対応で棄却され、最高裁も戦前の司法の犯した過ちを追認してしまった。 この数年、法律的復権ではなく、社会的復権=名誉回復の動きが各地で起きているというが、中にはまだ、地元では話題になるのがタブーとなっている人もいるというから驚かされる。 「大逆事件」で有罪となった人の多くが、冤罪だったとされている。そのことを知らなかった自分が恥ずかしくてたまらない。 今また、人の思想信条を、旗や歌への忠誠心だけで計測し、断罪する風潮がはびこりつつある日本。100年前に奪った人たちの生と死にあらためて思いをはせることは、すこしでもその流れを押し戻す力になるのではないか。 本書を読みながらそう考えた。

Posted by ブクログ

2012/04/22
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

死刑や無期となった26人の遺族・関係者を訪ね歩き、大逆事件100年の全貌を語り尽くさんとした、元新聞記者ならではの労作。 本書を読み進むのは大変な労力であった。 一つ一つの語られる細部の、それらが名もなき無辜の人々の語りなればこそ、それら事実の重さが迫りきて、到底冷静にはなりきれぬ。否応もなく込み上げる憤慨と悲痛にたびたび中断を余儀なくさせられた。 1910(明治43)年といえば、韓国併合(8月)の年であるが、 事件の発端は信州明科爆裂弾事件ーこの年の5月、爆弾製造の疑いで長野県の宮下太吉ら4名が逮捕されたが、この取り調べの中で「明治天皇暗殺計画」なるものが浮上する。それがどれほど現実性を帯びたものであったなどということは当局にとってどうでもよかった。 以降、この事件を口実に数百人に及ぶ社会主義者・無政府主義者に対して取り調べや家宅捜索が行なわれ、根絶やしにする弾圧を、政府が主導、大きくフレームアップされていく。 検察は幸徳秋水や菅野須賀子ら26人を明治天皇暗殺計画容疑として起訴、大審院での非公開の公判は異例のスピードで進められ、翌11年1月18日には、死刑24名、有期刑2名の判決が下された。 だが、なぜか死刑判決の翌19日には、12人が恩赦によって無期に減刑された。その理由はまったく明らかではないが、社会には天皇の恩だけが印象づけられた。「聖恩、逆徒に及ぶ」などと新聞は書き立てた。「逆徒」とされたがゆえに「恩赦」は、無実の人々への死刑判決の誤りをかき消してしまう効果をもったのである。 かくて1月24日には幸徳秋水ら11名が、25日は菅野須賀子が処刑された。 その後、無期刑中に獄死したのは5名、仮出獄できたのは7名に過ぎない。 寡聞にして本書で知りえたもう一つの驚愕的な事実ー この事件の捜査を主導した当時大審院次席検事だった平沼騏一郎は、事件の後、検事総長へと栄進、22(大正11)年には大審院院長、さらに関東大震災後の第二次山本権兵衛内閣で司法大臣に就任し、司法界のトップに立つ。 「大逆事件」で出世街道を歩んだだけでなく、政治の世界にも進出する。 貴族院議員、枢密顧問官、枢密院議長(1936年)などを歴任、旁ら国家主義団体の「国本社」会長を務め、政界への国家主義的な影響力を行使しつづけた。 そしてヒットラー・ドイツの侵略開始直前の39(昭和14)年1月、ついに近衛文麿の後を襲って内閣総理大臣に就任、政治の世界のトップにまで躍り出たのである。 この平沼内閣は、想定外の独ソ不可侵条約調印によって7ヶ月という短命に終るが、なおも政界との関係は切れず、第二、第三次近衛内閣でも国務大臣などを務め、敗戦後の極東国際軍事裁判でA級戦犯として終身禁固刑の判決を受けることとなるのである。

Posted by ブクログ

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