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夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録 フランクル著作集1
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夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録 フランクル著作集1

ヴィクトール・E.フランクル(著者), 霜山徳爾(著者)

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夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録 フランクル著作集1

定価 ¥1,980

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 みすず書房
発売年月日 1985/01/01
JAN 9784622006015

夜と霧

¥990

商品レビュー

4.4

232件のお客様レビュー

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2024/06/02

友人から借り旧版を読む。 中身については当然だけれど新版と一緒。 スッと入ってきたのは旧版だったけれど、それは短い期間で新旧読んだから理解が進んだだけかもしれない。 新版にはなかった冒頭の解説と最後の写真と図版のインパクトたるや… 戦争の残酷さ、人間の非道さを伝えるには本文よりも...

友人から借り旧版を読む。 中身については当然だけれど新版と一緒。 スッと入ってきたのは旧版だったけれど、それは短い期間で新旧読んだから理解が進んだだけかもしれない。 新版にはなかった冒頭の解説と最後の写真と図版のインパクトたるや… 戦争の残酷さ、人間の非道さを伝えるには本文よりも圧倒的だ。 頭の中で理解はしていても直視できなくなりそうだった。 人間とは何か… 戦争とは何か… ズシリとのしかかってくるものを感じた。

Posted by ブクログ

2024/04/13

フランクルによる本文に先駆けて本書の解説がある。 アウシュヴィッツをはじめとする収容所で繰り広げられた、人を人とも思わない悪逆非道の数々がかなり高いディテールで数え上げられている。生存者の証言や戦後裁判のデータ等に基づいて、いかなる悲惨をも見逃さないその徹底ぶりはさながら閻魔帳だ...

フランクルによる本文に先駆けて本書の解説がある。 アウシュヴィッツをはじめとする収容所で繰り広げられた、人を人とも思わない悪逆非道の数々がかなり高いディテールで数え上げられている。生存者の証言や戦後裁判のデータ等に基づいて、いかなる悲惨をも見逃さないその徹底ぶりはさながら閻魔帳だ。フランクルも収容された施設の惨憺たる状況まで仔細に描かれるのを、吐き気をこらえつつ追っていると、ふいにこんな疑問がよぎる。 「この解説をおいてほかに書くことなど、なにもないのではないか?」 ドイツ人が生み出した地獄でユダヤ人が大いに苦しめられた。 その図式を再確認するだけなら、なるほど解説を読めば事足りるだろう。 心ない行為を受けた者もまた心を崩され壊されざるを得ず、悲惨は繰り返されるのだ…人間なんて脆弱で愚かだ…と短絡する悲観に、本書『夜と霧』は待ったをかける。なるほど収容所で人間には残酷な試練が課せられる。無感動や原始的衝動に追い込まれるうちに未来への希望を失って自棄に走る者もある。しかし、良心を保とうとすることもまた、辛うじてできる。状況ないし環境は必ずしも人間心理を決定しないのである。その証拠にフランクルは、いくぶんの思いやりを持って少ないパンを分け与えたドイツ看視兵の例や、他方で、苦境をともにする「仲間」でありながら残忍な振る舞いに及んだユダヤ人の例それぞれを挙げる。フランクル自身も、移送時から解放までのみずからの心理を冷徹に観察し、自暴自棄に陥る道をじゅうぶん理解しつつも、ほかの囚人を鼓舞するほどの高潔な良心を最後まで持ちつづけた。 「いかようにもできる」とは決して言えないまでも「ほかのようにもできる」「ほかのようにする道も開けている」ことを、自由の対極の収容所を生き延びた人間の口から報告を受け、私は喜悦のうちに本書を閉じた。解説に先に取り組み、本文の意義を疑ってかかっていたあのときの黒々した胸中とは大違いである。 思い出す本が一冊ある。尹雄大『聞くこと、話すこと。』だ。 「感覚したことは私の外にある。『私の苦しみ』であっても『私が苦しみ』ではない。体験のもたらす苦しみが私を覆い尽くしそうに思えても、常にそれは私の一部でしかない。私は意識できたり感じたりできる範囲にはない。私の身体は常にそれらの外にある」(p.149) 環境とせめぎあい、絶えず干渉を受ける身体の苦しみは、必ずしも私の心理を言い当てない。ひとえに現実感に乏しい悪夢とみるか、試練とか修行といった、未来を確かな範囲に含めたものとして捉えるか。それは、いつでもありえる選択肢だ。

Posted by ブクログ

2024/02/16

この本については知っていたけど読むのに勇気が要りそうで数年かけてやっと読むことに決定。それこそ、何度も著者フランクルについて話を聞くことがあり、たまたま見たオンデマンドで、またフランクルだったから私は呼ばれていると感じたのだ。 アウシュビッツ、強制収容所について読むのは怖かったと...

この本については知っていたけど読むのに勇気が要りそうで数年かけてやっと読むことに決定。それこそ、何度も著者フランクルについて話を聞くことがあり、たまたま見たオンデマンドで、またフランクルだったから私は呼ばれていると感じたのだ。 アウシュビッツ、強制収容所について読むのは怖かったというのが読む前の私。読後、高揚感に包まれた。ナチスの中でもサディスト傾向の強い者が監視員に選ばれ虐待を楽しむ。絶望の中で人はどうなっていくのか。自身も収容所に入れられ、精神科医として人が極限状態に置かれるとどう壊れていくのかを観察していたフランクル。 まず初めになくすのが感情なのだ。私は子ども時代を思い出した。いちいち泣いていられるか、同情していたら生きていけない。痛みを与えてくるものから逃れられないなら体も感情もストップをかける。動いたらよけいに痛いだけ…とクールになっていた小学生時代を… そして絶望の中だからこそ光に敏感になる。思い出した。近所の優しいおばちゃんたちにお礼をいう時もなかったが優しい眼差しと誉め言葉にどれだけ癒されていたか。 生まれるに値しない、つまり望まれずに生まれてきたことは開き直っていたもののコンプレックスにはなっていた。そしてこの「夜と霧」を読んで、はっとしたのだ。私は母に望まれなくてもこの世に望まれて生まれてきたのだということを。必然があって生まれてきて生きてきた。私がこの世に何を望むのかではなく、人生の方から望まれている。 亡くなった人に二度と会えなくても触れられなくても、彼らと過ごした日々は強烈に私の体内に記憶されている。父が夢に出てきて「いつもいるよ」と言ったのはこのことだったのだ。人間だけではない。虹の橋を渡った犬も猫も、私の中にこうしている。感情をなくしたはずだった私に無二の愛をくれたものたち。感動させてくれた父、兄、妹、犬、猫たち。鬼籍に入っても決して私の中から消えたりしないのだ。絶望の中にいたことがあるからこそフランクルの深い思いやりに満ちた言葉は私を動かした。読んだ後から今にも泣きそうな、でもそれを抑える自分の二面性を自覚しながら、抑えただけで感情は死んでいないと歓喜に溢れた思いである。

Posted by ブクログ

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