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金融恐慌とユダヤ・キリスト教 文春新書
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金融恐慌とユダヤ・キリスト教 文春新書

島田裕巳【著】

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 文藝春秋
発売年月日 2009/12/20
JAN 9784166607273

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商品レビュー

3.8

6件のお客様レビュー

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2013/08/12

先の「世界がわかる宗教社会学入門 」ではなくて、こちらを先に読めば良かったです。私の疑問に対する回答が、かなり用意されていました。 島田裕巳氏は、オウム真理教の問題で色々あって大学教授の職を辞してから暫く音沙汰なかったですが、今は東京大学先端科学技術センター客員研究員しているそう...

先の「世界がわかる宗教社会学入門 」ではなくて、こちらを先に読めば良かったです。私の疑問に対する回答が、かなり用意されていました。 島田裕巳氏は、オウム真理教の問題で色々あって大学教授の職を辞してから暫く音沙汰なかったですが、今は東京大学先端科学技術センター客員研究員しているそうです。水野和夫氏との共著「資本主義2.0 宗教と経済が融合する時代」も良かったですが、こちらは更に良かったです。ちょっと長くなりますが、自分の備忘録として残しておきたいので、以下に要旨を書いておきます。 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教における「神」は基本的に同一の存在。ユダヤ教・キリスト教における神概念においては、人は絶対的な存在である神に全てを委ねる。資本主義との関係で言えば、特に禁欲を重んじるプロテスタントでは、人間がなすべきことはひたすら「天職」に専念することだけで、市場は神の力によって予定調和的に機能するものと考えられる。しかし、この一見矛盾する節制と富の蓄積の両立が資本の形成へとつながり資本主義が発達すると、当初企図した「結果」が「目的」化してしまい、現代の市場原理主義(market fundamentalism)の世界においては、最早、経済活動にビルトインされていたはずのプロテスタンティズムの倫理は置き去りにされてしまった。因みに、「原罪」という概念はキリスト教特有のもので、ユダヤ教には存在しない。神の意思に背いて堕落した人間が救われるためには禁欲が求められ、聖職者においては婚姻をしないなどの「世俗外禁欲」が、一般の信者においては天職に専念する「世俗内禁欲」が求められる。マックス・ヴェーバーは、この世俗内禁欲を資本主義の精神の誕生と結びつけた。 これに対して、イスラム教の神概念においては、人間は神の慈悲深さに対して、自分の行動が神が定めたシャリーアにかなうものなのかどうか常に判断をして、倫理的・道徳的に正しい答えを出していく必要がある。従って、経済活動と信仰や倫理・道徳は常に切り離せない関係にある。 ユダヤ教・キリスト教の核心には終末論と選民思想があり、リーマンショックのような大きな出来事に際しては、必ずそうした視点で出来事が解釈される。同じ一神教のイスラム教にも同様の傾向があるが、多神教且つ「無宗教」という宗教を信じている日本人は、経済現象を宗教的な観点で見ることはしない。仏教にも「末法思想」はあるが、世の末は時間の経過と共に自動的に訪れるものであり、そこに神罰的な意味合いも神の関与もなく、因と果が無限に繰り返される。 特に、世界のあり方に対して常に影響を与え続ける絶対的な存在としての「神」への信仰が存在しない日本人には、「神の見えざる手」を実感することが難しい。従って、日本人には、欧米の経済学が何処か神学的で根拠の希薄なもののように思えてしまう。因みに、日本人の社会を律してきたのは一神教的な「神」ではなく、稲作を中心とした村落共同体の存在。 終末論的な発想は、ユダヤ教の家庭に生まれたカール・マルクスにも見られ、資本主義に内在する矛盾を明らかにし、共産主義の到来を予言したものの、具体的な社会像や仕組みについては、何も提示できなかった。これに対してジョン・メイナード・ケインズは、終末論に捉われることなく、市場の均衡が自動的に実現されることはないとして、新古典派経済学を批判した。但し、ケインズの膨大な功績の中で社会が受容したのは、不況期における財政出動という政策論だけであり、市場の安定性に対する社会の信仰を覆すには到らなかった。 アダム・スミスの「国富論」で「神の見えざる手」が語られているとの理解が一般的だが、それは誤解。スミスが「国富論」やそれに先立つ「道徳感情論」で書いたのは、"invisible hand"という言葉だけで、「神の」とは言っていない。それを神の存在と結び付けて考えるのは、この世は神が創造したという西欧的な宗教的理解に基づく受けて側の勝手な解釈で、これが市場への絶対的な信頼と市場原理主義につながっている。 ということで、小泉・竹中批判とイスラム金融礼賛のところはかなり短絡的なのですが、それは著者が経済の専門家ではないので仕方がないとして、全体としては非常に為になる本でした。

Posted by ブクログ

2013/01/01

2回目読了。 この本も読み易さではピカイチ。 比較対象は 佐伯啓思『自由と民主主義をもうやめる』http://booklog.jp/item/1/4344980972 柴山桂太『静かなる大恐慌』 http://booklog.jp/item/1/4087206580 ですが、書...

2回目読了。 この本も読み易さではピカイチ。 比較対象は 佐伯啓思『自由と民主主義をもうやめる』http://booklog.jp/item/1/4344980972 柴山桂太『静かなる大恐慌』 http://booklog.jp/item/1/4087206580 ですが、書かれている内容も2回目読んでも十分読み応えがあります。

Posted by ブクログ

2012/04/20

このタイトルのインパクトに惹かれて手にとったのだが・・・。 内容は至ってまじめ。 あとがきの冒頭に、「経済の世界に対するユダヤ人やフリーメーソンの謀略を指摘した陰謀ものを創造するかもしれない。しかし本書は陰謀物ととは根本的に異なっている」とある。 この一文章、「はじめに」の段...

このタイトルのインパクトに惹かれて手にとったのだが・・・。 内容は至ってまじめ。 あとがきの冒頭に、「経済の世界に対するユダヤ人やフリーメーソンの謀略を指摘した陰謀ものを創造するかもしれない。しかし本書は陰謀物ととは根本的に異なっている」とある。 この一文章、「はじめに」の段階で掲載されるべき。 確信犯的なタイトルの付け方だということがよくわかります。 内容の方は、アメリカの金融危機に端を発したときに流行した「100年に1度の金融危機」という言葉。 この終末論に近いイメージで経済が語られる宗教的背景を、ユダヤキリスト教から紐解くというもの。 例えば、 911が起きたワールドトレードセンタービルをバベルの塔に重ねる、ユダヤ・キリスト教徒の心理。 公的資金を投入された金融機関の役員達に高額のボーナスが支払われる状況を、ノアの箱船と選民思想とに重ねる事で解説など。 また、資本主義の発展を、ユダヤ・キリスト教の教典とどう歩調を合わせて進化してきたかや、マルクスの思想の根底にながれるユダヤ教的な価値観を解説。 ただ、全体に散漫な印象になってしまい、ユダヤ・キリスト教的な思想が、どう経済社会をかたちづくり、今後どう影響しているかといった踏み込みが甘いかんじがしました。 ここからは、勝手な妄想にはいるのだが、ユダヤ・キリスト教的な教義が、金融至上主義的なものに変貌しているのではないか?ということが頭に浮かんだ。 予測不能な高度の金融システムに支配された世界では、金融至上主義こそが、国家や民族を越えた統一した宗教になりつつあるのかもしれないということ。 予測不能な社会だからこそ、予言者(経済学者)や聖人(経済的恩恵を受けた人)などがもてはやされるのかもしれないということ。 ユダヤ・キリスト教→金融至上主義への進化 という様々な妄想が出来た意味では、いい読書体験でした。 島田先生の本は、出だしはいいのだが、結末になっていない本が多い気がするのは僕だけでしょうか?

Posted by ブクログ

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