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善と悪 倫理学への招待 岩波新書
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善と悪 倫理学への招待 岩波新書

大庭健【著】

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善と悪 倫理学への招待 岩波新書

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 岩波書店/岩波書店
発売年月日 2006/10/20
JAN 9784004310396

善と悪

¥110

商品レビュー

3

16件のお客様レビュー

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2021/07/14

えーん難しいよう……最後まで読めなかった ・善悪、いい悪いの判断は「人々のニーズを満たして快を与えるか否か」に帰着する ・道徳判断は判断の論拠や前提の吟味によって、判断が訂正されうると言う意味で、法的判断に似ている ・自分は特別なのでたとえ相手を痛めつけようが許されるし、それが...

えーん難しいよう……最後まで読めなかった ・善悪、いい悪いの判断は「人々のニーズを満たして快を与えるか否か」に帰着する ・道徳判断は判断の論拠や前提の吟味によって、判断が訂正されうると言う意味で、法的判断に似ている ・自分は特別なのでたとえ相手を痛めつけようが許されるし、それがお互い様ということは自分に適用はし兼ねる、という主張。人は他者との関わりの中でしか生きられないということから、これは人間のすることではない。

Posted by ブクログ

2019/08/08
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

アマゾンあたりでは酷評のようだが、それほど悪い本でもないように思う。 まとめを引用しておくと ・「善悪」をめぐる道徳判断の基盤は徳の認知にある。 ・徳は「閒柄によって支えられもすれば痛めつけられもする」人間のありようへの「気づかい」(共感)で浮かび上がる行為のパターンである。 .・このパターンは物性に還元できないが、行為自体からの制約もうけており、科学が措定する素粒子のような実在的な性質である。 ・善悪は徳より抽象的な「行為のパターン」のパターンである。したがって、徳そのものが「善いか悪いか」を論ずることもできる。 ・善悪の見きわめには普遍化可能性と不偏性の両方をみたす道徳原理が必要である。この点で「最大多数の最小不幸」は道徳原理の候補になりうる。 なんでも「システム化」(たとえば、心の問題はカウンセリングにまかせればよいというような姿勢)すれば問題が解決するというのは思考放棄だし、「システム」の部分最適だけを追求して、個人の間のモラルなどナイーブなものとして軽視することはやはりできないだろう。 前半は善と悪は気持ちの問題なのかという点が問題になるのだが、けっきょく「なんでもいい」というわけではなく、行為の性質にも根ざしているから、科学のいう素粒子のようなもんで感覚ではとらえられないが、善悪は実在するということになる。善と悪よりも実際的な「徳」(勇敢・誠実)などについては、ときに食いちがうが、食いちがうからといって、文化によってちがうとか、そういうことにはならない。判断が食いちがう場合は、行為のどの部分を切りとるかというちがいであることが多いのである。こういう柔軟な思考はおもしろい点である。 徳は行為のパターンであるが、善悪は徳より抽象的な「行為パターンのパターン」で、徳じたいが善か悪かを問いうる。 で、善悪は道徳原理から出てくるのであるが、これは全称命題(すべての〜は……せねばならない)の形で示されねばならず、登場人物をかえること(普遍化可能性)と偏りのないこと(不偏性)の双方が必要で、「大多数の最小不幸」が一つの候補であるといっている。 パターンというのは、『易』にみえる中国思想の大事な要素であり、善と悪をパターン認識で把握しようとしているのは『春秋』などにもみられる。また、「関係によって支えられもすれば傷つけられもする人間への気づかい」なども五常ともつながるだろう。「共感」については、フランス・ドゥ・ヴァール『道徳性の起原』に動物との連続が説かれている。 中国思想の倫理学も進化倫理学とか、現代倫理学と接点があるんだなと思った。

Posted by ブクログ

2016/10/29

ちょっと必要に迫られて読みました。 いみじくも著者は、「あとがき」で本書についてこう書いています。 「一般読者には箇所によっては不必要に重く、倫理学の専門家にとっては軽すぎ、情況的には迂遠すぎる…」云々。 倫理学の素養のない一般読者たる自分には、不必要に重すぎました。 だって、「...

ちょっと必要に迫られて読みました。 いみじくも著者は、「あとがき」で本書についてこう書いています。 「一般読者には箇所によっては不必要に重く、倫理学の専門家にとっては軽すぎ、情況的には迂遠すぎる…」云々。 倫理学の素養のない一般読者たる自分には、不必要に重すぎました。 だって、「反省的均衡の追求」とか「希薄な評価語と濃密な評価語」とか「共同主観的な沈殿」とか、聞き慣れない言葉が次から次に出て来るのですよ。 手軽さが売りの新書ですが、思いのほか手こずりながら何とか読了しました。 そんなわけですから、分かった風な顔をしてレビューを書くわけにはいきません(いつもそうですが)。 こういう時は、理解できたところ(あるいは感動したところ)だけに特化してレビューを書くがよろしい。 というわけで、まず、最も印象に残ったのは、道徳原理の候補たりうる 「最大多数の最小苦悩」 という命題です。 次のケースがとても分かりやすかったです。 それは、「出生前の診断によって、先天的障害のあることが判明した場合、それを理由とする人工中絶は、悪い事なのか?」というものです。 たしかに、「最大多数の最小苦悩」を前提にすると、一見、人工中絶は悪くない、むしろ善い、という結論になるように見えます。 著者はそのように述べて、以下、2つの理由を挙げます。 ①人工中絶をした場合、自分に原因がないという意味で中絶した女性の「いわれなき苦悩」が生じるが、その胎児が生まれるに任せた時は、その後、生まれた子どもの苦悩、生んだ親の苦悩などなど、避け得たのに避けなかったがゆえの「いわれなき(?)苦悩」が増大する。両者を比べれば、「最大多数の最小苦悩」の命題で正当化されるのは前者。 ②妊婦が望むなら中絶するという選択肢は、〝生む・生まないは女の自由〟と主張されてきた、女性の自由権ないし自己決定権を尊重することであり、そのことは、女性の自由権が否認されていたがゆえの、幾多のいわれなき苦悩を減少させる。 しかし、と著者は言います。 この2つの推論だけだと、「いくつかの論点が手つかずのままになっている」。 最大多数の最小苦悩とは、正確に言うと、「全体として、最も多くの人の・より深刻ないわれなき苦悩が減るようにするものは、善い」という命題です。 つまり、人々の苦悩の「深刻さ」の度合い、さらには、社会全体にとっての影響も考慮に入れなければならないというのです。 たとえば、胎児の先天性障害が診断された後でも生むことを選ぶカップルの存在です。 もし、「出生前診断の結果を理由とする人工中絶は善いことだ」という判断が正当化されると、生まれてきた障害児は「生まれない方が善かった」子という烙印を押されてしまいます。 そうなった場合、親もまた、生きていく辛さに加え、子どもが「生きているべきでない」とされる辛さを背負い込まされることになります。 それは「いわれなき苦悩」の深刻さにおいて、ほとんど「絶望的」というのが著者の見方です。 私も全く同意します。 では、どのように考えるべきなのでしょう。 著者は「今の私は確たることは言えない」と前置きしたうえで、次のように述べます。 「どの自由権も無制限ではないように、〝生む・生まないは女の自由〟と言われる自由権もまた、無制限ではない。〝本来なら生きているべきではない〟と烙印を押される人が生じる可能性がある場合には、少なくとも〝障害のある胎児を人工中絶するほうが善い〟という結論を正当化するような仕方で自由権を主張することに対しては、なんらかの留保が付されることもありえよう」 実に納得のいく話です。 これだけでも、本書を読む価値はありました。 それにしても、大学時代に倫理学をちゃんと勉強しておくべきでしたね。 チャンスはあったのに。 反省。

Posted by ブクログ

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