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山県有朋 愚直な権力者の生涯 文春新書
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 文藝春秋 |
発売年月日 | 2009/02/20 |
JAN | 9784166606849 |
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山県有朋
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山県有朋 愚直な権力者の生涯 著:伊藤 之雄 文春新書 684 山県有朋という元老を通じて、明治を見た書 著者は、山県有朋を「少し暗い性格の奥に、愚直といえるほど気真面目で優しさを秘めた人柄である」と語る 歴史上の事件に対して考察を加えるともに、登場人物の間にある、感情的な考察...
山県有朋 愚直な権力者の生涯 著:伊藤 之雄 文春新書 684 山県有朋という元老を通じて、明治を見た書 著者は、山県有朋を「少し暗い性格の奥に、愚直といえるほど気真面目で優しさを秘めた人柄である」と語る 歴史上の事件に対して考察を加えるともに、登場人物の間にある、感情的な考察を加えたもの。 本書を読んで、歴史というのは、人と人との感情、関係の上に作られているという認識を新たにした 山県有朋(1838.06.14-1922.02.01) ■幕末 長州藩に生まれ、松下村塾に入塾し、奇兵隊の軍監として幕末の動乱を生き抜いた長州人である 高杉晋作との信頼 西郷隆盛との交流 長州が幕軍に勝てたのは、近代兵装であったため、幕軍は、関ケ原以来の装備であった ■廃藩置県と士族の反乱 兵部省から、帝国陸軍の創設、近代化へ、徴兵制の検討 征韓論 1873 と、木戸との対立 佐賀の乱 187404 をはじめとする旧士族の反乱と、台湾出兵 1874 神風連の乱 1876、秋月の乱 1876、萩の乱 1876、西南戦争 1877 弱兵政府軍の立て直し 伊藤博文との交友 参謀本部の創設 1878 、初代参謀本部長へ 軍人勅諭の下賜 1882 壬午事変 1882 、清、朝鮮VS日本 ■日清戦争 軍備拡張計画 保安条例 1887 市町村制 1872,1878,1888 第1次山県内閣 18891224 教育勅語の下賜 18901030 日清戦争 199407 ■日露戦争 山県ーロバノフ協定 1896 第2次山県内閣 18981105 対露向け軍拡財源の確保で、憲政党との妥協 北清事変 1900 日英同盟 1902 日露戦争 1904-1905 桂との確執 日韓併合 1910 明治帝崩御 19120730 ■第1次世界大戦 辛亥革命 19120212 シーメンス事件 1914 第1次世界大戦 1914-1918 目次 吉田松陰の「忠実」な弟子―はじめに 第1章 松陰門下の青春―尊王攘夷と奇兵隊 第2章 西郷隆盛への憧れ―討幕への戦い 第3章 「狂介」から「有朋」へ―欧米巡遊・廃藩置県 第4章 山県参議兼陸軍卿の誕生―征韓論政変・台湾出兵 第5章 にがい勝利―西南戦争 第6章 陸軍の充実―朝鮮をめぐる日清対立 第7章 陸軍の長老から政治家へ―日本陸軍の大枠形成 第8章 最初の組閣―帝国議会開設・伊藤博文との対立 第9章 やせがまんの限界―日清戦争 第10章 元老としての組閣―日露協商と山県系官僚閥の形成 第11章 参謀総長として陛下に仕える―日露戦争 第12章 きどわい勝利の後の現実―桂太郎と原敬の挑戦 第13章 元老筆頭の権力―第一次世界大戦と大正デモクラシー 第14章 晩年の落とし穴―宮中某重大事件 山県有朋と日本―おわりに あとがき 主要参考文献 ISBN:9784166606849 出版社:文藝春秋 判型:新書 ページ数:488ページ 定価:1330円(本体) 2009年02月20日第1刷発行
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伝記として取り上げる人物としては、基本的におもしろ味に欠けるところもあると思われるのだが、第一次資料を初めとする多くの資料を渉猟し尽くした上で、豊富な資料に裏打ちされた筆者なりの人物像を描き出している。労作である。
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近代日本における陸軍の創始者というべき人物であり、近代日本を語るうえで欠かせないのが山県有朋である。しかし、その功績、知名度とは裏腹に、あまり肯定的に評価されない。実際、当時、大衆から人気であった大隈重信の葬儀とは対照的に、山県有朋の葬儀に参加したのは政界、財界など政府関係者く...
近代日本における陸軍の創始者というべき人物であり、近代日本を語るうえで欠かせないのが山県有朋である。しかし、その功績、知名度とは裏腹に、あまり肯定的に評価されない。実際、当時、大衆から人気であった大隈重信の葬儀とは対照的に、山県有朋の葬儀に参加したのは政界、財界など政府関係者くらいであった。そのような評価を下される山県有朋を、著者は膨大な資料をもとに、従来の評価を覆そうと試みたのが本書である。 先ほど述べたように、山県有朋は大日本帝国陸軍の創設に関わる重要人物である。そのため、明治政府のなかでも地位の高い立ち位置におり、官僚を中心とした山県閥といわれる絶大な影響力を持っていた。しかし、山県は、今でこそ当たり前である政党政治に対し懐疑的な意見を持ち、それは生涯一環して捻じ曲げることはなかった。おそらく、それが原因で、あまり高く評価されなかったのであろう。 幼少期の山県まで遡ると、若くして両親を亡くし、育ての親であった祖母も自殺したのでった。そのような環境で育ったせいか、山県の性格的に内気、周囲に中々打ち解けられる人物であった。これは人たらし、交渉力に長けた伊藤博文の性格とは対照的であった。 伊藤博文と山県有朋はともに内閣総理大臣を務めたが、思想は真逆であった。伊藤博文は、現代の政党政治を日本に根付かせようと邁進した、いわゆるリベラル派であったが、山県有朋は思想的に保守的な立場であり、伊藤の意見とは相反した。この二人の思想は実際の政治運営の成果に注目すると興味深いことがある。 先ほど述べたように、伊藤は昔から人懐っこい性格からか、交渉術、調整能力に秀でた人物であった。そのため、外交面での功績が多く目立つ。その一方で、山県は内政面で多大な功績を残したが、外交面での見方はあまり優れておらず、列強に対する見解は、伊藤の眼力のほうが優れていた。このように、政治家としての山県有朋の功績は、内政面において注目すべきだということがよくわかる。 とはいえ、山県有朋は頑なに政党政治との連携を拒否したわけではなく、軍とのよい関係を築けるのであれば、素直に連携できるほどの柔軟性をのちに持つようになった。とりわけ、西園寺公望と原敬との関係は良かったことがわかった。たとえ思想が違ったとしても、その意味で、陸軍、官僚の仲介役として十分な役目を果たしたことがよくわかる。 本書の最後に、太平洋戦争と山県有朋含む陸軍の関係について言及する。一部の意見として、山県が創設した軍部大臣現役武官制が、結果的に敗戦を導いたのではないかというものがある。たしかに、山県が陸軍を創設した張本人ではあるが、著者はその意見に反論する。むしろ、山県有朋の存在があったからこそ、陸軍が暴走せずに組織を均衡できたという。著者は山県有朋ではなく、その精神を忘れた、当時の陸軍に原因があると見る。いずれにせよ、山県有朋が近代日本の国家形成に重大な役目を果たしたことは間違いないだろう。
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