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ソーネチカ 新潮クレスト・ブックス
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 新潮社 |
発売年月日 | 2002/12/20 |
JAN | 9784105900335 |
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ソーネチカ
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商品レビュー
3.6
61件のお客様レビュー
インターン先のお姉さんに教えてもらったので読んだ。ソ連の中にもユダヤ文化があり、ウリツカヤ自身もユダヤ系ロシア人というアウトサイダーとして生きてきたというのは全く知らず、勉強になった。 作品の随所でいわゆる規範的な性のあり方からはみ出る様子がみられ(ターニャとヤーシャの関係であっ...
インターン先のお姉さんに教えてもらったので読んだ。ソ連の中にもユダヤ文化があり、ウリツカヤ自身もユダヤ系ロシア人というアウトサイダーとして生きてきたというのは全く知らず、勉強になった。 作品の随所でいわゆる規範的な性のあり方からはみ出る様子がみられ(ターニャとヤーシャの関係であったり、ヤーシャとロベルトの関係であったり)批評を読みたいところだが、本の虫であったソーネチカが結局は夫に一体化してしまい、自分の気持ちを語ることなく、皮肉にも子どもの頃愛読していたツルゲーネフの世界に懐古的に没入するしかないというのがあまりにも悲しい。
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主人公は本の虫で容貌が冴えないソーネチカ。彼女が後に世界的な画家となるロベルトに見初められて結婚し、貧しい生活の後、夫ロベルトが芸術家として成功し始めた頃、一人娘の友達ヤーシャが現れて…という筋立てだが、これをよくできた女性、幸せな女性と称揚するのはちょっと抵抗があるというか、ど...
主人公は本の虫で容貌が冴えないソーネチカ。彼女が後に世界的な画家となるロベルトに見初められて結婚し、貧しい生活の後、夫ロベルトが芸術家として成功し始めた頃、一人娘の友達ヤーシャが現れて…という筋立てだが、これをよくできた女性、幸せな女性と称揚するのはちょっと抵抗があるというか、どこかで見た、「頭大丈夫?」という感想のほうがしっくりくるな、とは思う。ただ、なんとなく捨て置けないような気もするのも確かなのだ。ソーネチカが幸せな結婚生活を送ったペトロフスキー公園近くの家は、特に必要もなく住民は立ち退かされて、荒れ放題に荒れている。ソーネチカは、なじまないリホボールィのアパートで、夫なき後の長い孤独な余生を本の世界に耽溺しながら過ごす。これは、何かのメタファーなのだろうか。
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シェル・シルヴァスタインの絵本『大きな木』(りんごの木が望まれるまま少年に実も枝も幹も与える。最期には切株となっても、老いたかつての少年に対して、疲れた体を休めるために座りなさいといって身を差し出す)で描かれる「無償の愛」は、母性や巣立っていく子供への包容力として広く受け入れられ...
シェル・シルヴァスタインの絵本『大きな木』(りんごの木が望まれるまま少年に実も枝も幹も与える。最期には切株となっても、老いたかつての少年に対して、疲れた体を休めるために座りなさいといって身を差し出す)で描かれる「無償の愛」は、母性や巣立っていく子供への包容力として広く受け入れられているのでしょう。 それでは、本書のソーネチカの愛は? 17年連れ添った夫に裏切られて、さらにその相手は娘として何くれとなく世話を焼いている若い女の子です。 “あの人のそばに、若くて、きれいで、優しくて、上品なあの子がいてくれたらこんないいことはない。人生ってなんてうまくできているんだろう。老年にさしかかったあの人にこんな奇跡が起こって、絵の仕事に立戻らせてくれたなんて。” 強がりではなく、その後も奇妙な擬似家族としてソーネチカは2人に愛を注ぎ、夫の死後も女性の生活を支え続けていくのです。 一時の悲しみや空虚を感じても、ここに嫉妬や怒りはない。とても受け入れられないという反発の声が聞こえそうです。 2つの愛の間には、どのような違いがあるのでしょうでしょう。 自らの分身である子供に対しては愛は幾ら注いでも目減りしないけれども、パートナーに対しては与えたものを自らにも与えて欲しいと願うという立場でみると、ソーネチカの愛は成立しない。 ここは他人に与え与えられる“愛の分量”で幸福か不幸かが決まるのではなく、自らを自律的に幸せにすることができる内面の豊かさを持つ稀有な人してソーネチカを捉えた方がいいのかもしれないと思うのです。 受忍を美徳とし、家族に尽くすことに自らの価値をみいだす前時代的な女性の一生として本書を読むことや、ソーネチカを無垢な心をもつ聖なる愚者の系譜とすることは、どちらにも違和感があります。 相手の幸せのために自らを犠牲にするといった依存性は彼女にはありませんし、幸福の物差しが彼女独特のものとはいえ、慎ましくとも自らを幸せにするために、彼女は行動していきます。 一つ思うのは、夫と出会ったときのソーネチカは図書館の臨時貸し出し係でした。彼女は貴重な書物を、資格のない夫に対して権限もないのに自らのカードを使って貸し出します。 個人所有されることはなく、隔たりなく素晴らしい世界に触れて分かち合う。そんな図書館の書物は、ソーネチカの愛や幸福を表しているようだなと感じるのです。
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