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出発は遂に訪れず 新潮文庫
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 新潮社/ |
| 発売年月日 | 2007/08/01 |
| JAN | 9784101164014 |

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出発は遂に訪れず
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商品レビュー
3.4
8件のお客様レビュー
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
森川氏の解説いわく、グループ分けしたら4種類。 A 直接に戦争体験 …… 島の果て 出発は遂に訪れず B 妻の病気や子供たちとの生活 …… 帰巣者の憂鬱 マヤと一緒に (AとBの重なり 廃址) C 漂泊者、亡命者に対する衝動、一種の紀行文学 …… 単独旅行者 D 夢 …… 夢の中での日常 兆 帰魂譚 A■島の果て 「新潮文庫100年の名作第4巻」で既読を再読。 寓話や童話の文体。 前半は誰が主人公かわからないまま、軍人の中尉が描かれ、後半はトエにカメラが移行する。 島尾ミホが後に「その夜」を書いたのは、この短編へのアンサーだろう。 初出は同人誌「VIKING」(@神戸)、島尾敏雄は創刊同人。 なんと久坂葉子も輩出! C■単独旅行者 前半、戦前に交流があったロシアの少女家族との再会(@島原)と、後半、旅行中に出会った女との関係。 前後半がつながっているかどうか、よくわからない。 たまたま最近見た映画を連想したが、リチャード・リンクレイター監督「ビフォア・サンライズ/恋人までの距離」っぽい顛末。 なんでもつげ義春が本作を気に入っているらしいのだが、語り手が腹具合を気にし続けているところとか、確かに。 放浪趣味? 蒸発志向? D■夢の中での日常 夢。スラム街。少年団。ノヴェリスト。母。父。つげ義春(への/からの?)影響。 D■兆 夢。神呪巳一(カンノウミイチ)。毛内(モウナイ)。沢(サワ)。井伊。なんつー名前。毛沢東? 外国人による兵士訓練。 ゴムサック。号令。特攻兵器の狭さ。胃腸が垂れ下がる感覚。 井戸川輝正と、澄子。妻。 B■帰巣者の憂鬱 巳一と妻ナス。 「死の棘」と違うのは、ナスの内面が描かれる。 ナスの発作から逃げて、飲みに行き、売春婦と寝るが、病気の感染が怖くて消毒。このへん、強迫神経症の傾向か。 ナスは雨戸の外に、夫が帰ってきたと幻視。 息子の子之吉(ネノキチ)、娘のタマ。 夫は妻から聞いて、「あの帰ってくるやつがじゃまっけなのだ」と。 A+B■廃址 「死の棘」のその後。 私と妻ケサナが、十年ぶりにN浦へ。 D■帰魂譚 夢。リマーカブル。ポレミク。プラクネチック。向陽性。陽(ヤマナミ)に促されて。 B■マヤと一緒に 出張して、私と、マヤの言語障害?の診察。 マヤの初潮? パンツがよごれた。 ……あれだけ両親の諍いや母の狂気を見せつけられたら、とつい思ってしまう。 A■出発は遂に訪れず 冒頭「島の果て」と対になる巻末の配置。 もちろん島尾ミホ「その夜」の変奏。 確かに代表作の風格。 ◇解説 森川達也 ◇「心配」の波紋が重なるとき 堀江敏幸
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デビューから中期にかけた短編集。 非常に鬱屈としていて内向的な作品が並ぶ。 しんどいボリュームと文字密度だが、『夢の中の日常』は完全に開眼しており底知れないエネルギーを感じた。
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「夢の中での日常」と「パラ.イメージ論」 -2008.07.26記 島尾敏雄の短編「夢の中での日常」- この超現実的としか言い得ないような作品世界を、吉本隆明は「ハイ.イメージ論Ⅱ」のなかで「パラ.イメージ論」なる一章を設けて、図形論的に解読してみせている。 それを一言で云うならば、言語における概念と、その言語が喚起しうる可変的な像との関係を、有機化学における、一般に基同士の反応する位置関係を表す、オルト-o-.メタ-m-.パラ-p-を導入し、図形化しようというものであるらしいが、高校化学の知識すらすでに遠い彼方の霧の中状態の私などには、取り付く島もないような言葉の叛乱で、まるでお手挙げなのだ。 先ずは、オルト-o-とはなんぞや メタ-m-は? さらに、パラ-p-とは? さしあたりこれら有機化学の基本的keywordらしいものをごく大雑把に理解するのに、あれこれとネットをググってみたりして、数時間を要してしまったような始末である。 いろいろ見ていくと、オルト-パラ転化=o-p変換の反応では一般に自己発熱が生ずる、ということもわかってきた。 まるで泥濘のなかの落とし物を手探りで掻き分けしているような悪戦の果て、やっと本論を再読にかかる。 なるほど少しは見通しよくなってきた。 「文学作品がどんな自意識の手でつくられても、いつも無意識の達成を含んでいる。‥書き手の主観的な思い入れは、いつもいくぶんかは意図と実現の食い違いにさらされる運命にあるといっていい。これが文学ということの意味なのだ。」 「あるひとつの文学作品のなかで、言葉が像をよびおこすときその像をどう位置づけたらいいのか。‥この像は印象からいえば言葉として意味の流れを減衰させているようにみえる。その減衰をいわば代償としておぼろげな像を獲得しているといえそうなのだ。‥言葉の概念と像のあいだに内から連関があり、しかも概念の強度が減衰するのと言葉の像が出現するのとが逆立するようにかかわっていることを前提にしてみる。すると入眠状態あるいは夢の状態がいちばんこれに近いことがわかる。この入眠または夢の状態は、ひとつの極限として、ちょうど無意識の独り言が音声をともなわないで呟かれている状態になぞらえられる。‥これとまったく逆の極限をかんがえれば、像が場面ごとに不連続で、意味の流れなど到底たどれなかったり、前後がアト.ランダムで流れなかったり、まったく荒唐無稽になってしまう場合がありうる。でもどの場合も、像が連続している状態を、無意識に実現している。」 「文学作品の言葉がある場面で像をよびおこしているとき、言葉はこのふたつの極限を境界にして、その内側にある帯のどこかに位置づけられると思える。その位置は言葉の概念が意味の流れとしてさしだすものを減衰させはするが、それの代償としてかすかな像をあらわしている状態だ。この位置は、いってみればオルト-orthoの位置なのだと思う。オルト位置では言葉は意味の流れをつくりあげる機能をいくぶんか減衰させ、それにともなって、微かな像を手に入れている。」 「なぜオルト位置とみなすべきか。メタ-metaの位置では言葉の意味の流れはいっそう弱まってしまう。そしてそのかわりに像化の強度はいっそう加わっていく。このメタ位置ではすでにふつうの言葉の概念の群を統轄する像とか、像と像とを概念が統轄している状態を想定したほうがいいことになる。またパラ-para位置では像の強度としては視覚の映像とひとしい鮮明さを想定しなくてはならず、言葉の像としては不可能に近くなる。そこで普通の言葉の像と概念を、もうひとつ垂直の次元から-いいかえれば巨視的な世界視線と対応して微視的に-鳥瞰的に統轄する像の意味をもつことになるため、とうてい言葉の第一次的な像化にふりあてられない。」
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