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商品レビュー

4.1

9件のお客様レビュー

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2026/04/13

「近代史のおんな」村上信彦著 で『大関和・近代看護の先駆者』のなかで和のエピソードが「明治百話」の中から紹介されていたので手に取った。 「明治百話」は著者の前書き、『私の実話主義~話はナマの話に限るという事』によると、”私の実話聴収癖は、幼いころに預けられた理髪床でこぼれ聞こえ...

「近代史のおんな」村上信彦著 で『大関和・近代看護の先駆者』のなかで和のエピソードが「明治百話」の中から紹介されていたので手に取った。 「明治百話」は著者の前書き、『私の実話主義~話はナマの話に限るという事』によると、”私の実話聴収癖は、幼いころに預けられた理髪床でこぼれ聞こえる理髪場の世間話、浮世話からで、新聞記者になっても、紙面は実話に限るという主義方針で・・” とあり、「聞いた話」をまとめたもの、と伺える。 <大関和> 2話収録されているが、文面から大関和が語っている、という体裁になっている。篠田氏が面接して聞いたのか? 『日本看護婦の嚆矢』p113  ○まず紳士貴婦人の後援  明治16年女宣教師ジョン・バラ婦人が病気になって看護婦を求めたが日本にはなかった。そこでバラ婦人は「看護婦養成所」を思い立ったがアメリカに帰国し奔走中亡くなった。遺志を継いだ桜井女学校のツリー女史が「看護婦養成所」を思い立たれた。私共はその第一期の卒業生で・・  ○第一回卒業の難行苦行  明治19年に、いよいよ桜井女学校内に「キリスト教看護婦養成所」というのが創設されて・・・第一回の私達の難行苦行は、まずお話のタネでした。寄宿舎生活ですから、炊事雑巾がけ便所掃除などをさせられ、午前中講義を筆記し、同十一時半寄宿舎へ引揚て、昼ご飯の支度をいたし、十二時半には後片付けをすまして、午後一時から三時まで授業にいそしみ、また引揚て帰ってから、夕ご飯のこしらえ、井戸水を鶴瓶で汲み竃に薪をくべて御飯をたくんですから・・・  ○三宮婦人の付添い看護婦 大学病院の頃明治26年でしたが、悪疫チブスの流行はげしく・・この時鈴木雅子さんが、北里博士や高木兼寛博士に相談されて慈善看護婦会というものを「東京看護婦会」と改称して、一般の病家へ看護婦派出を盛んに始められましたが、恐らくこれが家庭への看護婦をば進出させた嚆矢でしょうと思います。  三宮婦人が入院中、英国婦人ですから、英語のできる看護婦というご注文で、私が推挙される栄誉を荷いました。  ○心中未遂の八幡楼花紫  三宮婦人の入院中、根津の八幡楼閣の花魁で源氏名「花紫」が心中未遂で病院に運ばれた。そこで三宮婦人の耳にも入り、婦人は花紫に花やお菓子などを贈られた。 『家庭看護の嚆矢』p161 ○御病人で紋付羽織 日本で嚆矢の仏蘭西通訳官長田敬太郎さんのお屋敷に伺った。癇癪もちだった ○ソノ娘が看護婦に 長田さんが「君は生まれはどこか」「栃木県です」「ナニ栃木県だ、栃木県はどこだ」「那須郡黒羽です」「那須郡黒羽だ、あすこには旧幕時代、若年寄に大関肥後守の家来に大関弾右衛門という人があったが、知っているか」「ハイその娘です」「ナニ団右衛門殿の娘だ、道理で大関を名乗っていると思った ○職服で御供の許可 長田氏は私の御看護中に亡くなられましたが、いよいよ御葬儀のみぎり、御供の列に加わることとなりましたから、職服での御供の間へ、附添いまして、衆目をひいたものです。・・黒の看護服でしたから・・・御葬儀に看護婦の職服で附添うことは、この時から始まったものです、多分私が嚆矢だろうと存じます。 本書の底本には、昭和6年、四条書房刊行の『明治百話』を使用した。とある。 篠田鉱造:1872(明治4)~ 1965(昭和40)は、日本の新聞記者、実話蒐集作家、明治文化研究家。俳人としての号は胡蝶。 1996.7.16第1刷

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2016/12/31

聞き取り書きの特性でもあり、欠点でもあるのだが、さーっと読むには読みにくい。明治人たちの等身大の証言としてはとても大切。

Posted by ブクログ

2013/06/19
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

明治はじめの頃の様子を一般人から聞き書きしたものをまとめたもの。一般人と言いつつ初っ端から時代劇でもお馴染みの首斬り役人山田朝右衛門の最後の当主の話から始まる。 この最後の山田朝右衛門の話を電車の中で読んでいたら、ちょっと生々しい記述に無意識ながら思いっきり顔をしかめていたのだと思う。たまたま電車に乗り込んできた人に怪訝な顔を向けられてしまった。 これは上巻で、下巻もあるが、時代の移り変わりをみた老人たちから聞き取った「生」の話は面白い。話題はタイトルに百話とあるくらいで多岐に渡っているが、数ページに短くまとめられて読みやすい。 今でも年配者が「昔は今と違ってこうだったから良かった」というような、昔を懐かしむ愚痴をこぼす。著者の篠田鉱造がいつごろインタビューをしたか知らないが、明治の老人たちもやはり「今は昔と違って・・・」とこぼしているところに苦笑い。 そういえば「徒然草」でも兼好法師が、「今」という時代を愚痴っている。今から600年も前の坊さんが・・・。 しかし、聞くところによれば古代エジプト文明の残した遺物にも昔は良かったと愚痴ったヒエログリフが残っているのだとか。 だとすれば現代とはどれだけ酷い時代なのやら・・・。古人は愚痴をわざわざヒエログリフにまで残したかったのか?昔を懐かしがる気持ちというのは普遍的なものなのかもしれない。いやはや古人とは・・・。

Posted by ブクログ

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