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上田閑照集(第10巻) 自己の現象学
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上田閑照集(第10巻) 自己の現象学

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上田閑照集(第10巻) 自己の現象学

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 岩波書店/岩波書店
発売年月日 2002/08/01
JAN 9784000924702

上田閑照集(第10巻)

¥3,520

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2012/06/13

第1部は、『私とは何か』(岩波新書)の文章を再編集して収録している。自分を指して「私」ということは、「自分に返る」方向と、その自分を他者に向けて差し出すという「自分から出る」方向から成る行為である。この運動を、著者は「我は、我ならずして、我なり」と言い表わす。だが、「自分から出る...

第1部は、『私とは何か』(岩波新書)の文章を再編集して収録している。自分を指して「私」ということは、「自分に返る」方向と、その自分を他者に向けて差し出すという「自分から出る」方向から成る行為である。この運動を、著者は「我は、我ならずして、我なり」と言い表わす。だが、「自分から出る」という自己否定の契機がこの運動から脱落して「我は我なり」と短絡するとき、自己執着に陥ることになる。仏教ではこのような事態を「我執」と呼んできた。他方、「自分から出る」ことから自己への還帰がなされないときには、「自己喪失」に陥ることになる。仏教では、自己否定によって「無我」へ出ると同時に、大きな弧を描いて自己へと返る全運動を「覚」と呼んでいる。 哲学的人間学は人間と環境世界との関わりを明らかにし、ハイデガーは世界内存在としての現存在のあり方を論じた。だが著者は、「我ならず」という自己否定を通じて、私たちは自己と世界との関わりを超え包むような限りない「開け」に透入することになると考える。この「開け」を、仏教では「尽十方」と呼び、著者は「虚空」と呼んでいる。こうした「虚空」への透入は、たとえば私と汝との出会いにおいても生じている。私たちは、私と汝の「間」へと自己を還滅しつつ、そこから蘇ることで汝と相対している。 第2部は、第1部と関わる内容の文章を2編収めている。このうち「「私」と「自己」」は、M・アンリのデカルト解釈や木村敏氏の精神病理学などを手がかりとしながら、「我は、我ならずして、我なり」という仕方で統合される自己のあり方を考察する試みである。 第3部はエッセイ集となっている。著者ともなると、殴られたエピソードも居眠りをしたエピソードも、様になってしまうのがおもしろい。

Posted by ブクログ

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