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死を想う われらも終には仏なり 平凡社新書
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 平凡社/平凡社 |
| 発売年月日 | 2007/05/10 |
| JAN | 9784582853711 |
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死を想う
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死を想う
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商品レビュー
3.8
5件のお客様レビュー
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
今回読んだのは、赤い平凡社新書(2007)。以下、目次。 ■まえがき 石牟礼道子 ■第一章 飢えと空襲の中で見たもの パーキンソン症候群──読めなくなる、書けなくなる/声が出なくなるかもしれない/食べ物をつくれないのが不自由/石牟礼さんの印象に残っている死についてうかがいたい/飢えの経験/水俣の空襲人間ってこんなものか/物資不足と竹槍訓練/そのころ、お年寄りはどうしてましたか/お年寄りも「この世に用があって生きている」 ■第二章 印象に残っている死とは 祖母の死/あの世は「良か所」/祖父・松太郎/父の死──猫のミーを懐に入れて、ぽとんと/いい死に方をした父/父は殺されたぽんたの解剖に立ち会った/『苦海浄土』を書く前に解剖に立ち会う/ぽんたの事件に死の実相を見た/行き倒れの人の死/一人で死ぬのは寂しかけん/お名残惜しゅうございます/父の葬儀/お母様のこと/「勉強しておけば道子に加勢できたのに」 ■第三章 それぞれの「願い」 『あやとりの記』──流々草花(るーるーそーげ)/お経はどこで習いましたか/『正信偈』を唱える/『梁塵秘抄』につながっていく/後白河院と白拍子/お能の魅力/いじめられっ子の味方をしてきた/父と母の老いと病気に向き合うと『梁塵秘抄』が現われる/後白河院が『梁塵秘抄』に込めた願い/景戒が『日本霊異記』に込めた願い/石牟礼さんの願いとは/宗教とは/「そらのみじんにちらばれ」──宮沢賢治との共通点/石牟礼さんの愛唱歌/自分が死ぬということ/寝たきりの母が「生きたい」と言う/自殺を考えたこと/弟の死/自分は半端な人間で ■第四章 いつかは浄土へ参るべき 『梁塵秘抄』を飛び飛びに読む/「我等も終には仏なり」/「よろづの仏に疎まれて」/仏様と乞食さん/「勧進どん」への施し/「いつかは浄土へ参るべき」/自分は浄土へ参るのか/良か夢なりとも、くださりませ──七夕の願い/「遊ぶ子供の声聞けば」/「囃せば舞い出づる蟷螂、蝸牛」/伊藤さんの好きな法文歌/「人の音せぬ暁に」/『あやとりの記』のお経を唱える ■あとがき 伊藤比呂美 その後、石牟礼道子が亡くなった年に、青い平凡社新書から〈新版〉が出る(2018)が、 ・ 増補 詩的代理母のような人ほか一編 満ち潮――解説がわりの献詩 詩的代理母のような人 ・ が増補されているらしい。 よくある対談のような持ち上げ合戦ではない、結構話の方向がズレたりして、お互いに隔靴搔痒感が残ったのではないか。 でもそれが生々しい。 特に周囲の死や自身の自殺念慮について語る石牟礼道子の声が印象的で、それを引き出せた伊藤比呂美すごい。 亡くなった祖母や、連れ合いを喪って寂しくしている祖父を思い、といって母や自分や家族も全然他人事ではない、もはや死を想う必要のなかった幼年期から遠く追放されて久しいからこそ、身近な本になった。 といって重いわけではない、飄々とした会話の在り方が、読者を励ましてくれる。 石牟礼道子が言及している鶴見和子の最期の言葉 「死ぬというのは面白い体験ね。こんなの初めてだワ。こんな経験するとは思わなかった。人生って面白いことが一杯あるのね」 ほどの高み? は目指せないことは判っていても、 本書を読んだことで少しは何か精神のありようが変わりそうな気がする。 そんな予感を抱かせてくれるという意味で大事な一冊になりそう。 伊藤比呂美絶賛の「流々草花(るーるーそーげ)」が気になるので、『あやとりの記』を読もうかな。 あとは「梁塵秘抄」。 まっっったく文脈の違う、単に思い出したことを書いてみるだけだが、押井守が宮崎駿「崖の上のポニョ」と自作「スカイ・クロラ」を指して、 「映画監督ってある年齢になったら死生観を描くようになるんですよ」 と言っていたが、作り手だけでなく受け手(消費者)も、他人の創作に乗っかる形ではあっても、死を想うようになるのかも。 十代で「元気いっぱい」という言葉を嫌悪していた側だが、例えば徹夜しても大丈夫という若さのマジックがあったころには「抹香臭いな」と思っていた事柄が、切々と迫ってくる。 老いというんだか成長というんだか。
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80歳、パーキンソン病の詩人、石牟礼道子さんと詩人・伊藤比呂美さんの「死を想う」こと。伊藤が聞き手となって、石牟礼の家族の死のこと、そして自分自身の死のことを聞いている。 伊藤自身も両親を介護しながらだから、いずれかならず訪れるであろう身近な人や自分自身の「死」について考え...
80歳、パーキンソン病の詩人、石牟礼道子さんと詩人・伊藤比呂美さんの「死を想う」こと。伊藤が聞き手となって、石牟礼の家族の死のこと、そして自分自身の死のことを聞いている。 伊藤自身も両親を介護しながらだから、いずれかならず訪れるであろう身近な人や自分自身の「死」について考えている、うちに、話は「梁塵秘抄」に行き着く。後白河法皇の編纂した歌謡集で、平安時代の当時からどのようにして死んでいくか(そして、仏になるか)はずっと人々が思い悩んでいたということらしい。 仏は常に在せども 現ならぬぞあはれなる 人の音せぬ暁に ほのかに夢に見え給ふ なにかこう、人々が朝早くぱっちりと目が覚めてしまって、ふと音のしない明け方、ぢっと仏のようなものが見えた気がする。 石牟礼がパーキンソン病で動かなくなっていく体をどうにかこうにか動かしてとつとつと生活する中で、朝、目覚めると「ああ、まだ生きていた」と思うことがあるらしい。このなんともいえない寂寞感は、80代になっても、20代でも、あるもので。 「読書感想文」といわれると難しいけれども、人々が自分の死を想起したときにおこる「あの、感じ」をすでに後白河法皇は汲み取っていたし、後白河法皇の「歌の上手を召して多くの歌謡を知ったが、死後それらが伝わらなくなることを惜しみ、書き留めて本にした」という意思も、こういったかたちで21世紀の日本にもひっそりと伝わっているんだよ、という、そういう話、であります。 この本が誰かの救いになるかどうかはわからないけれども、ただ、石牟礼と伊藤とがひそいそと梁塵秘抄を朗読している様は、非常に、確実に、心温まる、救いに通じるものがある。
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わかりやすいというか、分かり易すぎるというか。 態とそこまでレベルを落としているのかも知れないが、死についての心構えについて、まるで小学生が聞きそうな事を死に掛けの人に聞いている座談会。 伊藤さんという詩人が親の介護まで死について考えを深める機会がなかったというのはどういうことな...
わかりやすいというか、分かり易すぎるというか。 態とそこまでレベルを落としているのかも知れないが、死についての心構えについて、まるで小学生が聞きそうな事を死に掛けの人に聞いている座談会。 伊藤さんという詩人が親の介護まで死について考えを深める機会がなかったというのはどういうことなのかなぁ? それがごく一般的な事なのか、健全な証拠なのかわからんけど、簡単な話をしてると思ったらいきなり梁塵秘抄について話し始めるし読者はついて行けるんかい?と疑問に思う。 まぁ詩人のいうことだから、飛躍するのは仕方ないのかな。
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