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感情教育(下) 河出文庫
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 河出書房新社 |
発売年月日 | 2009/09/07 |
JAN | 9784309463254 |
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感情教育(下)
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○(上下2冊):フローベールの代表作の一つ。青年フレデリックの恋愛と運命を通して二月革命を中心とするフランスの歴史が語られる。
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19世紀フランスの作家フローベルの代表的長編小説、副題は「ある青年の物語」、1869年。 フローベールの代表作として『ボヴァリー夫人』と並び称されるのがこの『感情教育』である。しかしこの二作品は、その趣が全く異なっている。時代精神の表徴として普遍的な『ボヴァリー夫人』 主人公...
19世紀フランスの作家フローベルの代表的長編小説、副題は「ある青年の物語」、1869年。 フローベールの代表作として『ボヴァリー夫人』と並び称されるのがこの『感情教育』である。しかしこの二作品は、その趣が全く異なっている。時代精神の表徴として普遍的な『ボヴァリー夫人』 主人公の人物像が現代青年にも通じるという意味で普遍的な『感情教育』――本作は、フローベール自身の青年時代の恋愛体験に材を取った自伝的な側面をもつもので、それ故に作家の筆は闊達で小説の後景となっている歴史の力動とともにテンポよく物語を綴っているように感じられる――。近代という時代精神の深甚なるペシミズム=ニヒリズムを反映することになってしまった『ボヴァリー夫人』とは、作品全体を包む雰囲気が、明らかに異なっている。つまりは、青春小説・恋愛小説なのだ。 1848年の二月革命を挟みルイ・ボナパルトによる第二帝政の頃までの19世紀パリを舞台とする青春小説。フレデリックという主人公を通して造形された性格像は、恰も現代青年の姿そのままであるかのようだ。自己が「何者」でもないこと――作中に登場する他の個性的な人物たちに比べて、フレデリックが「何者であるのか」何とも茫漠として輪郭を結ばない――から来る臆病・優柔不断・狐疑逡巡・自己軽侮と、その裏返しとしての根拠無き万能感から来る情熱・激情と、両極端のあいだを振れ動き、その中間は全て若さの倦怠で埋め立てられている。 「心待ちにした喜びなど、どこからもやって来はしなかった。貸本屋一軒分の本を読みつくし、ルーヴル美術館の陳列品をひとわたり見てしまい、幾晩か劇場通いを続けたあとは、どうしようもない退屈におちいった」 「とりわけ日曜日は、バスチーユ広場からマドレーヌ教会まで、埃と絶え間ない騒音のさなかをアスファルトの街路をひきもきらぬ巨大な人波だった。その人間どもの顔つきの卑俗さ、話すことの愚劣さ、汗まみれの額に滲み出る白痴めいた満足感には胸が悪くなるほどだった。彼にとっての救いはただ、こんな連中よりは自分のほうがまだしもと思う気持ちで、群衆の面相から受けるやりきれぬ感じもそれでいくらか緩和された」 「で、決断力のない彼は、ただ神を呪い、わが身の卑怯を責めては、囚人が独房のなかを回り歩くように自己の欲望の内部を輾転するばかりだった」 「この世でぼくはなにをしたらいいというのですか? 他の人たちは富や名声や権力を得ようと躍起になっています。が、ぼくにはなんの仕事もありません。あなただけが、ぼくの唯一の関心事であり、ぼくの財産のすべてであり、ぼくの生活の目的であり中心なのです」 革命前後に於ける各社会階層の政治情況に対する思惑・言動(恐怖・憎悪・独善・風見鶏的右顧左眄とその根底にある、ただそれだけである以外にないところの、エゴイズム)や、叛乱時の民衆の描写が、当時を彷彿とさせる。 「フレデリックは、左右にびっしりとつめ寄せた人の群れにはさみこまれ、身動きができなかった。魅惑されたような気分になってもいたし、なにしろ面白くてたまらなかった。傷ついて倒れる者がいても、死者が地に横たわっていても、ほんものの負傷者、ほんものの死者ではないように思えた。芝居を観ているような気がしていたのである」 「なんたる神話だろう!・・・これが主権を握る民衆なんだからな」 純粋で在り得たことの幸福は、いつだって、追憶の中でしか、見つけられない。 □ 訳文について。会話文を含め文中に英語を用いたり、中途半端な"経年"を感じさせる所謂「死語」の使用など、フランス文学の訳文としては不体裁な箇所が多く、読んでいて苦笑を通り越してげんなりさせられる。岩波文庫版の生島遼一訳に比べれば「読み易い」ことは確かだが、文庫で手軽に読もうとしたときの選択肢がこの二つしかないというのは、19世紀の代表的小説とも称されることのある本作にあっては、余りにお粗末な状況だ。時流に堪えかつ読み易い新訳が待たれる。
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3部からは話が急加速。昼ドラのような愛憎劇が展開し、人間の虚実が交錯する。この世のほとんどの人間は負け組みだろうし、なんらかの後悔をして死ぬんだろうけど、それにしてもちょっと救いがないかな。それにしても青春(教養?)小説はイタイ。こういうのを余裕を持って読めるようになったというの...
3部からは話が急加速。昼ドラのような愛憎劇が展開し、人間の虚実が交錯する。この世のほとんどの人間は負け組みだろうし、なんらかの後悔をして死ぬんだろうけど、それにしてもちょっと救いがないかな。それにしても青春(教養?)小説はイタイ。こういうのを余裕を持って読めるようになったというのは、オトナになったという事だろか?
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