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ユダヤ人問題によせて ヘーゲル法哲学批判 岩波文庫
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 岩波書店/岩波書店 |
| 発売年月日 | 1999/02/18 |
| JAN | 9784003412411 |

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ユダヤ人問題によせて ヘーゲル法哲学批判
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マルクス最初期の論文2選。マルクスは「共産党宣言」しか読んだことがなく、読破できるか不安であったが、引き込まれるように読み込んでしまった。 ・ユダヤ人問題によせて 「政治的開放」と「人間的解放」を対置し、人間的解放による人間の本質の復帰を説いた一編。 近代市民社会革命において...
マルクス最初期の論文2選。マルクスは「共産党宣言」しか読んだことがなく、読破できるか不安であったが、引き込まれるように読み込んでしまった。 ・ユダヤ人問題によせて 「政治的開放」と「人間的解放」を対置し、人間的解放による人間の本質の復帰を説いた一編。 近代市民社会革命において、人間は政治的解放を成した。それは封建制を打破したが、利己主義が蔓延する市民社会を解放し、国家に属する「公民」と利己的な「市民」への人間の分裂を招くものであった。その上、市民>公民と見做され、普遍的利害に関わる公民が現実感のないものとされた。 その為、人間は、政治的解放に留まらない人間的解放に取り組まねばならない。それにより、人間は自己の利益と他者の利益を共に気遣う「類的存在」に至ることが出来る、というのがマルクスの主張である。 マルクスの人間観や、市民社会の利己主義は貨幣を神として崇拝する「疎外」の状態に置かれているとする見方に深く共感した。 ・ヘーゲル法哲学批判序説 「宗教は民衆の阿片」という著名な一節で知られる一編。宗教は現実的な幸福を幻想的な幸福に転化したものであり、現実の改革によって宗教は死滅するという論には非常に説得力がある。この二編からは、マルクスがあくまで現実の社会改革に強い意欲を持っていたことを窺わせる。 また、プロレタリアートという社会矛盾が体現化された存在の解放こそが、社会の解放に繋がるという主張は、後のマルクスの共産主義への萌芽を感じさせるものである。 私の最も好きな一節は、「批判は鎖にまつわりついていた想像上の花々をむしりとってしまったが、それは人間が夢も慰めもない鎖を身にになうためではなく、むしろ鎖を振り捨てて活きた花を摘むためであった。」である。
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19世紀初頭から中期にかけてドイツではヘーゲルの『法の哲学』の「理性的なものは現実的であり、現実的なものは理性的である」が広く風説されたされていた。時代は変節する。 ベルリン大学でブルーノー・バウアー中心の「ドクトル・クラブ」に参加したマルクスは青年ヘーゲル派の人々と問題意識を共...
19世紀初頭から中期にかけてドイツではヘーゲルの『法の哲学』の「理性的なものは現実的であり、現実的なものは理性的である」が広く風説されたされていた。時代は変節する。 ベルリン大学でブルーノー・バウアー中心の「ドクトル・クラブ」に参加したマルクスは青年ヘーゲル派の人々と問題意識を共有し、学位を得て哲学教授への道を進もうとしたが、1840年にプロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム三世が亡くなり、新国王四世が即位すると自由主義的な人々ね期待を裏切って「昔の骨化した臣僕国家」に逆戻りする。このような状況でマルクスは大学に職を得ることを断念し、1842年にライン州ケルンで発行された『ライン新聞』は、彼の参加により新聞は青年ヘーゲル学派の根拠地と化した。『ヘーゲル法哲学批判』の冒頭、ドイツにとって宗教の批判は本質的にはもう果たされており、宗教の批判はあらゆる批判の前提だ。と、述べている。 『ユダヤ人問題によせて』はマルクスの、バウアー著『ユダヤ人問題』(ブラウンシュヴァイク、1843年)、同じく『現代ユダヤ人とキリスト教徒の自由になりうる能力』、ゲオルク・ヘルヴェーク編『スイスからの二一ボーゲン(チューリッヒおよびヴィンタートゥール、1883年、五六〜七一頁所収)』に、対する答えである。 キリスト教国は、ただ特権だけを認知している。ユダヤ人がキリスト教国家から解放されたいならは、彼らはキリスト教国家がその宗教的偏見を棄て去ることを要求していることになる。ドイツ社会がユダヤ教の経験的な本質であるあくどい商売とその諸前提を廃棄することに成功するやいなや、ユダヤ人と言うものは有り得ないことになる。ユダヤ人の社会的解放は、ユダヤ教からの社会の解放である。
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私たちは「宗教はアヘン」と聞くと、何やら宗教が人々を狂わせるかのような意味で受け取りがちです。ですがそういうことを言わんがためにマルクスは「宗教はアヘン」と述べたわけではないのでした。 「宗教はアヘン」という言葉は僧侶である私にとって非常に厳しいものがありました。なぜマルクス...
私たちは「宗教はアヘン」と聞くと、何やら宗教が人々を狂わせるかのような意味で受け取りがちです。ですがそういうことを言わんがためにマルクスは「宗教はアヘン」と述べたわけではないのでした。 「宗教はアヘン」という言葉は僧侶である私にとって非常に厳しいものがありました。なぜマルクスはそのように語ったのか、何を意図して語っていたのかを知れたことはとても大きな経験となりました。
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