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共通感覚論 岩波現代文庫 学術1
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 岩波書店/岩波書店 |
発売年月日 | 2000/01/14 |
JAN | 9784006000011 |
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共通感覚論
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共通感覚論
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雄二郎のことはけっこう気にかかってはいた。彼は「臨床の知」なる概念を提唱していたからである。つまり、病気と呼ばれるものに対して、科学的客観的に判断して投薬治療などを加える精神医療に対して、いわゆる患者が抱えている問題に対して、その患者の視点で捉えていくという、カウンセラーや心理療...
雄二郎のことはけっこう気にかかってはいた。彼は「臨床の知」なる概念を提唱していたからである。つまり、病気と呼ばれるものに対して、科学的客観的に判断して投薬治療などを加える精神医療に対して、いわゆる患者が抱えている問題に対して、その患者の視点で捉えていくという、カウンセラーや心理療法の礎のような考えを広く提唱した人物なのであるが、それと本著の内容はまるで関係なかったりもする。 本著で分析されるのは「共通感覚」である。似た名前に共感覚というものがあるがこれとは違う。後者は、感覚器官が在る意味ばくっているといった感じで、文字を読んで色のイメージがわくといった形である。個人的にはたまーにそういう経験があるのだけど、共感覚者はそれがいつもらしい。だが、共通感覚は少し違う。この共通感覚ってやつは、コモンセンスとかセンスコムーニスとか呼ばれているが、現代的な意味で訳すときには、「常識」となる。要するに、コモンセンスには二つ意味があり、一つ目が「常識」で二つ目が「共通感覚」なのである。常識は、まあ、いいだろう。これは非常に実践的な概念で、キケロがその親の存在であるという。キケロとは、ストア派の時代にいた人物であるが、彼は非常に「実践性」を推すのである。堅苦しい理論よりは実践性を尊んだ人物である。で、もう一つが「共通感覚」である。共通感覚っていうのは、つまり、個人に対してかつ、集団に関しての共通という二重の共通性があるように個人的には感じられる。個人に対しての共通というのは、「すべての感覚の基礎にある」感覚といった意味合いである。これは現代的には「視覚」として考えられがちだが、しかし、著者はここで「触覚」の重要性を提唱する。確かに一見視覚が優位に見えるが、視覚ではものを真には感じられないのではないか?つまり、視覚によってわれわれの感覚は順序付けられるのだが、それは表面的なものであり、その前に裏方的な礎として働いているのは、触覚などの「体性感覚」であるというのが著者の主張である。で、これは個人的な共通性なのだけれども、実はこれが個人を超えて集団においても共通しているのである。これはフッサールの言うところの相互主観性とでも呼ぶべきものなのだろう。 ちなみに、精神病理学者の、木村が解説を書いているのだが、この論点が木村にかなりの影響を与えている。つまり、分裂病者はこの共通感覚が崩れてしまったのではないか?だから、個人内における感覚が共通性を失い調和がとれない上に、それが相互主観的に一定の合致を示すということへも実感がもてなくなる。だからこそ、世界から分離してしまったような違和を感じることになる。それは、つまり、世界の中において、自分という「場所」=「トポス」を失ってしまったということである。その場所というのは、つまり、主語であるところの自分にあれこれ納まってくるはずのが述語の収納所である。その場所がわからなくなるせいで、うまく述語が収まらず自分がいまいち自分であるという感覚がつかめなくなる、わけである。と木村にシフトしてしまったが、中村⇔木村がリンクするこの部分が本著の最大の魅力だと思われる。
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第1章 共通感覚の再発見 第2章 視覚の神話をこえて 第3章 共通感覚と言語 第4章 記憶・時間・場所 終章 注 現代選書版あとがき 現代文庫版によせて [解説]私事と共通感覚 木村敏 索引 (目次より)
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「常識」とは何ぞ?と長年思っていたので、やや難しい内容ではあったけど納得できるところが多かった。哲学的切り口で論じるとこうなるのかぁ、と思った。難しいテーマなのに、わかりやすい文章だったのには感謝。
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