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街道をゆく 新装版(3) 陸奥のみち、肥薩のみちほか 朝日文庫
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街道をゆく 新装版(3) 陸奥のみち、肥薩のみちほか 朝日文庫

司馬遼太郎【著】

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街道をゆく 新装版(3) 陸奥のみち、肥薩のみちほか 朝日文庫

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 朝日新聞出版
発売年月日 2008/08/30
JAN 9784022644428

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街道をゆく 新装版(3)

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商品レビュー

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2024/05/11

旦那が読んでて面白いというので借りてみた。 いやあ、面白いし興味深く読めた。書かれたのはだいぶ昔なので今はどうなんだろう?と気になり画像検索したり。 元々紀行文は面白いから好きなんだけど、司馬遼太郎の紀行書も面白いに決まってる。と思って読んでみた。 どこの地域でも出てくる出てく...

旦那が読んでて面白いというので借りてみた。 いやあ、面白いし興味深く読めた。書かれたのはだいぶ昔なので今はどうなんだろう?と気になり画像検索したり。 元々紀行文は面白いから好きなんだけど、司馬遼太郎の紀行書も面白いに決まってる。と思って読んでみた。 どこの地域でも出てくる出てくる、歴史的な知識に圧倒されるしここが一番面白いかも。個人的には「県庁所在地名が県名になってるのは官軍」というのが一番びっくりだったのだけど、本当か?と思って調べたらどうもそうでもないらしく…。書かれている歴史的な出来事は確かに興味深くて面白いけど、創作かもと思いながら読んだ方が良さそうだった。 それでも普段自分がいけない、見れない景色(旅行してもなかなか行かない場所)を、言葉を通じて感じることができるのは、良い経験。

Posted by ブクログ

2024/01/02

今回は東北と九州と関西と。司馬さんの周りにいる方々は癖があり、ユーモアたっぷりに描かれている。全く適していない東北での稲作の広がりと、それによる東北への差別的意識は序盤ながらも印象深いエピソードの一つ。東北に住んだ身としてはこれは今にも繋がる話であり、その差については十分認識して...

今回は東北と九州と関西と。司馬さんの周りにいる方々は癖があり、ユーモアたっぷりに描かれている。全く適していない東北での稲作の広がりと、それによる東北への差別的意識は序盤ながらも印象深いエピソードの一つ。東北に住んだ身としてはこれは今にも繋がる話であり、その差については十分認識しており、なんだかいたたまれない気持ちになる。九州パートは言わずもがな、幕末の下りを描く司馬さんの熱量は素晴らしい。

Posted by ブクログ

2023/05/04

以下抜粋~ ・(下北半島について) もしフィンランド人はハンガリー人がこの大地を最初に発見したとすれば、かれらはこの大空間に放牧することを考えて狂喜したであろう。 もしかれらが北欧の地に水稲を植えていれば、かれらはおそらく餓死し、こんにち国家をつくるだけの人口を残さなかったにちが...

以下抜粋~ ・(下北半島について) もしフィンランド人はハンガリー人がこの大地を最初に発見したとすれば、かれらはこの大空間に放牧することを考えて狂喜したであろう。 もしかれらが北欧の地に水稲を植えていれば、かれらはおそらく餓死し、こんにち国家をつくるだけの人口を残さなかったにちがいない。 ・要するに上代以来の弥生式水田農業を神であるとし、それを取り入れることが奈良朝時代にあっては「王化」であるとし、江戸期ではこの農業をもって厳然たる政治の基盤としたために南部もそれに従わざるを得なかったということの悲劇である。 ・もし南部氏が、「水田はほどほどにして牧畜を盛大にする。士民はその肉を食って生を養う」という一大政治決断をしたとしたがどうであろう。必ず失敗したにちがいない。牧畜によって牛肉で生を養うなどということは、幕藩体制の経済に対する問題にはとどまらず、大きく日本全体の文化意識そのものに対し、重大な挑戦行為になったにちがいない。 穀物を神と仰ぐという弥生式農民の信仰が神道の根幹をつくり、さらには上代依頼明治までの天皇の神聖とも重大な関係があった。 ・津軽家に領土を横領されたという歴史をもつ南部藩の場合、その環境を木柱や石柱というような簡便なもので済ませるというにはあまりにも思いが深刻だったにちがいない。 ・薩摩には敵に対する優しさの話が多い。 →島津氏が、朝鮮ノ役のときに、帰国後、高野山に敵見方ともにその無名戦士を平等に供養した。(例がない) →戊辰戦争のときも旧幕府方に対するあつかいは、「どちらが勝利者かわからない」といわれたほどに薩摩側は寛大で態度も鄭重だった。 ・敵に対して優しいクマソタケルのほうが、よか男としては上だという。いかにも薩摩の人間美学ならそうあるべきかと思える。 ・(浄土真宗等)諸勢力の拡大は、戦国における地方統一というあたらしいタテ社会の建設をめざしている諸国諸郷の大小の領主にとっては恐怖であった。かれら講の連中はヨコに結び合い、聖典と信仰を共有することによって一種、無階級の社会的気分をもつにいたっているだけでなく、主君というのは未来永劫の契りである阿弥陀如来で、現在いだいている主君というのは「じつは一世の契りにすぎない」とおもっていた。 「一向念仏はまかりならぬ」と島津氏が言い出したのは天文年間までさかのぼれるそうだが、この行政的禁忌に刑法的裏付けがきまって薩摩藩独特の戦慄的な「念仏禁止」が行われたのは、江戸初期、幕府の切支丹停止と併行した時期である。

Posted by ブクログ

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