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自分自身を説明すること 倫理的暴力の批判 暴力論叢書
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 月曜社 |
発売年月日 | 2008/08/10 |
JAN | 9784901477420 |
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自分自身を説明すること
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商品レビュー
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現在の社会を成り立たせている法律的な前提は、 ・責任能力をもった主体が、 ・自由意志をもって、 ・行動する ということではないだろうか? なので、主体の責任能力の有無というのが、刑事判断の論点になるのである。 という立場から見てみると、ポスト構造主義の主張、 ・...
現在の社会を成り立たせている法律的な前提は、 ・責任能力をもった主体が、 ・自由意志をもって、 ・行動する ということではないだろうか? なので、主体の責任能力の有無というのが、刑事判断の論点になるのである。 という立場から見てみると、ポスト構造主義の主張、 ・主体といったものは社会的に構成されており、 ・社会(他者)からの問いかけを内面化することを通じて生じるフィクションである みたいな考えは、とんでもない話しということになってしまう。それでは、主体の責任みたいなのはどうなるのか?それじゃ、社会はメチャメチャだ!というわけである。 というナイーブな疑問に、バトラーは、アドルノ、レヴィナス、フーコーや精神分析を援用しながら、懇切丁寧に応えて行く。 自分の関心事に引きつけて、ごく単純に、好き勝手に(自分の好きなボキャブラリーに変えつつ)要約すると、 ・主体は他者からの呼びかけによって構成される ・特に最初の他者(すなわち、親などを通じて行われる文化や社会的な価値)からの呼びかけは強制的なものである ・これが主体なるものが、私にとって説明不能なる原因である ・つまり、主体なるものは、そもそも他者のものだから ・にもかかわらずそうして構成される主体も固定的なものではなく、他者との関係性のなかで、生成されつづけていくものなのだ ・自己とか、主体がそうした他者との関係性において生じ、生成していくものであるならば、必然的に他者との関わりの中での責任というものがでてくる ・責任とは、responsibilityであり、まさに他者からの呼びかけに対する応答(response)する可能性ということである ・主体は、世界や状況に対して、責任を持ったり、持たなかったりするのではない。他者、世界との関わりのなかで、責任という関係性に組み込まれているのである ・そうした場合に求められる応答とはどのようなものか、というと、他者の暴力に対する暴力による応答ということではない ・自己がもともと他者との関係性のなかで構築されているのであれば、責任(応答)とは、自らを変革していくこと、つまり他者との関係性を変えて行くという行為である ・つまり、抑圧的な社会・文化制度を批判し、パフォーマティブな実践を通じて変革していくこと、つまり脱構築していくことが、責任なのだ みたいな感じ。 うーん、頭の整理にはなったし、ほとんどその主張には共感するけど、80年代以降のデリダの言っていることと何が違うの?というのはよくわからなかった。 こういうことを言うのもなんだが、ポスト構造主義系の女性研究者は、どちらかというとフーコー嫌いで、デリダ派が多い気がするのだが、バトラーは、かなりストレートなフーコー派なんだよな。 この本では、デリダ的な結論に到達するのだが、デリダへの言及はない。 なんでだろう? ちなみに、この本で言及されているフーコーは、80年代の「自己への配慮」あたりのフーコー。フーコーも最後には、「主体」の問題に帰ってきたというわけで、このへんは未読なので、そのうち、80年代フーコーも読んでみよう。 つーか、こういう議論って、デリダとか、フーコーとか、バトラーを勉強するまでもなく、仏教の世界では、そもそもの前提条件みたいな気もするんだけどね。 頭の良い西洋人が、考えて、考えて、考えた結果は、仏教と一緒であった、ということか。
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バトラーのこれも、フーコーの「快楽の活用」とかも、主体を社会構築されたものだと捉えたときに要請される倫理なるものについての本だとおもっている。普遍的な道徳を語ることのできない、特定領域の知識人は倫理について考察する。
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やっぱりレヴィナス読まなくちゃ…と思わされた。今更、主体論など時代遅れの感があるけれど、私にとっては、頭を整理し直すのに有効だった。目新しいことが書いてある訳ではないけれど、著者の記述の流れに沿って読んでいく作業(行為)によって、呼吸がし易くなった感がある。特別、他人に薦めたいと...
やっぱりレヴィナス読まなくちゃ…と思わされた。今更、主体論など時代遅れの感があるけれど、私にとっては、頭を整理し直すのに有効だった。目新しいことが書いてある訳ではないけれど、著者の記述の流れに沿って読んでいく作業(行為)によって、呼吸がし易くなった感がある。特別、他人に薦めたいと思う本ではないけれど、タイミングと必要性が合えば、悪くない本なのだろう。
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