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リハビリの夜 シリーズ ケアをひらく
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 医学書院 |
| 発売年月日 | 2009/12/01 |
| JAN | 9784260010047 |
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リハビリの夜
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リハビリの夜
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商品レビュー
3.9
45件のお客様レビュー
現役の小児科医にして脳性まひ当事者である著者の身体感覚、リハビリについての想い。 障がいのある人がリハビリをして、「普通」に動けるようになること。それっていいことでは?という感覚がすでに上から目線だと思った。 動けるのが「良い」動けないのが「悪い」ではなく、それぞれにできるこ...
現役の小児科医にして脳性まひ当事者である著者の身体感覚、リハビリについての想い。 障がいのある人がリハビリをして、「普通」に動けるようになること。それっていいことでは?という感覚がすでに上から目線だと思った。 動けるのが「良い」動けないのが「悪い」ではなく、それぞれにできることとできないことがある、ただそれだけのことなんだよなぁと思ったり。 印象的だった一文 「ある偽善的な女子大生トレイナーが私のところにやってきて、私の手をとって私の周りをぐるぐると回り始めた。偽善というのは、脂ぎってギラギラしているからすぐにわかる。キャンプファイヤーの炎は、彼女の顔にみなぎる偽善の脂を、じゅうじゅうと燃やした。すでにひねくれ始めていた私は、「障害児とも踊る私」という押しつけがましい自意識をその女子大生から感じ取ってしまい、むすっとしていた。」 ケアされる側からの見方。自分も心をチクリと刺されるようなそんな感覚。 以下メモ ・規範の多重性を持ち合うことによって、世界にそそぐまなざしを複眼的にしつつ他者とそろえていくのは、決して二者のあいだにある身体的な差異を抹消するような融和ではない。差異を差異として認識しつつ同一の対象に注ぐまなざしを複眼的にしていく作業だ。それは差異を持った人間が同じ世界に住むことによって、世界の意味がますます芳醇に分節化しているプロセスだともいえるだろう。 ・私が拒食を通して経験したのは、規範を取り込むことに失敗した人間が、規範の内容をすり替えながらも結局のところ自己を監視するまなざしから逃れられずに、「私しかいない場所」へと一人耽っていくという事態だった。そこには交渉可能な生身の他者がいなかったのである。
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何人かに勧められた本作、ようやく読めました! 言語化これでもしきれていないと著者は思っているのだと思うのだが、結構伝わってきました。というか脳性まひ当事者の身体性に対する言語化を読んだことがないので、n=1だというのはわかっているが、なるほど、、と思ったし、自分の身体性や他人との関わりは他者との比較で言語化できることもあるので、自分のことを見つめるヒントになって面白かったし、共感する部分もたくさんあった。 以下気になった/好きだったところ 文化人類学者の小田は、元来、「性的快楽には、男女の別なく、幼児制欲にも似た受動性と社会的人格喪失という特徴がある」という。これを本書の言葉に翻訳すれば、「いやおうなしに(受動的に)、規範から逸脱する」という「敗北の官能」のモチーフが、男女に共通する性的快楽の条件だということになる。(p.136) … しかし小田は、「それ(ポルノ)を見ている男は、そこに登場する男たちに自分を同一化させ、女を屈服させているという快感を得ているのではおそらくない」と述べる。そして、「男がポルノグラフィに魅かれるのは女性が体現している受動性・受容性に対する憧れにある」とするG・ホロヴィッツとM・カウフマンの説を引きつつ…ポルノに身をこわらばせる男子は創造的な取り込み作業を通じて、女の「敗北の官能」を追体験しているということになる(p.137) (文化人類学者の小田亮氏…?あまり著作がない?) 注13:…あらかじめ性的に「自然な」衝動があり、それが権力や身体的な制限によって抑圧されたのではなく、むしろ、権力や身体的な制限によって惹き起こされる抑圧された感覚の中にある甘美なものが、セクシュアリティを産み育てる源だったというほうが腑に落ちるのである。疎外感や身体的な制限なしに、私のセクシュアリティが現在のような形をとることは考えにくい (p.241) 《マゾヒズムはエロス的空想を意図的に演じることであって、そこで主体は自分自身の挫折を演じているように見える》(p.147) 身体内協応構造にしろ、身体外協応構造にしろ、そこに空いた隙間は、つながろうとしてもなお残る、つながれなさのことである。この隙間は、私と人とのあいだにも、私とモノとのあいだにも、私と私の身体とのあいだにもある。 しかし、人間はこのつながれなさを持っているからこそ、その隙間を埋めるように、他の人とつながるための言葉をつむぐのだし、外界にあるモノや自己身体との対話や手探りを通して、対象のイメージを繊細に分節化していくのである。もしも人間につながれなさがないならば、言葉もイメージも必要なくなってしまうだろう。…(p.208) 排泄規範に限らずあらゆる規範というものは、「あってはならない」運動・行動の領域を設定する。しかし私の経験を通して言えることは、失禁を「あってはならないもの」とみなしているうちは、いつ攻撃してくるかわからない便意との密室的関係に怯え続けなくてはならない、ということだ。むしろ失禁を「いつでも誰にでも起こりうるもの」と捉えて、失禁してもなんとかなるという見通しを周囲の人々と共有することによって、初めて便意との密室的な緊迫感から解放されるのである(p.220) 「もう一度隙間をつくってみる」 …そうしたらパートナーのほうもここ最近、なんとなく私の中に「やってもらうことが当たり前」な部分が増えていることに気づき、身体化される危機感を覚えていたとのことだった。私たちは仕切りなおして、今後どのようにヘルパーさんに入ってもらうかなどについて話し合った。このような「仕切りなおし」は、協応構造で習慣的に流れていく日常をしばし止める。そして、お互いのあいだにあいた隙間を無視せずに、隙間の中で対話することを意味する。それは、互いの現状を見つめなおし、協応構造をつむぎなおす、大切な作業であると私は思う。(p.228)
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脳性まひの当事者が語る自らの身体。 正直、この本の中で最も大事なキーポイントの一つである、ぎりぎりまで高まった身体の緊張が一気にほどけ体が弛緩する時の「敗北の官能」と表現されている感覚が、最後までピンとこなかった。 そこにエロスを感じる感覚というのがさっぱり理解できない。なぜそれ...
脳性まひの当事者が語る自らの身体。 正直、この本の中で最も大事なキーポイントの一つである、ぎりぎりまで高まった身体の緊張が一気にほどけ体が弛緩する時の「敗北の官能」と表現されている感覚が、最後までピンとこなかった。 そこにエロスを感じる感覚というのがさっぱり理解できない。なぜそれが官能的なんだ……。 とはいえ、脳性まひの人の体のあり方、世界の見え方が書かれているものを読むのは初めてで、とても興味深かった。 トレイナーとの関係や便意との付き合い、トイレと協応構造を取り結んでいく過程など、自分には自明のこととして意識せずできてしまう行為の一つ一つを目の前で解剖されているようで、解像度が高まった。とても面白い。 そして、この本の最後の方を読んでいた時、ふっと唐突に理解した。 障害を持つ人たちは「二世(二つの世界)」を生きているんだ。 障害を通して見るこの世界はおそらく全く別の世界で、彼らはこの世界に生きながら同時に別の世界も見ているんだ。 一般的に、第三者がその人にとっての「世界」を見ることはなかなか難しいから、私たちは別の世界を理解したい時、優れた文化人類学者や社会学者のフィールドワークをよすがとする。 いわばこの当事者本は脳性まひ世界のフィールドワーク本で、この筆者は賢いから、普通は第三者じゃないとできないフィールドワークを、自ら視座を相対化して「二世」の差異を言語化し、読者に経験させてくれているのだ。 そこにこの本の面白さがあり、そして私は、「二世」を知ることがとてもとても好きなのだ。 と気づき、とてもわくわくした。
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