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新・人間革命(第14巻) 聖教ワイド文庫
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 聖教新聞社 |
発売年月日 | 2007/01/17 |
JAN | 9784412013544 |
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新・人間革命(第14巻)
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―1969年(昭和44年)5月3日の本部総会の席上、山本伸一は750万世帯の指標を示すとともに、創価大学に「人間教育の最高学府たれ」等の三つのモットーを示した。 また、過激化していく学生運動について「第三の道」を開いていくよう学生部員に提案する。教育の自主性、独立性を確保するために、立法、司法、行政の三権分立に教育権を加えた「四権分立」構想を提唱。 ―ガンジー「私は人間の活動から遊離した宗教というものを知らない。宗教は他のすべての活動に道義的な基礎を提供するものである。その基礎を欠くならば、人生は「意味のない騒音と怒気」の迷宮に変わってしまうだろう」(p.95) ―児童文学者 長田若葉(「桜の国の少年」等)の入会から文芸部結成までが印象的だった。闘病しながら執筆する長田に対して、若い女性編集者が「長田先生、仏法は自分の最高の生命力を湧現させる法則なんです。また宿命を転換し、崩れざる幸福を確立する生命の哲学です。~私はぜひ先生に健康になっていただきたいのです。そして二十一世紀に生きる子供たちの。心の財産となるような作品をたくさん残してください。」と訴える。入会前に戸田先生の出版社で出版した経緯も。 入会後、仏法の深遠な生命哲理を学ぶにつれて、その仏法を基調にした人間主義の文学を創造したいとの思いを深くした。(p.176~) ―”なんで学会員は、人のために、あれほど一生懸命になれるんやろう。苦しんどる人がいると、一緒に悩み、励まし、手を取り合って喜び合う。打算も、利害もない。きれいごとを並べたてたりはせえへんが、なりふり構わぬ誠実の行動がある。地に足が着いた善意を見る思いがする。”(p.185~) ーーー 智勇 / 1969年、学園紛争のさなか「学生運動の第三の道」を提案。「新学同」結成し、人間主義の運動を展開。創価大学 使命 / 白樺グループ結成。アメリカでの日米総会で鼓笛隊がパレード、文芸部も結成、信心と出会い、研鑽していく文学者たち 烈風 / 病魔と闘い、関西各地の友を激励する闘争の日々。言論問題の嵐を越え、創価の陣列は進む。 大河 / 70年5月3日、会長就任10周年。ブロック組織など、新たな広布の前進を開始。聖教新聞社屋も完成。
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著者、池田先生(1928~2023)の作品、ブクログ登録は16冊目。(対談集を含む) で、本作の内容は、次のとおり。 ---引用開始 【智勇】 1969年(昭和44年)5月3日の本部総会の席上、山本伸一は750万世帯の指標を示すとともに、創価大学に、「人間教育の最高学府たれ...
著者、池田先生(1928~2023)の作品、ブクログ登録は16冊目。(対談集を含む) で、本作の内容は、次のとおり。 ---引用開始 【智勇】 1969年(昭和44年)5月3日の本部総会の席上、山本伸一は750万世帯の指標を示すとともに、創価大学に、「人間教育の最高学府たれ」等の三つのモットーを示した。 また、過激化していく学生運動について「第三の道」を開いていくよう学生部員に提案する。 伸一は、月刊誌に次々と筆を執り、暴力革命では真の社会改革はできないことを述べ、人間革命を根本とした無血革命こそ、社会の矛盾を乗り越える道であると強調。また、三権分立に教育権を加えた「四権分立」構想を提唱していく。 未来ある学生を守りたいと願う伸一は、夏季講習会の折、男子学生部が大学の自治を奪う「大学立法」に反対する抗議集会を行うと聞けば、自らデモの先頭にも立った。 その姿に、多くの学生部員が奮起。やがて彼らは、学生運動の「第三の道」を目指し、新学生同盟(新学同)を結成するのである。これは後の青年部の難民救援運動など、学会の平和運動の先駆的試みとなった。 【使命】 この年は、広布の緑野に、多彩な使命の花が、新たに咲き始めた年であった。 まず、女子部の看護婦(現・看護師)メンバーによる白樺グループが結成。「生命の世紀」へ飛翔を開始した。さらに鼓笛隊は、アメリカでのパレードに参加し、数々の感動のドラマが生まれていった。 “新しい時代を担う人材を育成しよう”——伸一は、同志が使命に乱舞する時代をつくるために必死であった。 夏季講習会では、37カ国・地域から集った海外の友に、雨中、濡れながら渾身の激励を重ねた。そして、文芸部の結成式に臨んでは、文は生命であり、文は魂であり、また文は境涯であると語り、新しきルネサンス(文芸復興)の担い手が、陸続と育つことを願うのであった。 【烈風】 間断なき伸一の戦いは過酷を極め、体力も限界に達していた。 師走。この年、7度目の関西訪問中、伸一は急性肺炎による高熱と咳に襲われる。だが、医師も危ぶむなか、和歌山に入り、病を押して学会歌の指揮をとる。その生命を賭しての激闘は、全同志を鼓舞し、偉大な民衆勝利の歴史を開く。 当時、学会は荒れ狂う烈風にさらされていた。折から浮上した“言論・出版問題”に事寄せ、ついには、国会まで巻き込んで学会と公明党への攻撃が沸騰するのである。 その背景には、大躍進を続ける学会、そして公明党に危機感を抱いた、既成の宗教勢力と政治勢力が結託し、迫害の構図が作られていたのである。 だが同志は烈風をはね返して、70年(同45年)1月、目標より早く、会員750万世帯を突破する。伸一もまた、体調の悪いなか、同志を励ますために、小説『人間革命』第6巻の執筆を再開する。 第三代会長就任10周年となる5月3日が近づきつつあった。伸一は、広宣流布の流れが渓流から大河へと変わる今、新たな展望を示そうと決意する。 【大河】 1970年(同45年)5月3日の本部総会で、伸一は、広宣流布とは“流れそれ自体”であり、永遠の闘争であると強調。そして、広宣流布は“妙法の大地に展開する大文化運動”と位置づけた。 そして、学会の組織形態について、これまでのタテ線——紹介者と新入会者のつながりで構成された組織から、ヨコ線——地域を基盤としたブロック組織へと移行することを提唱。それは、地域のなかに人間の連帯を作り上げるためであった。 伸一の眼は21世紀に注がれていた。ゆえに、未来の主役となる少年少女の育成に全力を傾けた。その翼の下から、人材グループ「未来会」の若人が力強く羽ばたくことになる。 同年9月、聖教新聞社の新社屋が落成。伸一は、日々、惰性を打ち破ることが、良い新聞をつくる最大の要件であると指導。1カ月半後の全国通信員大会では、“通信員と配達員こそ新聞の生命線”と訴え、“大河の時代”へ、着々と布石を重ねていったのである。 ---引用終了 気になった箇所は、p285。 「日中友好の先達である松村謙三との会談であった。日本と中国の国交正常化を実現し、両国の万代にわたる友情と信義の道を開くための語らいである。」 ここで登場した松村謙三さん、どのような方かというと、ウィキペディアには、次のように書かれています。 ---引用開始 松村 謙三(まつむら けんぞう、1883年〈明治16年〉1月24日 - 1971年〈昭和46年〉8月21日)は、日本の政治家。 ---引用終了
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