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風景との対話 新潮選書
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風景との対話 新潮選書

東山魁夷(著者)

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 新潮社
発売年月日 1988/07/01
JAN 9784106001017

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風景との対話

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商品レビュー

4.5

7件のお客様レビュー

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2023/10/14

とても明解に、分かりやすい言葉で綴られている。とてもすんなりと心に入ってくる文章。 旅の中で風景を求めている時は五感を使い、それを絵画にするときは理性的に構図や色調を決めていたのかな。 忙しすぎて自分を見失っている、というところの文は共感しかなくて笑ってしまったし、コペンハーゲン...

とても明解に、分かりやすい言葉で綴られている。とてもすんなりと心に入ってくる文章。 旅の中で風景を求めている時は五感を使い、それを絵画にするときは理性的に構図や色調を決めていたのかな。 忙しすぎて自分を見失っている、というところの文は共感しかなくて笑ってしまったし、コペンハーゲンに行きたくなった。 京都と北海道を交互に見る、というのも面白そう。

Posted by ブクログ

2023/04/02

東山魁夷の作品が大好きなので、 著作も読んでみたいと思い、手に取る。 成功した画家であり、穏やかなイメージがあったので、順風満帆の人生なのかと思っていたけど、戦争で肉親を全員亡くされていたりと辛い事も経験されていて、それであの作品が生まれたのかなと言う事を知れて良かった。 なんと...

東山魁夷の作品が大好きなので、 著作も読んでみたいと思い、手に取る。 成功した画家であり、穏やかなイメージがあったので、順風満帆の人生なのかと思っていたけど、戦争で肉親を全員亡くされていたりと辛い事も経験されていて、それであの作品が生まれたのかなと言う事を知れて良かった。 なんとなく東山魁夷の作品に孤独を感じる時があったので、肉親を失った喪失感とかが反映されているのかなと思ったり。 作品を作る際に考えている事も知る事ができたので、また作品を鑑賞する際にはそういった背景も思いながら見る事ができそうで良かった。

Posted by ブクログ

2023/02/23

何を見ているのか。何が見えているのか。何を見ようとしているのか。風景だとしても、思念だとしても、写実的であっても、印象的であっても、自らを通して、投影されるものしか、作品にはなりえない。芸術という行為は、ほかの振る舞いと違わず、抽象化の端末であって、ただし、自分ではないだれかへ、...

何を見ているのか。何が見えているのか。何を見ようとしているのか。風景だとしても、思念だとしても、写実的であっても、印象的であっても、自らを通して、投影されるものしか、作品にはなりえない。芸術という行為は、ほかの振る舞いと違わず、抽象化の端末であって、ただし、自分ではないだれかへ、また新たな投影を呼び起こす力をもったものになるという点で、「作品」という地位を与えられるようになる。 作品であろうとする意思が、芸術的行為とそうではないものを隔てている。 その意思は、定められたものを表そうという振る舞いではなく、少なからず、いまのところ見当たらない存在を取り出そうという試みになる。つまり、答えを描くということではなく、自らが答えを作り出すという、創造という意味を実現する営みを起こすことになる。それは結局、自らと向き合う、自らに入り込み、自らに表れてくるものを掴み取るという、自身の姿かたちを見出すことと同じになっていく。 芸術を試みるひとは、つまり、自分と向き合えるひとのことではないだろうか。向き合い続けるひと、向き合うことを求めるひとと言い換えてもよいかもしれない。それは、考えることをやめない人であるということだ。 魁夷という歴史に名を残す大家が、随想で、自らの芸術という行為をきちんと言葉に置き換えていることは、当然のことかもしれないが、考えるという下敷きの上に、芸術が作品になるということを覚えさせてくれる。創造という抽象的振る舞いは、もっとも人間らしい、人間だからこそ表れてくる、思考がはじけた、泡沫をこの世界に固定化し、残そうという強い希望だからだ。 いってしまえば、印象でしかない。感覚でしかない。 それでも、それに真剣に向き合い、徹底的に自らというものを通した出力に仕立てようとしたならば、それは表現になる。芸術的行為とはそういうものだ。当たり前のことだが、建築的行為にも少なからず、その感覚はあるもので、むしろ、なければ成り立たない。なくても成り立つものは、それは建築といっても、そういう建築だとみなすことしかできない。

Posted by ブクログ

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