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つゆのあとさき 岩波文庫
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 岩波書店/岩波書店 |
発売年月日 | 1987/03/01 |
JAN | 9784003104149 |
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つゆのあとさき
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商品レビュー
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性に奔放な女主人公を…
性に奔放な女主人公を軸に、昭和初期の風俗を乾いた筆致で描いた傑作。
文庫OFF
▼「つゆのあとさき」永井荷風、初出1931。昔読んだような気もするし、初めてな気もするし(笑)。という読書でした。東京を舞台とした、言ってみれば社会風俗が主役と言える「水商売モノ」、さすがは荷風さん、実にオモシロかったです。恐らくは発表当時の現代小説。昭和ヒトケタ戦争の影響の薄い...
▼「つゆのあとさき」永井荷風、初出1931。昔読んだような気もするし、初めてな気もするし(笑)。という読書でした。東京を舞台とした、言ってみれば社会風俗が主役と言える「水商売モノ」、さすがは荷風さん、実にオモシロかったです。恐らくは発表当時の現代小説。昭和ヒトケタ戦争の影響の薄い時代。ちなみに満州事変勃発(つまり十五年戦争の開始)が同年、1931年です。岩波文庫ならわずか158頁。 ▼君江と言う名前のカフェーの女給さんが主人公。二十歳くらいか。「カフェーの女給さん」というのがどういう商売なのか、長年考えていてハッキリ分かりませんが(笑)、恐らくは「お酒などを出す飲食店で、客のそばに座りおしゃべりをしたりして無聊を慰める仕事」と考えて良いようです。つまり「カフェーの女給さん」は別段「性風俗の仕事」では、無い。けれども「ラーメン屋の店員さん」でも無い。「ホステスさん」というのがいちばん近いのでは。小説の主たる題材は、この君江さんのある年の梅雨の前後の季節に起こったよしなしごと、です。 ▼君江さんは恐らくけっこうな美人さんで、愛嬌が良くて、男性にもてる。そして非常にあっけらかんと仕事と人生を楽しんでいる。地方から出てきて、あっけらかんと水商売の友達から伝手をたどって、その場その場で男性遍歴を経て、君江さんの今がある。だけれどもこれが「とにかく金と地位が欲しい。そのためには体も投げ出す」みたいな、黒革の手帖的なことではありません。とにかく、あっけらかんとその場その場が楽しければ良い、なんですね。まあまずこのキャラクター造形が全てです。何も思索的に、合目的的に人生航路を決めること無く。金も無ければ困るけど、ちょこっとあればそれでいい。なぜならこれと言って収集癖も趣味も無い。 ▼一方で、操を立てる、みたいな観念にも支配されていませんから。今は妻子ある小説家の愛人なんですけれど、他にもいっとき、あるいはもうちょっと持続的に関係を持ったお客さんや知人は大勢居る。小説家は当然面白くない。いろいろこそこそと君江に嫌がらせをしたりする。君江もおかしいなぁと思いながら別段真相には至らない。カフェーや周囲に来る男性たちの多くは君江と関係したがる.君江も求められてちょっと嬉しい。一応は隠したりしながらも、特段「打算」も「計算」も無く、情事から情事へと。そんなこんなで小説は進んでいきます。さすが荷風、君江さんを真ん中に描きつつ、周囲の脇役も描き、街や酒場を描いて実に細やか。 ▼君江さんはそうやって歳月を歩んで来たので、恨みを買うこともある。小説終盤でそんな男にちょいと酷い目に遭わされる。この雨の場面が上出来。でも一方で君江さんはそうやって歳月を歩んで来たので、思わぬ感謝を捧げられることもある。小説最終盤はそんな男との交流が唐突に胸に迫ります。全ては遊戯のようで、浮世には遊戯では無いこともあるわけです。考えようによっては誤魔化しとも淡泊とも取れる終わり方ですが、実にナントモ「もののあはれ」の香り馥郁たるものがあり。岩波文庫ならわずか158頁。拍手。 ▼全般に世界観に既視感があったんですが、よくせき考えたら映画でした。「女は二度生まれる(1961)」の若尾文子さんですね。時代が戦前では無く戦後で、カフェーでは無く芸者さんでしたけれど。あれはあれでまた別の小説の映画化だったはずですが、監督が川島雄三なんで原作からかなり離陸している可能性もありますね。
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1931(昭和6)年刊。 再読。前に読んだのは相当昔なのでほとんど覚えていない。 1931年といえば『墨東奇譚』を書いた5年前で、荷風52歳、今の私と同じ歳である。 これを読んだ前日に『墨東奇譚』を読み返し、なんとなくこれを味わい尽くせなかったような未練を感じて、別の作品...
1931(昭和6)年刊。 再読。前に読んだのは相当昔なのでほとんど覚えていない。 1931年といえば『墨東奇譚』を書いた5年前で、荷風52歳、今の私と同じ歳である。 これを読んだ前日に『墨東奇譚』を読み返し、なんとなくこれを味わい尽くせなかったような未練を感じて、別の作品を1冊読んでからまた『墨東』を読もうと決めたのだった。 本作は、『墨東奇譚』とは打って変わって、西洋の古典的な近代小説のスタイルで話が進む。随筆的な文章はごくわずか、後ろの方に垣間見られる程度。出だしから主人公の若い女性君江が生き生きと動き始め、躍動的である。 それにしても、この時代の「カフェーの女給」とは何だったのだろう。しばしば店の前に立って客を引くし、店内では何と客と向き合って座りいっしょに酒を飲んだりもしている。今の喫茶店とはまるで違う怪しげな世界で、一種の風俗的な店だったようなのだ。 更にこの主人公君江は売春婦さながらに、やたらと性が乱れており様々な男たちと交流する。パトロンのような者までいる。 この時代の、私にはよくわからない世相を写し出して大変興味深い小説だ。 登場する作家の清岡など、だらしなくしょうもないごろつき男で、そのような市井の人びとを作者は冷徹に静かに見つめ続ける。確かに本作はゾラやモーパッサンを思わせるところがある。谷崎潤一郎は本作を「記念すべき世相史、風俗史」「モーパッサンの自然主義にもっとも近い作品」と評したらしい。 もっともエミール・ゾラなら主人公を容赦なく運命の奈落に突き落とすところだろうが、本作はそこまで劇的なところはなく、スケッチふうである。その点が何となく日本的な感じもする。 「カッフェーの女給」の当時の実態も知りたいから本作が映画化されていないかと探した。すると1956年に映画化されたようなのだが、メディア化されていないようで、見ることは出来なそうだ。
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