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大学でいかに学ぶか 講談社現代新書
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 講談社 |
発売年月日 | 1966/05/16 |
JAN | 9784061154780 |
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大学でいかに学ぶか
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商品レビュー
3.8
8件のお客様レビュー
1966年に書かれた本ですから文体や取り上げられている時事ネタは古いです。 ですが、本書で提起された問題は色あせていません。第1章の「学ぶということ」や、本書の結びとしておかれた第7章「現代学問のすすめ」は現代の大学生(あるいは大学を目指す高校生)はぜひ読んでもらいたい内容ですし...
1966年に書かれた本ですから文体や取り上げられている時事ネタは古いです。 ですが、本書で提起された問題は色あせていません。第1章の「学ぶということ」や、本書の結びとしておかれた第7章「現代学問のすすめ」は現代の大学生(あるいは大学を目指す高校生)はぜひ読んでもらいたい内容ですし、最近大人が子ども叱れていないという自戒を込めた筆者の感慨はすんなりと受け入れられるものでしょう。 あらためて学生の頃、教授に誘われて飲みに連れて行ってもらったことのありがたさ、そういう雰囲気がまだ残っていた地方大学で学べたことの幸運を懐かしく思い出しました。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
この著作は「学ぶということ」、「学問への私の歩み」、「現代が背負う二つの課題」、「私の歴史研究」、「苦楽一如」、「対話の学び」、「現代学問のすすめ」の七部から構成されている。著者の増田四朗は1908年生まれの明治期生まれであり、その学者期間中には戦争も経験している。そしてこの著作は昭和四十一年発行のものであり、この時期は高度経済成長期、日本の興隆期であり時代的な大きな転換期であった。この本はタイトル通り、大学でどう学ぶべきかを中心に据えて書かれたものであり筆者である増田四朗の生い立ちやその研究内容及びその成果はその補強として描かれているにすぎず、この本を通じての主張は血肉の通った「コミュニケーションの母体となっていく」大学を目指し、それを通じて「社会に、政治に」それによって生まれた考えを「反映させていく」ことで、現代から見た現代社会のとらえ方を対話を起点として模索していく、その過程にできるだけ寄与すること、である。筆者と同大学に通う自分にとって先輩の活動の記録としても非常に興味を持って読むことができたと思う。
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近年はあまり五月病といふ言葉を聞きませんが、入社や入学自体を目的として活動してきた人々は、何をやれば良いのか分からず彷徨してゐるのではないでせうか。 やはり入つてから何をしたいといふ強い願望が無い人にとつては、入社や入学がゴールとなり、その後の目的を失ふことは容易に想像が付きます...
近年はあまり五月病といふ言葉を聞きませんが、入社や入学自体を目的として活動してきた人々は、何をやれば良いのか分からず彷徨してゐるのではないでせうか。 やはり入つてから何をしたいといふ強い願望が無い人にとつては、入社や入学がゴールとなり、その後の目的を失ふことは容易に想像が付きます。 『大学でいかに学ぶか』は、新たに大学生となつた人向けに、もう50年近くも前に書かれた書物でございます。実はわたくしが大学生になつた頃に購買したものです。その時分は、割かし真面目に「大学での学問の仕方を学びたい」と思考してゐたのですよ。まあ中には、「いかに学ぶか」なんて大きなお世話だぜと呟く人もゐるでせう。それもごもつともだと思ひますので、さういふ人はご随意に。 書名からして、もう少し説教染みた、末香臭い内容かと思ひましたが、これが中中刺激的で、古びた様子が全くない指摘の連続なのですよ。著者は高名な歴史学者なのに、語り口は穏やかで、まるで中学生に対して講演でもしてゐるやうです。約50年前に書かれたといふ予備知識なしに読めば、まるで現在の事を述べてゐると錯覚しさうなほど、先進的なのですね。教育者として学生を見る目は中中に厳しい。逆に言へば、現代の学生も進化してゐないといふ証左でせうか。 明治以降の日本の学界は、十八世紀・十九世紀の欧州を手本にしてきました。確かに当時は西欧といふのが世界の超先進国で、西欧が世界を引つ張つてゐるとの前提で、何となく世界の約束事が作られていきました。しかしながら二十世紀は新興国の時代であります。古い物差しで測れば無理の出る時代。無理とは摩擦だつたり戦争だつたりします。 日本ではさすがに欧米崇拝の風潮は衰へたとはいへ、まだ我我の生活はその延長線上にあるのではないでせうか。 そんな我我が、古い学説を覆し新たな発見をするのは真に難しいことであります。しかし著者は言ふ。 「大きなダムも、蟻の穴でくずれるとさえいいます。あの大きなマルクス主義の体系もくずれるかもしれません。(中略)ヨーロッパの偉い学者が考えたことは不動の真理だと考える義理もまったくないのです。(中略)自分はここまでしかわからないが、そこまでについては、動かない証拠をあげ、論証ができるというものを見つけていく。それは蟻の穴ほどの小さなことかもしれません。しかし、そういうことをいくつもくり返してやっているうちに、いつかはダムもくずれるかもしれない、そのあとはだれかが築いてくれるであろう。―そうした、自分を捨て石にする気持ちにならないと、学問というものは客観化してきません」(7「現代学問のすすめ」より) 捨て石ですよ、捨て石。刹那的な功名心、名声を得たいと思ふ心は誰しも有るでせうが、そこをあへて捨て石になれと......何と厳しい世界なのでせうか。 ま、わたくしは歳を取り過ぎてゐますので、若い諸君の中から、覚悟を持つた人が出現することを望むものであります。 いやあ、我ながら無責任な発言ですなあ。 http://genjigawa.blog.fc2.com/blog-entry-547.html
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