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リハビリの夜 シリーズ ケアをひらく
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リハビリの夜 シリーズ ケアをひらく

熊谷晋一郎(著者)

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リハビリの夜 シリーズ ケアをひらく

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 医学書院
発売年月日 2009/12/01
JAN 9784260010047

リハビリの夜

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商品レビュー

3.9

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2026/02/28

脳性マヒを生まれながら持って生まれた作者が、自身のリハビリの体験と、人間の官能を伴う経験を論じてる本。 脳性マヒは人によって麻痺している部分、運動制限、学習能力が全く異なるが、 リハビリでは正常な動きを規範として、その動きをしないとトレーナーを苛立たせる。 関係性には3つある...

脳性マヒを生まれながら持って生まれた作者が、自身のリハビリの体験と、人間の官能を伴う経験を論じてる本。 脳性マヒは人によって麻痺している部分、運動制限、学習能力が全く異なるが、 リハビリでは正常な動きを規範として、その動きをしないとトレーナーを苛立たせる。 関係性には3つある ほどきつつ、拾い合う関係:お互いの動きが同期するような感じ。 脳性麻痺は身体の中の制御が上手くいかず、自分の意思とは逆に緊張してしまう。ストレッチによって徐々にほぐれていく時に感じる。 まなざし、まなざされる関係:運動目標のズレ。 トレーナーは規範に沿った動きを指導するが、本人は腰や背中の位置すらも分からないため、言った通りにできない。鏡を見せられると自分が手本からかけ離れた姿を見て呆然とし、さらに身体の緊張が高まる。 →退廃的な官能が伴う 加害、被害関係:体から発される信号を拾わずに介入される。暴力的。 リハビリは健常な動きを刷り込むかわりに、敗北の官能を胚胎させた。問題は健常な動きという目標を立ててしまったこと。 過剰な身体協構造のため遊びがなく、人やものと身体外協応構造を結びにくい身体 大枠の目標すらも一旦傍に置いて、 互いに交わり合い、互いの体を知り合おうとするある種の官能的な動因が困難を開く。 目標にこだわる「まなざし、まなざされる関係」 よりも、目標を達成できずに敗北したとしても互いに交わることにある種の悦びを感じて身体が開かれていく「ほどきつつ拾い合う関係」を優先するような心性こそが、互いの身体イメージを取り込むことを可能にし、そこに協応構造を、生み落とす。遠回りだがやがて目標に到達する。 人間は生まれてから不適応期間が長い。 世界との関係の取り結び方や動きのレパートリーを多様に分化することができた。 無力や不適応こそが人間の最大の強み。 便意から考察 便意は腸と自分の意思が反発し、まるで違う生き物のよう 失禁してしまう怖さと、してしまった時の快楽、そして外界からはぐれる 介助者と関わりを持つ中で繋がりを取り結ぶ 「あってはならない」ものと見做しているうちは怯え続けなければならないが、「いつでも誰にでも起こりうるもの」と捉える。 規範を共有することだけでなく、同時に「私たちは気をつけていても規範を踏み外すことがある」という隙間の領域を共有することが、一人一人に自由をもたらす 人間の発達は凍結と解放の繰り返し。 新しい段階に行く時は、一度確立されたものを解体して自由度を高める時期がある。

Posted by ブクログ

2025/12/17

現役の小児科医にして脳性まひ当事者である著者の身体感覚、リハビリについての想い。 障がいのある人がリハビリをして、「普通」に動けるようになること。それっていいことでは?という感覚がすでに上から目線だと思った。 動けるのが「良い」動けないのが「悪い」ではなく、それぞれにできるこ...

現役の小児科医にして脳性まひ当事者である著者の身体感覚、リハビリについての想い。 障がいのある人がリハビリをして、「普通」に動けるようになること。それっていいことでは?という感覚がすでに上から目線だと思った。 動けるのが「良い」動けないのが「悪い」ではなく、それぞれにできることとできないことがある、ただそれだけのことなんだよなぁと思ったり。 印象的だった一文 「ある偽善的な女子大生トレイナーが私のところにやってきて、私の手をとって私の周りをぐるぐると回り始めた。偽善というのは、脂ぎってギラギラしているからすぐにわかる。キャンプファイヤーの炎は、彼女の顔にみなぎる偽善の脂を、じゅうじゅうと燃やした。すでにひねくれ始めていた私は、「障害児とも踊る私」という押しつけがましい自意識をその女子大生から感じ取ってしまい、むすっとしていた。」 ケアされる側からの見方。自分も心をチクリと刺されるようなそんな感覚。 以下メモ ・規範の多重性を持ち合うことによって、世界にそそぐまなざしを複眼的にしつつ他者とそろえていくのは、決して二者のあいだにある身体的な差異を抹消するような融和ではない。差異を差異として認識しつつ同一の対象に注ぐまなざしを複眼的にしていく作業だ。それは差異を持った人間が同じ世界に住むことによって、世界の意味がますます芳醇に分節化しているプロセスだともいえるだろう。 ・私が拒食を通して経験したのは、規範を取り込むことに失敗した人間が、規範の内容をすり替えながらも結局のところ自己を監視するまなざしから逃れられずに、「私しかいない場所」へと一人耽っていくという事態だった。そこには交渉可能な生身の他者がいなかったのである。

Posted by ブクログ

2025/10/24
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

何人かに勧められた本作、ようやく読めました! 言語化これでもしきれていないと著者は思っているのだと思うのだが、結構伝わってきました。というか脳性まひ当事者の身体性に対する言語化を読んだことがないので、n=1だというのはわかっているが、なるほど、、と思ったし、自分の身体性や他人との関わりは他者との比較で言語化できることもあるので、自分のことを見つめるヒントになって面白かったし、共感する部分もたくさんあった。 以下気になった/好きだったところ 文化人類学者の小田は、元来、「性的快楽には、男女の別なく、幼児制欲にも似た受動性と社会的人格喪失という特徴がある」という。これを本書の言葉に翻訳すれば、「いやおうなしに(受動的に)、規範から逸脱する」という「敗北の官能」のモチーフが、男女に共通する性的快楽の条件だということになる。(p.136) … しかし小田は、「それ(ポルノ)を見ている男は、そこに登場する男たちに自分を同一化させ、女を屈服させているという快感を得ているのではおそらくない」と述べる。そして、「男がポルノグラフィに魅かれるのは女性が体現している受動性・受容性に対する憧れにある」とするG・ホロヴィッツとM・カウフマンの説を引きつつ…ポルノに身をこわらばせる男子は創造的な取り込み作業を通じて、女の「敗北の官能」を追体験しているということになる(p.137) (文化人類学者の小田亮氏…?あまり著作がない?) 注13:…あらかじめ性的に「自然な」衝動があり、それが権力や身体的な制限によって抑圧されたのではなく、むしろ、権力や身体的な制限によって惹き起こされる抑圧された感覚の中にある甘美なものが、セクシュアリティを産み育てる源だったというほうが腑に落ちるのである。疎外感や身体的な制限なしに、私のセクシュアリティが現在のような形をとることは考えにくい (p.241) 《マゾヒズムはエロス的空想を意図的に演じることであって、そこで主体は自分自身の挫折を演じているように見える》(p.147) 身体内協応構造にしろ、身体外協応構造にしろ、そこに空いた隙間は、つながろうとしてもなお残る、つながれなさのことである。この隙間は、私と人とのあいだにも、私とモノとのあいだにも、私と私の身体とのあいだにもある。 しかし、人間はこのつながれなさを持っているからこそ、その隙間を埋めるように、他の人とつながるための言葉をつむぐのだし、外界にあるモノや自己身体との対話や手探りを通して、対象のイメージを繊細に分節化していくのである。もしも人間につながれなさがないならば、言葉もイメージも必要なくなってしまうだろう。…(p.208) 排泄規範に限らずあらゆる規範というものは、「あってはならない」運動・行動の領域を設定する。しかし私の経験を通して言えることは、失禁を「あってはならないもの」とみなしているうちは、いつ攻撃してくるかわからない便意との密室的関係に怯え続けなくてはならない、ということだ。むしろ失禁を「いつでも誰にでも起こりうるもの」と捉えて、失禁してもなんとかなるという見通しを周囲の人々と共有することによって、初めて便意との密室的な緊迫感から解放されるのである(p.220) 「もう一度隙間をつくってみる」 …そうしたらパートナーのほうもここ最近、なんとなく私の中に「やってもらうことが当たり前」な部分が増えていることに気づき、身体化される危機感を覚えていたとのことだった。私たちは仕切りなおして、今後どのようにヘルパーさんに入ってもらうかなどについて話し合った。このような「仕切りなおし」は、協応構造で習慣的に流れていく日常をしばし止める。そして、お互いのあいだにあいた隙間を無視せずに、隙間の中で対話することを意味する。それは、互いの現状を見つめなおし、協応構造をつむぎなおす、大切な作業であると私は思う。(p.228)

Posted by ブクログ