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道祖土家の猿嫁 講談社文庫
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道祖土家の猿嫁 講談社文庫

坂東眞砂子(著者)

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道祖土家の猿嫁 講談社文庫

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 講談社
発売年月日 2003/01/14
JAN 9784062736442

道祖土家の猿嫁

¥220

商品レビュー

3.7

9件のお客様レビュー

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2010/05/28

藤沢周平氏の「鬼」を…

藤沢周平氏の「鬼」を思い出しました。時代は違いますが女性が虐げられている時代は本当に血なまぐさくていやですね。蕗みたいな人生を送っている女性は違う形で現在にもたくさんいると思います。

文庫OFF

2010/05/28

道祖土家に嫁いできた…

道祖土家に嫁いできた蕗は、容姿から「猿嫁」と呼ばれます。蕗の一生を通しての生活がかかれてます。こんな風に生きてきたんだと、感じました。

文庫OFF

2024/08/27
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

この小説は猿に似た風貌から猿嫁と呼ばれた蕗の一生を明治中頃から現代に至るまで日本の歴史の移ろいを重ねて語ったもの。そこには自由民権運動から始まり、日露戦争、太平洋戦争、東京オリンピックなどが蕗の人生に織り込まれ、彼女の人生に色んな影響を与えていく。 また作者の緻密な筆致は健在で、吹きぼぼ小屋、若者の間で行われた和歌の会などの当時の風俗、火振村の伝統行事である七夕祭りに、その時に行われる女房担ぎなる駆け落ち、「女の家」という風習、道祖土家の先祖を讃える玄道踊りなどを交え、エピソードに事欠かない。 火振村の大地主の長男の嫁として迎えられた蕗は、予想に反して大地主の嫁として村に一目置かれる存在として扱われずに、家内では舅、姑、そして夫にこき使われ、半ば下女のように使われる。家族に隠れて飲む酒を唯一の愉しみにして、明日をまた生きるのだ。 そんな彼女にも転機は訪れる。一度目は夫を亡くして実家に帰ってきた義姉の蔦の父知らずの子を引き取ると決めた時。そこに母親としての強さが芽生えるのだった。 二度目は後に火振合戦と呼ばれる警官と自由民権運動を支持する者達の戦いにおいて、夫と家族を助けるために、牛馬を放ち、警官達を一網打尽にする。 しかし、それらは蕗にとっては一時の転機に過ぎず、蔦の子、秋英は学生時分に家出して、音信不通となり、火振合戦で牛馬を放つきっかけとなった大楠からの啓示から家に植わる大楠を生き守様と拠り所にして、報われない日々を生きていくのだ。 そう、この主人公はいやに報われない。 村の者達から猿嫁と馬鹿にされ、家では下女同然の扱いを受け、老境に入ってからも戦争で若い労力を取られることでなかなか隠居できずに家事に追われる始末。 そして、子供4人のうち、1人は家出して行方知れず、1人は台風に河に落ちて死亡。さらに将来を期待された孫、辰巳に関しては太平洋戦争でビルマへ出兵し、そのまま還らぬ人に(最後にサプライズあるが)。 こういった境遇はもちろんながらも、最も酷いと感じたのは、蕗がセックスにおいて女性の悦びを知らずに死んでしまったことだ。 92歳になって始めて孫夫婦の交わりを目の当たりにし、夫婦の営みとはかくも心地よい悦楽を得られるものかと愕然とするその事実。その股座に手を当てても渇ききってしまっており、もはや潤いは沸かない。その事実に蕗は涙を流すのだ。 この扱いは確かに残酷だと思う。ここに蕗の人生の答えが出ていると私は思った。 人生、楽しい事は僅かしかなく、大抵が辛い事だろう。価値観が多様化した今、全ての人がそうであるとは云わないにしても、ほとんどがそうだと思う。 しかし、そんな毎日の中に、確かに幸せを感じる瞬間はある。 実際、自分の人生を振り返っても、幸せの時というのは頻繁にはないにせよ、決して少なくはない。そんな事を思い浮かべながら、老後に、人生楽しかったと感じるのではないだろうか? しかし、この蕗の人生はどうだろう? 道祖土家の知り合いの紹介で断るに断りきれない気まずさから結婚した夫清重は、蕗との間に夫婦愛というものを介在せず、単純に身の回りの世話をし、時に欲情を覚えた時には一方的に交わるだけの女としてしか蕗を見ない。 最初は猿に似た風貌を注視するのを避けて向き合っても視線を宙に浮かして喋るほどだ。 夫婦間との関係がそんな状態だから、蕗は常に居るべき所にいず、居てはいけない所に腰を据えている居心地の悪さを常に感じながら、とうとう生まれ故郷の狭之国に還ることなく、一生を終える。 一度、離縁を決意して里帰りを決行した時もあるが、結局は引止めに来た夫に負けてそのまま還ってしまった。もしあの時故郷へ帰っていたらという思いが最期の間際でも過ぎる蕗。 これは人生のターニング・ポイントを見過ごした者の行く末を描いた小説なのだろうか。 いや、必ずしもそうではない。 作者は道祖土家に残った蕗を中心に道祖土家の血縁者ら、蕗の子供ら、孫らのそれぞれの旅立ちを描くが、彼ら・彼女らが決して幸せになったという風には書いていないのだ。 作者のメッセージは終章に出てくるある人物からの手紙に書かれている、「常に自分の真の故郷は(中略)母と子供のいる場所だ」の一文になるのだろう。 とすると、作者は蕗の一生は幸せだったと云っているのか? 幸せとはこういうものだと云っているのだろうか? ここに来て私は、またもや首を傾げてしまうのだった。

Posted by ブクログ

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