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挑発する知 愛国とナショナリズムを問う ちくま文庫
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 筑摩書房 |
発売年月日 | 2007/11/09 |
JAN | 9784480423870 |
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挑発する知
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商品レビュー
3.9
9件のお客様レビュー
ハーバーマスとルーマンの論争とはどんなものだったのか。 その答えを求めていくと、意外にも姜尚中と宮台真司の対談に行き着いた。 私の立場も明らかになる。やはりシステム論である。大多数の人の理性を信じつつも、システムを操縦せざるを得ない。これ、システム論。
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一部加筆2007(底本2003)年刊行。◆戦争(国家による暴力)、社会における暴力、国家概念、アジア(特に東アジア)、メディアと知識人、アメリカと日米関係を軸に、社会思想・政治思想の観点から現代を読み解く一書。◆集団的自衛権(国連中心主義か?)や改憲問題にも触れているが、やはりメディアへの露出の多い2人だけあり、メディア論が一番面白い。◇前者に関しては、具体的な権限行使の在り様が首相やその取り巻きのパーソナリティに依存する問題を相当過小評価しているのが気になる。◇また、国民益を実現するための方法。 すなわち、国民益の実現のため、ネイション・政治権力の操縦を徹底して吟味・検討・実行するという議論は、理念的には首肯する。しかし、そもそも、➀投票率の現状、②選挙権以外の政治権力操縦方法の具体的プログラムの不足(請願権の乏しい実)、③著者のようなリテラシーと余裕ある人物ならともかく、日常生活に汲々としている人々に著者らの呼びかけが空疎に映らないか、④代議制・間接民主主義採用の基本理念が、ヒトラー的独裁者を生み出さないためにあり、これとのバランスをどう図るか。種々の疑問は生まれてくる。 ◆とはいえ、社会思想・政治思想のブックガイドの役割も果たせ、全体的に割と判り易い文章なので、一読に如くはないだろう。◆ただ、著者らはネオリベラリズムを新自由主義と同義と捉えており、理念的に小さな政府を標榜する新自由主義と概念矛盾の上、所得再分配の再構築を目指すのがネオリベとする佐々木毅氏の分析とはかなり違う。この点は注意・検討必要か。◆著者姜は東京大学情報学環教授、宮台は首都大学東京都市教養学部教授。
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姜尚中と宮台真司が2003年におこなったトーク・セッションをまとめた本です。 新自由主義や当時の第一次安部内閣に対する批判という点では共闘関係にあるとはいえ、2人の立場にはかなりの隔たりがあると思うのですが、対談ではなくトーク・セッションということもあってか、正面から意見をぶつ...
姜尚中と宮台真司が2003年におこなったトーク・セッションをまとめた本です。 新自由主義や当時の第一次安部内閣に対する批判という点では共闘関係にあるとはいえ、2人の立場にはかなりの隔たりがあると思うのですが、対談ではなくトーク・セッションということもあってか、正面から意見をぶつけ合っているという印象はなく、ちょっと肩すかしの感があります。 とはいうものの、丸山眞男の評価やネグリのマルチチュードをめぐる議論では、宮台の方がかなり「挑発する」ような問題提起をおこなっています。しかし姜の方は、何か戦略的な意図があるのか、宮台との対立を回避しようとしている印象を受けます。また宮台が執筆している「まえがき」では、自身と姜との違いをクリアに整理しており、「認識」を重視する立場と「制御」を重視する立場の違いとしてまとめています。しかし「あとがき」を執筆している姜の方は、宮台の問いかけに触れつつも、あまりみずからの立場を明確にする議論を展開していません。 私自身は、丸山やネグリの評価に関しては姜の方に共感を覚えているので、こうした姜のあいまいな態度には正直なところ苛立ちを覚えてしまいます。たとえば、宮台はシャンタル・ムフのネグリ批判を参照しながら、マルチチュードがグローバリズムへの「対抗」ではなく「補完」にしかならないと言い、また19世紀的なアナキズムにすぎないのではないかと論じていますが、反対に宮台の主張するような社会的包摂の危うさについて切り込むことも可能だったのではないか、という気がします。
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