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リハビリの夜 シリーズ ケアをひらく
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 医学書院 |
| 発売年月日 | 2009/12/01 |
| JAN | 9784260010047 |
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リハビリの夜
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リハビリの夜
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商品レビュー
3.9
47件のお客様レビュー
半年かけてじわじわと読み進めました。 守破離と言うけども、そもそもその人にとっての守は何なのかを改めて考えさせられた。隙間、まなざし
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脳性マヒを生まれながら持って生まれた作者が、自身のリハビリの体験と、人間の官能を伴う経験を論じてる本。 脳性マヒは人によって麻痺している部分、運動制限、学習能力が全く異なるが、 リハビリでは正常な動きを規範として、その動きをしないとトレーナーを苛立たせる。 関係性には3つある...
脳性マヒを生まれながら持って生まれた作者が、自身のリハビリの体験と、人間の官能を伴う経験を論じてる本。 脳性マヒは人によって麻痺している部分、運動制限、学習能力が全く異なるが、 リハビリでは正常な動きを規範として、その動きをしないとトレーナーを苛立たせる。 関係性には3つある ほどきつつ、拾い合う関係:お互いの動きが同期するような感じ。 脳性麻痺は身体の中の制御が上手くいかず、自分の意思とは逆に緊張してしまう。ストレッチによって徐々にほぐれていく時に感じる。 まなざし、まなざされる関係:運動目標のズレ。 トレーナーは規範に沿った動きを指導するが、本人は腰や背中の位置すらも分からないため、言った通りにできない。鏡を見せられると自分が手本からかけ離れた姿を見て呆然とし、さらに身体の緊張が高まる。 →退廃的な官能が伴う 加害、被害関係:体から発される信号を拾わずに介入される。暴力的。 リハビリは健常な動きを刷り込むかわりに、敗北の官能を胚胎させた。問題は健常な動きという目標を立ててしまったこと。 過剰な身体協構造のため遊びがなく、人やものと身体外協応構造を結びにくい身体 大枠の目標すらも一旦傍に置いて、 互いに交わり合い、互いの体を知り合おうとするある種の官能的な動因が困難を開く。 目標にこだわる「まなざし、まなざされる関係」 よりも、目標を達成できずに敗北したとしても互いに交わることにある種の悦びを感じて身体が開かれていく「ほどきつつ拾い合う関係」を優先するような心性こそが、互いの身体イメージを取り込むことを可能にし、そこに協応構造を、生み落とす。遠回りだがやがて目標に到達する。 人間は生まれてから不適応期間が長い。 世界との関係の取り結び方や動きのレパートリーを多様に分化することができた。 無力や不適応こそが人間の最大の強み。 便意から考察 便意は腸と自分の意思が反発し、まるで違う生き物のよう 失禁してしまう怖さと、してしまった時の快楽、そして外界からはぐれる 介助者と関わりを持つ中で繋がりを取り結ぶ 「あってはならない」ものと見做しているうちは怯え続けなければならないが、「いつでも誰にでも起こりうるもの」と捉える。 規範を共有することだけでなく、同時に「私たちは気をつけていても規範を踏み外すことがある」という隙間の領域を共有することが、一人一人に自由をもたらす 人間の発達は凍結と解放の繰り返し。 新しい段階に行く時は、一度確立されたものを解体して自由度を高める時期がある。
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現役の小児科医にして脳性まひ当事者である著者の身体感覚、リハビリについての想い。 障がいのある人がリハビリをして、「普通」に動けるようになること。それっていいことでは?という感覚がすでに上から目線だと思った。 動けるのが「良い」動けないのが「悪い」ではなく、それぞれにできるこ...
現役の小児科医にして脳性まひ当事者である著者の身体感覚、リハビリについての想い。 障がいのある人がリハビリをして、「普通」に動けるようになること。それっていいことでは?という感覚がすでに上から目線だと思った。 動けるのが「良い」動けないのが「悪い」ではなく、それぞれにできることとできないことがある、ただそれだけのことなんだよなぁと思ったり。 印象的だった一文 「ある偽善的な女子大生トレイナーが私のところにやってきて、私の手をとって私の周りをぐるぐると回り始めた。偽善というのは、脂ぎってギラギラしているからすぐにわかる。キャンプファイヤーの炎は、彼女の顔にみなぎる偽善の脂を、じゅうじゅうと燃やした。すでにひねくれ始めていた私は、「障害児とも踊る私」という押しつけがましい自意識をその女子大生から感じ取ってしまい、むすっとしていた。」 ケアされる側からの見方。自分も心をチクリと刺されるようなそんな感覚。 以下メモ ・規範の多重性を持ち合うことによって、世界にそそぐまなざしを複眼的にしつつ他者とそろえていくのは、決して二者のあいだにある身体的な差異を抹消するような融和ではない。差異を差異として認識しつつ同一の対象に注ぐまなざしを複眼的にしていく作業だ。それは差異を持った人間が同じ世界に住むことによって、世界の意味がますます芳醇に分節化しているプロセスだともいえるだろう。 ・私が拒食を通して経験したのは、規範を取り込むことに失敗した人間が、規範の内容をすり替えながらも結局のところ自己を監視するまなざしから逃れられずに、「私しかいない場所」へと一人耽っていくという事態だった。そこには交渉可能な生身の他者がいなかったのである。
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