リハビリの夜 の商品レビュー
脳性マヒを生まれながら持って生まれた作者が、自身のリハビリの体験と、人間の官能を伴う経験を論じてる本。 脳性マヒは人によって麻痺している部分、運動制限、学習能力が全く異なるが、 リハビリでは正常な動きを規範として、その動きをしないとトレーナーを苛立たせる。 関係性には3つある...
脳性マヒを生まれながら持って生まれた作者が、自身のリハビリの体験と、人間の官能を伴う経験を論じてる本。 脳性マヒは人によって麻痺している部分、運動制限、学習能力が全く異なるが、 リハビリでは正常な動きを規範として、その動きをしないとトレーナーを苛立たせる。 関係性には3つある ほどきつつ、拾い合う関係:お互いの動きが同期するような感じ。 脳性麻痺は身体の中の制御が上手くいかず、自分の意思とは逆に緊張してしまう。ストレッチによって徐々にほぐれていく時に感じる。 まなざし、まなざされる関係:運動目標のズレ。 トレーナーは規範に沿った動きを指導するが、本人は腰や背中の位置すらも分からないため、言った通りにできない。鏡を見せられると自分が手本からかけ離れた姿を見て呆然とし、さらに身体の緊張が高まる。 →退廃的な官能が伴う 加害、被害関係:体から発される信号を拾わずに介入される。暴力的。 リハビリは健常な動きを刷り込むかわりに、敗北の官能を胚胎させた。問題は健常な動きという目標を立ててしまったこと。 過剰な身体協構造のため遊びがなく、人やものと身体外協応構造を結びにくい身体 大枠の目標すらも一旦傍に置いて、 互いに交わり合い、互いの体を知り合おうとするある種の官能的な動因が困難を開く。 目標にこだわる「まなざし、まなざされる関係」 よりも、目標を達成できずに敗北したとしても互いに交わることにある種の悦びを感じて身体が開かれていく「ほどきつつ拾い合う関係」を優先するような心性こそが、互いの身体イメージを取り込むことを可能にし、そこに協応構造を、生み落とす。遠回りだがやがて目標に到達する。 人間は生まれてから不適応期間が長い。 世界との関係の取り結び方や動きのレパートリーを多様に分化することができた。 無力や不適応こそが人間の最大の強み。 便意から考察 便意は腸と自分の意思が反発し、まるで違う生き物のよう 失禁してしまう怖さと、してしまった時の快楽、そして外界からはぐれる 介助者と関わりを持つ中で繋がりを取り結ぶ 「あってはならない」ものと見做しているうちは怯え続けなければならないが、「いつでも誰にでも起こりうるもの」と捉える。 規範を共有することだけでなく、同時に「私たちは気をつけていても規範を踏み外すことがある」という隙間の領域を共有することが、一人一人に自由をもたらす 人間の発達は凍結と解放の繰り返し。 新しい段階に行く時は、一度確立されたものを解体して自由度を高める時期がある。
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現役の小児科医にして脳性まひ当事者である著者の身体感覚、リハビリについての想い。 障がいのある人がリハビリをして、「普通」に動けるようになること。それっていいことでは?という感覚がすでに上から目線だと思った。 動けるのが「良い」動けないのが「悪い」ではなく、それぞれにできるこ...
現役の小児科医にして脳性まひ当事者である著者の身体感覚、リハビリについての想い。 障がいのある人がリハビリをして、「普通」に動けるようになること。それっていいことでは?という感覚がすでに上から目線だと思った。 動けるのが「良い」動けないのが「悪い」ではなく、それぞれにできることとできないことがある、ただそれだけのことなんだよなぁと思ったり。 印象的だった一文 「ある偽善的な女子大生トレイナーが私のところにやってきて、私の手をとって私の周りをぐるぐると回り始めた。偽善というのは、脂ぎってギラギラしているからすぐにわかる。キャンプファイヤーの炎は、彼女の顔にみなぎる偽善の脂を、じゅうじゅうと燃やした。すでにひねくれ始めていた私は、「障害児とも踊る私」という押しつけがましい自意識をその女子大生から感じ取ってしまい、むすっとしていた。」 ケアされる側からの見方。自分も心をチクリと刺されるようなそんな感覚。 以下メモ ・規範の多重性を持ち合うことによって、世界にそそぐまなざしを複眼的にしつつ他者とそろえていくのは、決して二者のあいだにある身体的な差異を抹消するような融和ではない。差異を差異として認識しつつ同一の対象に注ぐまなざしを複眼的にしていく作業だ。それは差異を持った人間が同じ世界に住むことによって、世界の意味がますます芳醇に分節化しているプロセスだともいえるだろう。 ・私が拒食を通して経験したのは、規範を取り込むことに失敗した人間が、規範の内容をすり替えながらも結局のところ自己を監視するまなざしから逃れられずに、「私しかいない場所」へと一人耽っていくという事態だった。そこには交渉可能な生身の他者がいなかったのである。
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何人かに勧められた本作、ようやく読めました! 言語化これでもしきれていないと著者は思っているのだと思うのだが、結構伝わってきました。というか脳性まひ当事者の身体性に対する言語化を読んだことがないので、n=1だというのはわかっているが、なるほど、、と思ったし、自分の身体性や他人との関わりは他者との比較で言語化できることもあるので、自分のことを見つめるヒントになって面白かったし、共感する部分もたくさんあった。 以下気になった/好きだったところ 文化人類学者の小田は、元来、「性的快楽には、男女の別なく、幼児制欲にも似た受動性と社会的人格喪失という特徴がある」という。これを本書の言葉に翻訳すれば、「いやおうなしに(受動的に)、規範から逸脱する」という「敗北の官能」のモチーフが、男女に共通する性的快楽の条件だということになる。(p.136) … しかし小田は、「それ(ポルノ)を見ている男は、そこに登場する男たちに自分を同一化させ、女を屈服させているという快感を得ているのではおそらくない」と述べる。そして、「男がポルノグラフィに魅かれるのは女性が体現している受動性・受容性に対する憧れにある」とするG・ホロヴィッツとM・カウフマンの説を引きつつ…ポルノに身をこわらばせる男子は創造的な取り込み作業を通じて、女の「敗北の官能」を追体験しているということになる(p.137) (文化人類学者の小田亮氏…?あまり著作がない?) 注13:…あらかじめ性的に「自然な」衝動があり、それが権力や身体的な制限によって抑圧されたのではなく、むしろ、権力や身体的な制限によって惹き起こされる抑圧された感覚の中にある甘美なものが、セクシュアリティを産み育てる源だったというほうが腑に落ちるのである。疎外感や身体的な制限なしに、私のセクシュアリティが現在のような形をとることは考えにくい (p.241) 《マゾヒズムはエロス的空想を意図的に演じることであって、そこで主体は自分自身の挫折を演じているように見える》(p.147) 身体内協応構造にしろ、身体外協応構造にしろ、そこに空いた隙間は、つながろうとしてもなお残る、つながれなさのことである。この隙間は、私と人とのあいだにも、私とモノとのあいだにも、私と私の身体とのあいだにもある。 しかし、人間はこのつながれなさを持っているからこそ、その隙間を埋めるように、他の人とつながるための言葉をつむぐのだし、外界にあるモノや自己身体との対話や手探りを通して、対象のイメージを繊細に分節化していくのである。もしも人間につながれなさがないならば、言葉もイメージも必要なくなってしまうだろう。…(p.208) 排泄規範に限らずあらゆる規範というものは、「あってはならない」運動・行動の領域を設定する。しかし私の経験を通して言えることは、失禁を「あってはならないもの」とみなしているうちは、いつ攻撃してくるかわからない便意との密室的関係に怯え続けなくてはならない、ということだ。むしろ失禁を「いつでも誰にでも起こりうるもの」と捉えて、失禁してもなんとかなるという見通しを周囲の人々と共有することによって、初めて便意との密室的な緊迫感から解放されるのである(p.220) 「もう一度隙間をつくってみる」 …そうしたらパートナーのほうもここ最近、なんとなく私の中に「やってもらうことが当たり前」な部分が増えていることに気づき、身体化される危機感を覚えていたとのことだった。私たちは仕切りなおして、今後どのようにヘルパーさんに入ってもらうかなどについて話し合った。このような「仕切りなおし」は、協応構造で習慣的に流れていく日常をしばし止める。そして、お互いのあいだにあいた隙間を無視せずに、隙間の中で対話することを意味する。それは、互いの現状を見つめなおし、協応構造をつむぎなおす、大切な作業であると私は思う。(p.228)
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脳性まひの当事者が語る自らの身体。 正直、この本の中で最も大事なキーポイントの一つである、ぎりぎりまで高まった身体の緊張が一気にほどけ体が弛緩する時の「敗北の官能」と表現されている感覚が、最後までピンとこなかった。 そこにエロスを感じる感覚というのがさっぱり理解できない。なぜそれ...
脳性まひの当事者が語る自らの身体。 正直、この本の中で最も大事なキーポイントの一つである、ぎりぎりまで高まった身体の緊張が一気にほどけ体が弛緩する時の「敗北の官能」と表現されている感覚が、最後までピンとこなかった。 そこにエロスを感じる感覚というのがさっぱり理解できない。なぜそれが官能的なんだ……。 とはいえ、脳性まひの人の体のあり方、世界の見え方が書かれているものを読むのは初めてで、とても興味深かった。 トレイナーとの関係や便意との付き合い、トイレと協応構造を取り結んでいく過程など、自分には自明のこととして意識せずできてしまう行為の一つ一つを目の前で解剖されているようで、解像度が高まった。とても面白い。 そして、この本の最後の方を読んでいた時、ふっと唐突に理解した。 障害を持つ人たちは「二世(二つの世界)」を生きているんだ。 障害を通して見るこの世界はおそらく全く別の世界で、彼らはこの世界に生きながら同時に別の世界も見ているんだ。 一般的に、第三者がその人にとっての「世界」を見ることはなかなか難しいから、私たちは別の世界を理解したい時、優れた文化人類学者や社会学者のフィールドワークをよすがとする。 いわばこの当事者本は脳性まひ世界のフィールドワーク本で、この筆者は賢いから、普通は第三者じゃないとできないフィールドワークを、自ら視座を相対化して「二世」の差異を言語化し、読者に経験させてくれているのだ。 そこにこの本の面白さがあり、そして私は、「二世」を知ることがとてもとても好きなのだ。 と気づき、とてもわくわくした。
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「ヤバい、超面白い」という星野源さんの帯につられて読んだが、本当に超面白くて一気に読んでしまった。医学書とのことだが、かなり読みやすい。 脳性まひ当事者で小児科医の熊谷晋一郎さんが、ご自身のリハビリ体験を綴った本。幼少期のリハビリ体験はかなり辛いものでもあっただろうが、悲壮感は...
「ヤバい、超面白い」という星野源さんの帯につられて読んだが、本当に超面白くて一気に読んでしまった。医学書とのことだが、かなり読みやすい。 脳性まひ当事者で小児科医の熊谷晋一郎さんが、ご自身のリハビリ体験を綴った本。幼少期のリハビリ体験はかなり辛いものでもあっただろうが、悲壮感は一切なく淡々とつづられ、ときにくすりとさせられる軽やかな筆致だ。 リハビリテーションのあり方について、考えさせられる。健常者の動きを目標としたリハビリは、障害者に健常者への「同化」を求めることで、それはときに虐待や加害につながりかねず、障害者の人権侵害となりうる。また「障害のある身体を受容する」という考え方が、ケアする側に都合よく使われることにも警戒しなければならない。 著者はそうしたリハビリにおける抑圧を経験するうちに、一種のマゾヒズムである「敗北の官能」が胚胎したとのことだが、たとえばトイレに間に合わなくて失禁してしまったときなど、張り詰めた緊張が一気に弛緩したときの、敗北感や屈辱と同時に感じられるなんとも言えない恍惚は、わりと普遍的に誰もが感じうるものなのではないかと思った。 「健常な動き」を目標として自立を目指すよりも、周囲のモノや他者による介助を前提として身体を開いていくことによって、以前より出来ることが増えていくさまは興味深かった。絶対に失禁してはならないと常に緊張していたときより、失禁したらしたで仕方ない、失禁してしまっても何とかなると考えるようになってからの方が、失禁してしまう回数が減ったというのが示唆的だ。 本書は障害者支援がテーマだが、他者(自身の身体も含む)と“ほどきつつ拾い合う関係”を構築することや、自身の身体や周囲の環境と対話し交渉していくことは、健常者にとっても必要不可欠なことだと感じる。
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医学書ならではの難しさも確実にあるのだけど、脳性まひ当事者である筆者だからこそ見ることができる、そして体感することができる世界、辿り着くことができる思考法を本書を通して追体験するような不思議な読書だった。「身体が動く」という当たり前が揺さぶられた。
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脳性まひの小児科医が リハビリを通じて自らの身体と向き合う、当事者研究である その知見を通して、身体的衰えをこう捉える 『衰えはある意味「敗北」であるが、それは同時に「許し」でもあり「つながりの回復」である。そしてその回復の過程には官能を伴うのだ』
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官能という言葉が沢山出てくる。読んでるだけで、悶えてしまった。すごい。こんなに丁寧に身体と感覚について書かれている本、見たことない。 脳性麻痺当事者のエッセイだけど、健常者にはたどり着けそうもない感覚が書き連ねてあって……恥ずかしくなる。身体が動くって『身体と心理と脳の繋がり』を考えなくていいって事なのねと思ってしまった。 序章 リハビリキャンプ リハビリキャンプの様子や腹ばい競争に負けたことなどから『敗北の官能』について書いていくよということがさらっと書いてある。 第六章 隙間に「自由」が宿る 最後は排泄の話から人と繋がり、『人は時々間違うモノ』という逸脱規範を許す……緩みの時間も大切。 また、頼り過ぎて不安になるのも問題なので、『問題が起きたときに組み直す』という話が書かれていた。 『凍結』と『解放』を人は繰り返している。たしかに、固定化された関係性は心地いいけど息苦しくもなる。解放はその瞬間はホッとしても『新しく組み直す』のは手間だったりする。 でも、それを繰り返すしかないんだよな。 ラストは『衰え』について。 40代……身に染みる話過ぎる。30代もじわじわ来るけど、40超えると若さはないなと思う。肉体は衰える。でも、精神的には楽になってる感じ。不安がないわけではないけど、『どうにかなる』の開き直りの境地は年を取ればとるほど強くなる気がする。ただ、これ悪い時もあるので取り扱いは注意。 官能についてなので性の話も多かったけど、脳と身体と心理の繋がりが興味深かった。 健常者にはたどり着けない気がする。 本当に心地いいのは、ほどきつつ拾い合う関係……いいなと思う。読めて良かった本。
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医学書は初めて読んだが、驚くほど面白かった。脳性麻痺によって健常者と同じような動きをイメージはするものの、そこから対人と対モノとの対話によって身体的協応構造が作られていく。私には到底考えつかない。自分の体への深い洞察、そして遊びに溢れていた一冊だったと思う。 健常者と同じよう...
医学書は初めて読んだが、驚くほど面白かった。脳性麻痺によって健常者と同じような動きをイメージはするものの、そこから対人と対モノとの対話によって身体的協応構造が作られていく。私には到底考えつかない。自分の体への深い洞察、そして遊びに溢れていた一冊だったと思う。 健常者と同じように動けるようになるという運動はリハビリをする側からするとかなりきつい経験なんだな、ということが、この本から学べたことだ。そのことが実感を伴って心にすっと入ってきたのは、この筆者の表現力があってこそだと思う。 職業柄、脳性麻痺を患う人と関わることが多少あるので、彼らがその時にどんなことを感じて我々と接しているのかというのが少し分かった気がした。それだけでも、この本の価値というのは私にとってとても大きいものだと思う。とても面白かった。
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筆者が医者であり脳性まひの当事者である。したがって、自分のリハビリの体験、リハビリキャンプの体験、自分の生活まで理論も含めて非常に丁寧に記載しているので、知らなかったことが多い。 リハビリを中心に書いてあるので、障害を持っている学生にとっては役立つ。しかし、自分の大学生活がどう...
筆者が医者であり脳性まひの当事者である。したがって、自分のリハビリの体験、リハビリキャンプの体験、自分の生活まで理論も含めて非常に丁寧に記載しているので、知らなかったことが多い。 リハビリを中心に書いてあるので、障害を持っている学生にとっては役立つ。しかし、自分の大学生活がどうであったかについてはあまり書いていないので、障害を持った学生の大学での生活について直接役立つかどうかはわからない。
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