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小説家の休暇 新潮文庫
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 新潮社 |
| 発売年月日 | 1982/01/01 |
| JAN | 9784101050300 |
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小説家の休暇
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商品レビュー
3.9
10件のお客様レビュー
美文家三島由紀夫による評論集。 恥ずかしながら三島の思想に直接触れることができる作品を読んだことがなかったので、ここにきてようやく彼の心で渦巻き創作の養分となっていた部分に迫ることができたように思う。 創作者の根幹である意志と観念の集合体、思想に触れるのは容易いことではない。レ...
美文家三島由紀夫による評論集。 恥ずかしながら三島の思想に直接触れることができる作品を読んだことがなかったので、ここにきてようやく彼の心で渦巻き創作の養分となっていた部分に迫ることができたように思う。 創作者の根幹である意志と観念の集合体、思想に触れるのは容易いことではない。レトリックが抽出の助けになることもあれば、逆も当然ありうる。『小説家の休暇』では、三島らしさ(本人は否定するであろうが)の中核をなす雅で精緻な文章は鳴りをひそめ、句読点を多用した固く喘ぐような調子で心の内が明かされている。レトリックの機能不全によって三島の純な思想がほぼ手付かずに近い状態でさらけ出されている本書は、俗っぽい芸術性を捨てて高次元を目指そうとする彼の意志の表れと見てよいだろう。 本来自由奔放である小説を扱う上での三島なりの方法論を展開しつつ、太宰治という弱さの文学に対する批判、日本文学の構造的欠陥への言及を用いて三島が説くのは、人間の強さ、破滅の美しさだ。文学における芸術は何かという問いに、不条理に突き進んでいく強い精神とそれを支える肉体が、決して変えることのできない真理に相対して砕けることを描くことであると答える彼は、文章の美しさではなく文体を巧みに利用して主題を配置していくことが、芸術を高次に向かわせる唯一の方法であると論じる。ヘミングウェイのようなマッチョさを感じるこの思想の根源はどこにあるのか。著者自身がたびたび引用するバルザックやスタンダールなど近代西洋文学の潮流は無視できないであろう。彼の小説群からは想像もしていなかったが、三島は我々が思う以上に西洋近代文学の方法に取り憑かれていたといえる。 「作家におけるスランプは健康の問題だ」と跳ね除け、健康を維持することで精神を安定した状態に保ちつつ、それに反抗していくことで文学的芸術を得ようとする氏の思想はいかにも彼らしくあったが、危険と隣り合わせのものでもあった。1955年書き下ろしの本書は、既に自衛隊市ヶ谷駐屯地での結末に至る道筋を内包していたのである。個人の強さを極限まで突き詰めた上での死、思想に生き、思想に殉じた人生、三島由紀夫の無骨なまでに実直な精神は、培われたものではなく最初から彼の心に宿っていたと見るべきだろう。 悲しいことに、彼の方法論は小田切秀雄など評論家陣も提唱したもので、西洋式を極めたものが自ずから手にする境地にすぎない。むしろ三島が批判した、文体を持たない日本的文学こそが世界的に見れば唯一無二のものであり、突破口を見出すものだったという結末はなんと皮肉なことだろう。氏が文章のみの作家であると断定した志賀直哉であるが、『真鶴』における美しさの極致に達した文章はかのドナルドキーンを黙らせた。ノーベル文学賞をとった川端康成にしても、三島自身評しているように文章のみを持つ作家だった。 三島文学の持ち味として皆が取り上げるのは、文章の雅さや高尚なユーモアであり、彼の文才も先人たちの例に漏れず日本文学の潮流の中にある。しかし三島は、純日本人的作家であることを拒否した。恩寵として得た自らの能力を認識しつつ、「我」の求める思想に殉ずるよう、方法論を組み上げて孤独な戦いに身を投じることを選んだのである。 「『ドン・キホーテ』はそれ自体が小説の批評となっている」という言葉を引用しつつ、反抗的な批評によって弁証法的に方法論を打ち立てようとした三島であるが、もっと融和的に文学と接することはできなかったのだろうか。 『小説家の休暇』の中に見られる音楽への嫌悪に関する論考は大仰ながらも筋道は美しかった。また、「サディストはその性から、永遠に反抗し苦しみ続ける相手を強く求める。故にマゾヒストとは相入れることはありえない。もし関係が成り立つとすれば、二人の間には神や悪魔の意思が介在している」と説くサディズムについての小論は、氏が日記の中で名を上げた稲垣足穂の『A感覚とV感覚』に勝るとも劣らぬ迫力があった。 上述した二編には、人の根幹を揺るがす強さがありつつも、ユーモラスで包括的だった。三島の到達し得る境地とは、この道の先にあったのではないかと思えてならない。『美しい星』に見られたような幻想と現実の区別を曖昧にしながら人々を笑い飛ばすシニカルさ、それを極めれば更に別の世界が見えたのではないだろうか。三島の思想と精神の実直さは本書で十分理解できた。彼がもし歳を重ねることで、おおらかな強さ、川端康成とは別種の強靭さを手に入れることができたなら、歴史上の作家全てを超えた境地に辿り着けていたのではないか。 しかし、彼は死んだ。いくら蓋然性を積み上げていったとしてもどこにも辿り着けない。我々がすべきことは、この魂の叫びのような書物から多くの教訓を得て先の世に伝えていくことである。
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新潮文庫 三島由紀夫 小説家の休暇 文学論や演劇についてのエッセイ 面白かったのは、表題の中で8/4に書かれた日本文化論 と 文化意思から文学史をまとめた「日本文学小史」 「重症者の兇器」「魔」といった社会病質を扱ったエッセイ や 死に関するエッセイは、著者の小説モ...
新潮文庫 三島由紀夫 小説家の休暇 文学論や演劇についてのエッセイ 面白かったのは、表題の中で8/4に書かれた日本文化論 と 文化意思から文学史をまとめた「日本文学小史」 「重症者の兇器」「魔」といった社会病質を扱ったエッセイ や 死に関するエッセイは、著者の小説モチーフを感じさせる。タイトル通り、小説家は休暇中も 小説世界の中にいるということか? 演劇についての視点は、読み手の見方が変わる新鮮なものだった 「劇を一枚の風景画にたとえるなら、主役は近景のようなものであり、端役は遠景のようなものである。もし画中の人になって、画中の山水を奥深く歩いてゆけば、遠景も近景と同じ密度を持った風景に他ならず、劇は厚味を増し〜」 「完全な戯曲というのは小宇宙のようであるべきだ〜小説の世界は戯曲ほど閉鎖的でなく、時間の流れも自由であり、その世界の隅々にまで、一種の宇宙法則の雛形が支配している必要がない」 芸術家の明敏さは三つのものから成り立つ 第一に素材(主題といいかえてもよい)について隅々まで吟味し知悉すること 第二に制作の方法論について完全に通暁していること 第三に自分がそれを書く上の精神的肉体的諸条件について推測のもとに立つこと 「日本文化は、稀有の感受性だけを、その特質としており、他の民族の文化とは範疇を異にしており、質の上で何らの共通性を、その共通性の中に生まれる異質性を、本質的に持たない」 「自然と人間の怖しい決定的な対立〜人間が科学を生み、自然に対する安心できる武器を手にして以来である〜そして人間主義なるものは〜完全な形姿をあらわすのである」
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
「小説家の休暇」は昭和30年11月に、「永遠の旅人 川端康成氏の人と作品」は昭和31年10月に発表されたもの。三島由紀夫「小説家の休暇」。昭和30年、著者30歳の時に書かれた「小説家の休暇」は、日記形式で、さまざまな概念について著者の存念を綴ったもの。日本文化の特質は、稀有な私心なき感受性にある と。難しいけど、なんとなくわかる気もします。「永遠の旅人」は、わずか14頁ですが、川端康成の変人・奇人ぶりがよく伺えました。
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