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デリダ なぜ「脱-構築」は正義なのか シリーズ・哲学のエッセンス
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デリダ なぜ「脱-構築」は正義なのか シリーズ・哲学のエッセンス

斎藤慶典【著】

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デリダ なぜ「脱-構築」は正義なのか シリーズ・哲学のエッセンス

定価 ¥1,100

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 日本放送出版協会/日本放送出版協会
発売年月日 2006/09/27
JAN 9784140093351

デリダ

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商品レビュー

4.1

8件のお客様レビュー

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2025/05/14

われわれにあらわれるのは現象のみである。本体はとらえられない。本体が失われた後の痕跡だけがわれわれに与えられている。世界とはそのようなものであり、本体が残した痕跡だけが世界である。デリダはそれを差延と呼ぶ。われわれは痕跡を手掛かりに、あたかも文字(エクリチュール)を読み解くように...

われわれにあらわれるのは現象のみである。本体はとらえられない。本体が失われた後の痕跡だけがわれわれに与えられている。世界とはそのようなものであり、本体が残した痕跡だけが世界である。デリダはそれを差延と呼ぶ。われわれは痕跡を手掛かりに、あたかも文字(エクリチュール)を読み解くように、本体を探し求めるのだが、本体は不在のものとしてしか得られない。 本当は得られていないはずの不在のものを「本体」の反復として規定することには暴力が伴う。というのも、不在のものが現象として現れる際の自由なありかた(差延)は失われ、われわれが勝手に規定した「本体」は「不在のもの」をかえって抹消してしまうからである。 そこで「脱構築」が登場する。脱構築は「不在のもの」に対して与えられた「本体」の規定の暴力を解体し、「別のありかた」を提示することで、「正義」を実現しようとする。 痕跡・エクリチュール・現象・差延・不在のもの・本体・暴力・正義・脱構築といった、デリダに関するキー概念の数々が一本のストーリーとして素直に理解できる。こう考えると、デリダはそう難しいことを言っているわけではないことがわかる。

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2016/04/22

言葉の丁寧な定義、適切な喩えによって、脱・構築という主要概念が分かりやすくなっている。 単純化して言えば、脱=解体であり、同時に構築=解釈であると理解した。そこからわたしと他者、そしてこの世界のありようをめぐる多様な考察が導かれていく。 デリダとの会話調になっている記述スタイ...

言葉の丁寧な定義、適切な喩えによって、脱・構築という主要概念が分かりやすくなっている。 単純化して言えば、脱=解体であり、同時に構築=解釈であると理解した。そこからわたしと他者、そしてこの世界のありようをめぐる多様な考察が導かれていく。 デリダとの会話調になっている記述スタイルと問題意識が一般に共有しづらいのが本書の難点か。 ・P116:かくして脱-構築は「何」かが「何」かとして現象することのうちにはたらいているさまざまな力を、その由来と正当化可能性の程度に関してあらわにしつつ、「より暴力的でない=より正義に適った=よりよい」途を切り開くべく粘り強い努力を続行するのである。

Posted by ブクログ

2015/12/30

「現象」という概念を軸に脱構築を解説した入門書。高橋哲也の本は「二項対立」を軸にしたものだったけど、こちらにもこちらのわかりやすさがある。特に、高橋本ではちょっとつかみにくかった「差延」「痕跡」「反復」といった概念の理解が多少なりとも深まったと思う。 本書のサブタイトルでもある...

「現象」という概念を軸に脱構築を解説した入門書。高橋哲也の本は「二項対立」を軸にしたものだったけど、こちらにもこちらのわかりやすさがある。特に、高橋本ではちょっとつかみにくかった「差延」「痕跡」「反復」といった概念の理解が多少なりとも深まったと思う。 本書のサブタイトルでもある「なぜ脱構築は正義なのか」という問いに著者はどのように答えているか。 “他者をあらためて肯定すること、それが「正義」なのである。脱-構築は、こうした「正義」に「適う」ものたらんとする。こうした「正義」に応じようとする”(p90) “脱-構築は他者の到来ないし入来をたえず肯定しようとする。私が痕跡を介して「何」ものかの現象を読み取るとき、それを「何」かとして規定=解釈することそのことが、そのようにして規定されたところのものに対する見えない暴力の行使となってしまっている可能性を払拭できないからだ”(p91) “他者への暴力を正義に悖る(=不正である)と考える脱-構築は、他者をそれ自体で、すなわち他者が他者であるがゆえに、そしてそのゆえにのみ肯定しているのだ”(p93) つまり、脱構築には「他者を他者として尊重すべし」という「正義」が前提されているのであり、他者を一つの仕方で規定することは、不正な「暴力」として斥けられるのである。自らの信じる「正義」の正当性を常に疑い続けよ。著者はデリダとともにそう訴えている。

Posted by ブクログ