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ぼくたちは生きているのだ 岩波ジュニア新書
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 岩波書店/岩波書店 |
発売年月日 | 2006/07/20 |
JAN | 9784005005406 |
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ぼくたちは生きているのだ
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ぼくたちは生きているのだ
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『チョコラ!』の本とあわせ、上映会の日に買った本。帰ってからすぐ読んでしまう。小林さんの、"チョコラ!以前"の半生記。 小林さんの両親は、1940年に結婚して中国へ渡っている。旧満州地方を転々とした後、敗戦を迎え、1946年に大連から舞鶴へ引き揚げた、とい...
『チョコラ!』の本とあわせ、上映会の日に買った本。帰ってからすぐ読んでしまう。小林さんの、"チョコラ!以前"の半生記。 小林さんの両親は、1940年に結婚して中国へ渡っている。旧満州地方を転々とした後、敗戦を迎え、1946年に大連から舞鶴へ引き揚げた、という。2歳の子と乳飲み子を抱えて帰還船に乗り、日本に戻ってからその2人の子を相次いで亡くしている。戦後にうまれた2人の子も幼くして亡くし、全部で7人の子どもをもうけた両親に残ったのは、3人の男の子。その1人が小林さんで、1954年、新潟うまれ。 小林さんが会ったことのない亡き姉兄は、私の叔父や叔母と同じくらいの歳で、「中国残留孤児の話は他人事ではない」と書く小林さんの言葉に、残留孤児の肉親捜しのニュースを見て涙を流していた母をちょっと思いだす。小学生だった私は、ニュースを見て母がなぜ泣くのか分からずにいたが、同世代の母にとっても、他人事とは思えなかったのだろうかと今は思う。 1970年代のはじめ、京都の大学へ進んだ小林さんは、古本屋で出会った『田中正造と近代思想』の本で足尾鉱毒事件を知り、地図を買って、事件の舞台となった渡良瀬川流域へ旅に出る。18歳のときだ。 それが人生の岐路になったと小林さんは書く。 豊かな恵みをもたらしてきた渡良瀬川は、古河財閥による銅山開発によって、毒の水が流れる川となった。農民を死に追いやる政府を、田中正造は「亡国」と追及したが、ついに政府は足尾銅山=古河財閥を守った。最後は鉱毒事件を治水問題にすりかえ、谷中村を滅亡させた。 原発事故を重ねて思う。 政府は、ついに原発=電力会社を守るのか。原発事故を電力問題にすりかえ、人のいのちを滅ぼすのか。 小林さんは足尾の茫々たるハゲ山を前に、「机上の学問では、公害はわからない。現地に行ってみることから始めなければならない」という宇井純の考え方を、本当だと感じたという。そして、アルバイトで資金を貯めた小林さんは、広島、水俣、長崎を回る旅に出る。 私は小林さんのことを、新潟水俣病の被害地域の暮らしを撮った映画「阿賀に生きる」を撮影した人として知っていたが、その他にもかずかずの映画に関わり、写真を撮ってきはったことを、ぜんぜん知らなかった。アルバイトをしながら、ドキュメンタリー映画の自主上映、写真、映画撮影、編集、監督などをやってきた人なのだった。 大学時代の友人・江口和憲さんが第二びわこ学園に勤めていた縁で、学園の写真を撮った。学園を知ってから30年後には映画をつくる決心をした。その矢先に小林さんは脳梗塞で倒れ、「私を大きく変えた」という病気体験を経て、学園にかかわる人たちを撮影する。かれらの「存在感」をテーマとして。 そしてできた映画「わたしの季節」のことが、本の最後の章で書かれている。びわこ学園は、「この子らを世の光に」と言いつづけた糸賀一雄の近江学園につながるところ。123人が生活する学園には、123通りの一日がある、という。 小林さんは「すべて人との出会いである」と書く。その出会いから、写真を撮るようになり、カメラをまわすようになった。 カバーの袖に「ウガンダの子どもたちがはじめて描いた絵」がある。この絵もいい。ウガンダの出会いが、「チョコラ!」につながっている。 (5/26了)
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水のようにさわやかに、ゆるやかに読める、骨太の半生記。 自分はこの本の、小林監督の語りかけるところの、半分も受け止めきれていない気がする。これからも大切にしていきたい一冊。
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