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身体の文学史 新潮選書
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 新潮社 |
発売年月日 | 2010/02/25 |
JAN | 9784106036354 |
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身体の文学史
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商品レビュー
3.5
2件のお客様レビュー
意識の最たる活動であることば、文学。それらが身体という存在をどのように扱ってきたのか。文学における身体の見方。 江戸時代はその社会システムや文化システムから何かと再評価されるのは、単に時代が近く、文献が豊富だからというだけではなく、徹底した中世の排除、身体の抑圧を推し進めた脳化し...
意識の最たる活動であることば、文学。それらが身体という存在をどのように扱ってきたのか。文学における身体の見方。 江戸時代はその社会システムや文化システムから何かと再評価されるのは、単に時代が近く、文献が豊富だからというだけではなく、徹底した中世の排除、身体の抑圧を推し進めた脳化した社会であったからではないか。 そして、心理的な部分はある意味身分やシステムといったラベルで象られ、そこで判断される。一方で明治に入ると、身体の抑圧はそのまま、そうした心理的な部分のラベルが解体されるため、'私'という型で微分的に心理を描かざるを得なかった。夏目漱石や福沢諭吉の存在はこの微分方程式の延長線上に存在する。 芥川の中世の再発見は、中世の身体観を文学、心理レベルに落とし込むことであった。スタンダールやバルザックが通ってきた道と同じであったかもしれない。やたらうがった見方というか、生々しい人間臭さは身体観を心理的に表現したからに他ならない。 こうして身体は文学の名のもとに抑圧されていく。自然主義とは、生々しい中世のものではなく、とこまでも美しく、素朴化した心理表現の、脳みそ機能による身体の隠蔽のように感じられる。三島由紀夫の割腹自殺はどこまでも意識化を進めた果ての身体観の喪失か、はたまた身体の反乱か。 古典の現代語訳や再発見は、どうしても今の視点から逃れられない。いつだったか見た枕草子の現代語訳。古典を今の意識化と身体の抑圧で語ってしまうことの違和感の正体はこれか。平安文学が江戸時代に国学として再発見されるのもおそらく、平安文学がどことなく貴族による徹底した身体の隠蔽に起因する可能性がある。 ただ、平安文学の場合は、社会的に身体は隠蔽されていたのではなく、生活の切っても切り離せないところにいつも存在していたのだと思っている。平安貴族にとって、身体はあえて表現をするまでもない自明のものだったのかもしれない。
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いやはや危険な本である。 危険というのは、悪という意味ではない。 「ああすれば、こうなる」という因果関係。 これが自然の摂理だと思っていた自分だが、それを真っ向から打ち崩され、今、意識が混濁している。 そう、因果関係など、脳みそが都合良く作り出した、人工物に他ならないのだ。
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