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隠喩としての病い・エイズとその隠喩
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | みすず書房/みすず書房 |
発売年月日 | 2006/05/25 |
JAN | 9784622072249 |
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隠喩としての病い・エイズとその隠喩
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wired・近代と社会・6位 mmsn01- 【要約】 ・ 【ノート】 (wired) 権力や言語が病人に対しておしつけている「表象」の正体に迫った、80年代記号論の成果。自らの癌体験を基に現代社会における「病気」の意味を鋭く問う。 ◆ユーザーからのコメント 「病気=...
wired・近代と社会・6位 mmsn01- 【要約】 ・ 【ノート】 (wired) 権力や言語が病人に対しておしつけている「表象」の正体に迫った、80年代記号論の成果。自らの癌体験を基に現代社会における「病気」の意味を鋭く問う。 ◆ユーザーからのコメント 「病気=懲罰」なのか? 放射能差別、風評被害といった言葉が飛び交ういまこそ精読したい/ 風説と隠喩って親和性高いと思うんだけどなー。どうかな/『監獄の誕生』と迷ったけれどこちらに/ソンタグが生きていたら、いまの日本の状況をどんなメタファーで捉えただろう/入れようと思ったものは、皆人気なのでスーザン・ソンタグ、少し寂しいので一票いれました
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結核=精神的、繊細=崇高 癌=肉体的=堕落的 という、二次元論がずっと繰り返されてきた、という話。面白かった。
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ソンタグは本作品において「病」のもつ意味、象徴、イメージの世界を豊富なテクストを読み解くことによって解明する。これは病にまつろう様々な「神話」の「脱構築」の試みであるが、これはなにより「批評家」ソンタグ個人にとって必要なものでもあった。 本作は以下の一文で始まるが、これは本書に...
ソンタグは本作品において「病」のもつ意味、象徴、イメージの世界を豊富なテクストを読み解くことによって解明する。これは病にまつろう様々な「神話」の「脱構築」の試みであるが、これはなにより「批評家」ソンタグ個人にとって必要なものでもあった。 本作は以下の一文で始まるが、これは本書において最も美しい箇所の一つだ。 「病気とは人生の夜の側面で、迷惑なものであるけれども、市民たる者の義務のひとつである。この世に生まれた者は健康な人々の王国と病める人々の王国と、その両方の住民となる。人は誰しもよい方のパスポートだけを使いたいと願うが、早晩、少なくとも或る期間は、好ましからざる王国の住民として登録せざるを得なくなるものである。」 ソンタグの目標は、「病」がはらむお仕着せの「病気観」を一掃することであり、「病」を「隠喩」の呪縛から解放することなのである。そしてこれが「最も健康に病気になる」ために必要な手続きなのであるということである。 本書で取り上げられる「病」は専ら結核と癌であるが、そのほかにもコレラ、ペスト、梅毒、狂気などにも触れられる。それにしても「病」のもつ独特の「影」は一体どこから生まれるのだろうか。ソンタグはこれ以上ないほど素朴な問いをあくまで鋭く追及する。 「病気が謎めいて見えるのは、もとを糺せばそこに未知の何かがあるように思えるからだが、病気自体(昔なら結核、今なら癌)がまことに古めかしい恐怖心を掻立てるということもある。」(p8) 「病」と「死」は必然的に結びつく。「死の解釈」が人類にとって最も古く最も重要な精神的営為であるのと同様に、「病の解釈」も極めて長い歴史と豊かな伝統をもっているのである。 本文においては、結核と癌に関する「隠喩」が、極めて多様な文学的テクストの渉猟からひもとかれている。本書で取り上げられる「病ネタ」の豊富さは、その事実のみとしても全くの驚異だ。 すこし思い直すだけでも、「病の隠喩」がいかにわれわれの日常文法に深く浸透しているかに思い当たるに違いない。「病の隠喩」は、本来は茫漠として名指すことすらできないあるものを、絶対的な「悪」として「実体化」し、その「排除」を正当化するレトリックなのである。この意味において「病の隠喩」とは、潜在的なナチス的思考様式にほかならないのだ。 ソンタグは1975年より癌との闘病生活を強いられることとなり、これが本書執筆の直接的契機となった。そしてこの「病の脱神話化」の試みとは、自身へ振りかざされる「呪い」の御祓いでもあった。結果として、このソンタグの「病者の王国」への移住は、「病」を彼女にとって内在的リアリティーをもったものとした。しかし、彼女は「当事者」としての特権を振りかざし、「健康者の王国」の住人を指弾するようなことは断固として拒否する。 つまり、ソンタグは可能な限り批評の対象へ「内在的」に接近しつつも、対象との安易な同一化を退けることで、自信の批評へ比類の無い強度を生み出すのだ。批評(クリティック)とは危機的(クリティカル)なものでなくては有効性をもつことはないが、これは自らの身が引き裂かれんばかりの「危機的な立ち位置」へと、果敢に自らを曝すことによって初めて可能となるのである。これはソンタグが批評家として名声を得さしめた『反解釈』から、一貫してみられる知的姿勢であるが、これは他でもない彼女画自らに課してきた批評家としての倫理そのものなのである。 ソンタグ自らの生命を賭して示してきた「批評家としての倫理」を考えるとき、巷に溢れる流行の「批評家」たちは、そもそも真に「批評家的」であるかどうか、という問いを投げかけざるを得ない。もちろん、「行動的」批評家のみが批評家なのだ!というのはあまりに原理主義的であり偏狭に過ぎるであろう。いくら明晰で深遠な思考回路をもってしても、「フラット」な世界を覗き込むのみでことたれり、とする批評家は本当に「批評家的」であるといえるだろうか?この問いは極めて「重い」、この尋常ならざる「重さ」は、昨今の「イケてる」批評家の姿とはかけ離れているだろう。執拗に「生の現実」を直視せんとするソンタグの、知識人としての頑迷なまでの「保守性」は、われわれにこうした問いを突きつけ続ける。
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