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アルベルト・ジャコメッティの椅子
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 芸術新聞社 |
| 発売年月日 | 2009/11/20 |
| JAN | 9784875861843 |

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アルベルト・ジャコメッティの椅子
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商品レビュー
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『きみたちも、パリに留学していた周恩来に、贔屓のバゲットを焼くパン屋を教えたのがホー・チ・ミンだったという逸話程度は知っておいた方がいいな』 一つの言葉に含まれているイメージの多様さに改めて驚かされる。またそのイメージが意味するものがどこまでも不特定であるという事実にも。そして...
『きみたちも、パリに留学していた周恩来に、贔屓のバゲットを焼くパン屋を教えたのがホー・チ・ミンだったという逸話程度は知っておいた方がいいな』 一つの言葉に含まれているイメージの多様さに改めて驚かされる。またそのイメージが意味するものがどこまでも不特定であるという事実にも。そして否応なしに喚起されるイメージが言葉に張り付いているように見えはするけれど、実際にはそこに言葉の取るべき責任はなく、言葉の表面に投影される人間の思いに根本があることにも、やはり思い至らざるを得ない。思いは書き手と読み手の中で言葉を解してつながるように了解されてはいるけれど、言葉に意味が張り付いている訳ではない以上、投影する側の状況によって玉虫色に変化するのは必定とも言える。 一つの言葉にぶつかり、ふらふらとそこから立ち上るイメージに思考をめぐらせていると(めぐらす、と、めくら、の距離の近さを思う)、また別の言葉に行き当たり、ふわふわとまた別の思考に思いは流れる。そんなオートマトン的に生起される思考の流れに棹を差そうと必死にもがいてみるものの、自分自身の肉体の一部である筈の脳はどうしても静まることがない。 「知っておいた方がいいな」という物言いに、ならば何故きみは「胡志明」と、いやむしろ「阮愛國」と綴らないのか、と反射的に思考が走る。それは小説の表層であるところの言葉の層を通り越した物語のレベルの中では何の意味もない、憤り、ですらあるのだが、この本は何故か思考が表層を掻い潜った下の層まで侵入しようとするのを拒むように思う。まるで言葉による目の細かい網が「思考」というものを捕えて表層に押し留めようとするかのよう。あるいはまた、其処彼処に切っ先を上にして埋められた言葉のナイフの鋭いエッジが易々と物語レベルに侵攻しようとする思考を切りつけ、切られたことを自覚するよりも先に感じる一瞬の痛みが反射的に取らせる防御姿勢とより安全な場所への退却行動を引き起こす、と言い喩えてもよい。 本は自由に読めばよい、絵画は自由に観ればよい、というようなナイーヴな傍観者の立場を、本書は徹底的に「攻撃」する。だが、解釈されるべき正しい意味などというものは果たして存在するのだろうかという疑問がすぐさまに湧き上がる。全ては文脈の中でしか成立し得ず、その文脈すらそれを俯瞰する一つ上のメタなレベルの変化によっては白を黒とも言い換え得る。たとえば史実と呼ばれるものに忠実に固有名詞を選ぼうとも、そこから立ち上がる物語が真実を写し取れるとは限らない。もちろん、真実などとは誰かの一つの解釈であるに過ぎないのだから、その不特定は必定である。 1920年頃のパリに居たのは「Zhou Enlai」とパスポートには記された名前を持つ一人の青年と、「Nguyen Sinh Cung(越語の音を区別するためのアクサンは除く)」である筈の「Nguyen Ai Quoc」であって、後にようやく「Ho Chi Minh」と名乗ることになる青年、の二人である。だとしても、そうやってパリにおけるフランス語的文脈の中での固有名詞の記載は、「周恩来」という日本語化した漢字による書き下しの名前と「ホー・チ・ミン」という日本語的な音書きされた名前から喚起されるあくまでも日本語による文脈のイメージよりも、より真実味を帯びたものを立ち上がらせるとは言い切れない。いや、言い切れないような気がする。その「気がする」部分こそ、個々人に委ねられた、いやもっと強い言葉でいえば権利として与えられた筈の解釈に基づく読みである筈だ。もしそのような読みが許されるのであれば、やはり自分は、本は自由に読んでよい、というフレーズを今一度繰り返して置きたい。ジャコメッティの椅子の描写に、作中人物が人物画よりも画家の本質を見出すように、自由は常に担保されている。こうでなければならない、と強制される視点は、いつだってとても「怪しい」。
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