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風天 渥美清のうた
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 大空出版 |
発売年月日 | 2008/07/10 |
JAN | 9784903175171 |
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商品レビュー
4.2
6件のお客様レビュー
土手の近くに住んでます 江戸っ子の主人に 寅さんの事はさんざん聞かされましたが 九州の生まれなので 実はあまり寅さんに思い入れは ありませんでした
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ブログに掲載しました。 http://boketen.seesaa.net/ お遍路が一列に行く虹の中 芸名渥美清。役名車寅次郎。本名田所康雄。そして俳号風天。
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赤とんぼ じっとしたまま 明日どうする 俳優渥美清が、人知れず俳人風天として詠んだ一句である。 情景と詠み人の人柄とがともに、ありありと浮かぶ。この後万人に詠み継がれて行き、現代の名句となることは間違いあるまい。 杭の先か何かにとまって、じいっと動かない赤とんぼ。...
赤とんぼ じっとしたまま 明日どうする 俳優渥美清が、人知れず俳人風天として詠んだ一句である。 情景と詠み人の人柄とがともに、ありありと浮かぶ。この後万人に詠み継がれて行き、現代の名句となることは間違いあるまい。 杭の先か何かにとまって、じいっと動かない赤とんぼ。晩秋の郊外でなら、かつてよく見かけた情景である。そんな赤とんぼを、やはりじいっと見つめて、「で、明日からどうすんのョ」と、自らに語りかけるかのようにつぶやいているのは、あの声、あの風貌、あの衣装の「寅さん」に他ならない。 『風天 渥美清のうた』は、元毎日新聞記者である森英介氏が、地道な取材を通じて「発掘」し、初めてまとまった形で世に紹介した「俳人風天」の記録である。風天とは、知らぬ者のいない寅さん渥美清の、誰にも知られていなかった俳号なのである。 お遍路が 一列に行く 虹の中 これも凄い。月並みな言い方だがやはり凄みを感じる。 四国八十八ヶ所をめぐるお遍路は、それぞれが思い思いの何ものかを心の中に背負いながら、黙々と苦難の長旅を歩く。独特の白装束も杖も笠も、「お遍路が、一列に行く」の九文字で活写されている。そして、その苦難の道は山あり谷あり、風が吹き雨が降る。そんな中、何十日、何百日も歩き続ける。何万語の単語を書き連ねても描ききることのできない長旅の情景を、たったひとこと「虹の中」に凝縮している。 突然の夕立にもひるまず、黙々と身を硬くし列をなして歩く一団。やがて雨は上がり、青空が広がる。そして虹がかかる。 その瞬間ばかりではなく、それに先立つ長い苦難の旅の情景が目に浮かんでしまうだけでも「凄い」。それのみならず、それぞれの思いを抱いたお遍路の一団に向けられた、詠み人の底知れないあたたかい眼差しを、この句に触れたものは感じないでいられるであろうか。 「じいちゃん、転ぶなよ」、 「ばあちゃん、気ぃつけてな」、 「そうか、そうか、大変だろうけどがんばってな」 やはり、そんな声が聞こえてきそうである。 実は私は数日前、朝日の天声人語で紹介された『日本の埋蔵金』(畠山清行著)という一冊の本が届くのを心待ちにしていた。Amazonで注文したその本は待てども一向に届かない。そんな時、いらいらしながら見た昨日の週刊ブックレビューで、出会ってしまったのがこの『風天』だった。読み始めて即、打たれるような衝撃を感じた。こっちの方こそが、まさに埋もれていた「宝」であった。 実は、まだ読み終わってはいない。あまりの凄さに、読み急ぐのが勿体ない。じっくり味わいながら読み進みたい。久方ぶりにそう思える一冊に出会った。 もう一句だけ紹介する。 乱歩読む 窓のガラスに蝸牛 これもまた、情景とともに読み手のひととなりを同時に想起させる。 暗い雨の降る夜の洋館、江戸川乱歩の世界そのままの情景が眼に浮かぶ。雨に打たれるガラス窓をふと見るとそこにはカタツムリが・・・伝奇小説を読む詠み人の置かれた情景と、乱歩の作品世界の風景とがまるで一体となっている。 俳優渥美清と田所康夫(渥美の本名)とは厳格に別人格として貫かれていた。俳人風天は、さらにまた峻別された別の顔であったこともキチンと本書では語られている。俳優渥美清(=寅さん)の強力すぎるイメージを、俳人風天に安易に重ね合わせることは愚かだろう。 例えば、先の句の乱歩の世界そのまんまのオドロおどろしいシーンをもう一度思い起こしてみる。 暗いガラス窓にふと目を向けると、そこには一匹のカタツムリが。一閃の稲妻がその不気味な生き物を照らし出す。そこまではいい。 いま一度稲妻が。稲光は今度は詠み手と思われる人物の顔をガラスに映し出す。 目の無い目。黒いわた飴のような頭。あの顔である。 思わず噴出してしまいそうだ。 俳人風天と俳優渥美清。どうしてもその二つの顔は重なり合ってしまって仕方がない。その二つの顔は完全に別個の人格であったのであろうか。田所康夫なる戸籍名を持っていた人物は、そんな二つどころじゃない沢山の顔をすべて併せ持つ、大きくて深い「器(うつわ)」だったのではなかろうか。 寅さんというひとつの「顔」を演じながらも、知らず知らず響いてくる、この器が併せ持つ深遠なもの。その余韻のようなものこそが、フーテンの台詞と風天の俳句とがともに持つ底知れぬ魅力であろう。 絶賛はこの辺にしよう。寅さんは実はシリアスな内面を隠し持っていた、だなんて薄っぺらな誉め言葉はやめにする。今にもまた声が聞こえてきそうだ。 「それを言っちゃあ、おしめえョ」
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