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空海の風景(上) 中公文庫
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 中央公論新社 |
発売年月日 | 1978/01/10 |
JAN | 9784122005020 |
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空海の風景(上)
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商品レビュー
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本作は、司馬遼太郎が、自作の中で最も愛着のあった作品だと言う。 何度か読み返してみたが、司馬遼太郎の自負の意味が分からなかった。 残念ながら、司馬遼太郎は、己の目指したものを達成できたとは言い難い。 司馬遼太郎の死後、NHKが本書の映像化を目論み、司馬遼太郎夫人の了承を得て、映...
本作は、司馬遼太郎が、自作の中で最も愛着のあった作品だと言う。 何度か読み返してみたが、司馬遼太郎の自負の意味が分からなかった。 残念ながら、司馬遼太郎は、己の目指したものを達成できたとは言い難い。 司馬遼太郎の死後、NHKが本書の映像化を目論み、司馬遼太郎夫人の了承を得て、映像化した。 空海の見た風景を、現代に辿ると言う面白い作品だった。 本書の題名が「空海の風景」と題されているのが、象徴している通り、本書は「空海」を真正面に据えて描いたものではない。 それをやってしまうと、夢枕獏になってしまうことを察して、意図的に避けたのではないか、と思えてくる。 それほど空海本人はスーパーマンだったからだ。 現実に存在した日本人を真正面から描くと、荒唐無稽なスーパーマンとしてしか描くことが出来ない。 そんな日本人は歴史上、空海以外には存在しないだろう。 スーパーマンを生きた歴史上の人物として描く、それを不可能事だと司馬遼太郎は判断したのだと思う。 だから、司馬遼太郎の戦略は、意図的に、空海本人ではなく、空海の見たであろう風景を描写に徹することにある。 その戦略は成功したのか? 成功したと言っても良い。 何故なら、空海は、超人ではなく、優れた歴史上の人間としての相貌を以て風景の中に立ち現れているから。 だが、それによって失ったものは多い。 何故なら、空海のスーパーマンとしてのパフォーマンスが消失してしまったのだから。 司馬遼太郎の特質は、歴史的事実に類稀な想像力を駆使して、歴史上の人物に血肉を付与することにある。 「空海の風景」は、空海という「図」を、風景という「地」によって浮かび上がらせようという戦略の下、 構想されたものだ。 そのため、司馬遼太郎の類稀なる想像力にブレーキがかけられている。 だから、本書は我々が期待する司馬遼太郎「文学」ではなくなっている。 その結果、ここに浮かび上がった空海には血肉が通っていないことになる。 竜馬や歳三のような強烈な、生きているという確かさが不在なのだ。 竜馬や歳三のような血肉を持った空海を期待して誰もが本書を読むが、その期待は裏切られることになる。 元より、そんな期待を持つこと自体が不可能事なのかもしれない。 何故なら、空海の途轍もない偉大さ、凄さは、思想的なものだからだ。 空海の宇宙的な思想的巨大さを抜きにして、彼を描くと、夢枕獏のようなSF小説にならざるを得ない。 だから、司馬遼太郎にしても、小説化することができなかったのだろう。 空海の思想的な途轍もない深さ(高さ)を描くことが不可能であり、SF小説を描くことを拒否した場合、残された道は、空海の生きた時代の「風景」を描くしかない。 そうして生まれたのが「空海の風景」だったのではないか。 空海の風景にどんな空海を浮かび上がらせるかは、空海の思想をどれだけ深く(高く)読み取ったかによって異なる。 だから、後は読者次第。 それが司馬遼太郎が本書で行ったことだ。 浅い空海しか立ち現れないのは、あなたの空海理解がそれまでなのですよ、と司馬遼太郎に見透かされているような気がする。 そうした、焦燥感に駆られた読後感というのは、精神衛生上よろしくない。 ということで、その焦燥感を埋めるべく、読むのは、松岡正剛の「空海の夢」ということになる。
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著者は「こうも想像を抑制していては小説というものは成立しがたい」などと言いながら、ノンフィクションとも小説ともつかない、中途半端な記述に終始している。「小説」と言った時点で、読者としてはストーリーに入り込みたいわけで、いちいち「空海は、あるいは~と言ったかもしれない」調で書かれて...
著者は「こうも想像を抑制していては小説というものは成立しがたい」などと言いながら、ノンフィクションとも小説ともつかない、中途半端な記述に終始している。「小説」と言った時点で、読者としてはストーリーに入り込みたいわけで、いちいち「空海は、あるいは~と言ったかもしれない」調で書かれては、ストーリーに入り込みづらいことこの上ない。興が削がれるのである。 そのくせ空海は"性欲が強かった"だの、"したたかだった"だのという人物像については断定的で、控え目なところがない。著者が「人間空海」を描きたかったのはわかるが、スーパーマンである空海を、かように安易に俗人の"ものさし"でとらえ切れるものだろうか。それこそ密教を「筆授」によって極めんとする愚に近いものではないか。 それでも「小説」だから、著者のエゴの投影だから堪忍して、と言ってくれればまだすんなり許せるのである。ところが上記の通り、「小説」としては非常に微妙な書き方をしているために、引っかかりを感じざるをえない。素直に楽しめないのだ。 ここに書かれた空海は、空海の実像とは大きくかけ離れている可能性がある(その可能性は高いと思う)。それならばエンターテイメントとして、もっと「小説」に徹して欲しかった。まだ(上巻)しか読んでいないが、(下巻)では三流歴史家としてではなく、小説家としての責任を著者に果たしてもらいたいと切に願う。
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空海をテーマにしている。風景と題しているくらいだから「...らしい」が多用されている。平安時代、密教など文化的な内容が多く、正直自分には退屈なだけで上巻が終わった。それでも司馬遼太郎が「日本史上最大の天才」と評するくらいだからと頑張って読み進めているし、時折「おっ」と思う文章はあ...
空海をテーマにしている。風景と題しているくらいだから「...らしい」が多用されている。平安時代、密教など文化的な内容が多く、正直自分には退屈なだけで上巻が終わった。それでも司馬遼太郎が「日本史上最大の天才」と評するくらいだからと頑張って読み進めているし、時折「おっ」と思う文章はある。
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