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1995年1月・神戸 「阪神大震災」下の精神科医たち
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | みすず書房 |
発売年月日 | 1995/03/24 |
JAN | 9784622037972 |
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1995年1月・神戸
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「山なみは青く、海は鏡のように輝いていた。近くに見える山と海とは私に大きな精神的な安定感を与えた。」 25年前の、あの時、六甲の山を、須磨から兵庫の輝く海を、そして、あの揺れの中で倒れることなく、火の勢いを止めて黒焦げになり、しかし、やがて、春の風の中で、芽吹いてきた並木たちを...
「山なみは青く、海は鏡のように輝いていた。近くに見える山と海とは私に大きな精神的な安定感を与えた。」 25年前の、あの時、六甲の山を、須磨から兵庫の輝く海を、そして、あの揺れの中で倒れることなく、火の勢いを止めて黒焦げになり、しかし、やがて、春の風の中で、芽吹いてきた並木たちをきちんと見つめていた中井久夫という人が、神戸の、それも、ぼくの職場のすぐ近所の大学病院にいらっしゃったということを、今でも、とてもうれしく、誇らしく思います。 本書をめぐる個人的思いはブログに書きました。よければお読みください。 https://plaza.rakuten.co.jp/simakumakun/diary/202001190000/
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【教訓】といわれる・・ これは何においても使われる言葉ではあるが、万全ということは、なかなかない・・・ 1995年あの阪神大震災の時に被災者でありながら、 被災した人たちのために、駆け回った医師たちの考え、思いが凝縮された1冊 東日本大震災を受けた今、この1冊をもう一度読み直し...
【教訓】といわれる・・ これは何においても使われる言葉ではあるが、万全ということは、なかなかない・・・ 1995年あの阪神大震災の時に被災者でありながら、 被災した人たちのために、駆け回った医師たちの考え、思いが凝縮された1冊 東日本大震災を受けた今、この1冊をもう一度読み直してみたい 医師じゃない私が読んでいても、思いがぐっと詰まった1冊です。
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16年前の震災を思いだしながら、むかし読んだ本を再読。東北や関東の震災被害と東電の原子力発電所の事故はもちろん気にかかるが、3/12に起こった長野の地震(かなり大きく、震度6弱の余震もあった)のことが新聞やニュースではほとんどまったく分からず、どうなっているのだろうとずっと思って...
16年前の震災を思いだしながら、むかし読んだ本を再読。東北や関東の震災被害と東電の原子力発電所の事故はもちろん気にかかるが、3/12に起こった長野の地震(かなり大きく、震度6弱の余震もあった)のことが新聞やニュースではほとんどまったく分からず、どうなっているのだろうとずっと思っていた。震度6は、16年前に神戸市や明石市、洲本市で観測された震度と同じだ。 私は東北にも土地勘がないけれど、広い長野もほとんど知らず(長野市内へ仕事でいちど、Weフォーラムで更埴へいちど、叔母に連れられて軽井沢へいちど、それぞれ行ったことはある)、それでも長野には数人の知人が住んでいたりして、気になっていた。 こないだ長野出身のiさんにきいたら、地震のあったところ(栄村)は新潟に近いところとのこと(栄村は震度6強、新潟や群馬でも震度5弱を観測している)。被災情報のブログも初めて知った。 「人間は悲しいことに出会ったとき、悲しみをともに分かってくれる人がいないと本当に悲しむことができないものである」(189ページに引用されていた、土居健郎のことば) 16年前の震災時に働いた精神科医たちの記録。編者となった中井久夫は、神戸大学医学部附属病院精神科の教授だった。こんな人が科のトップにいてよかったと思う。 その中井が震災時の経験をふりかえって、自分はボランティアを非常に誤解していた、ボランティアとは「任務が決まっていて、現場に行ったらその任務に奔走するものだと思っていた」、そういうボランティアもあるかもしれないが、災害救援は問題が時々刻々と変化するので「状況がすべてである」、と書いている。 「状況がすべてである」ことについて、巻頭の「災害がほんとうに襲った時」(これはラファエルの『災害の襲うとき』をもじったタイトル)で、中井はこう書く。 ▼ 「何ができるかを考えてそれをなせ」は災害時の一般原則である。このことによってその先が見えてくる。たとえ錯誤であっても取り返しのつく錯誤ならばよい。後から咎められる恐れを抱かせるのは、士気の萎縮を招く効果しかない。現実と相渉ることはすべて錯誤の連続である。治療がまさにそうではないか。指示を待った者は何ごともなしえなかった。統制、調整、一元化を要求した者は現場の足をしばしば引っ張った。「何が必要か」と電話あるいはファックスで訪ねてくる偉い方々には答えようがなかった。今必要とされているものは、その人が到達するまでに解決されているかもしれない。そもそも問題が見えてくれば半分解決されたようなものである。(p.23) 病院の医師・看護師・スタッフも多くが被災者だった。九州や関東から救援に入った人たちも含め、多くの人の記録は、自身の落ち込みや涙、高揚感や興奮も率直に伝えていて、そこには精神科医や病院スタッフ独特の観点もあるけれど、16年前に私もこんな風に感じたなあと思うところも多かった。 「生きることは本当に大きな贈り物なので、生きられたひとつひとつの生からは、何千という人々が利益を得る」(162ページに引用されていた、管啓次郎のことば) ※現在、版元のみすず書房で品切れになっているこの『1995年1月・神戸』と、同じく中井ほかによる『昨日のごとく』は、それぞれから文章を編み直して、『災害がほんとうに襲った時―阪神淡路大震災50日間の記録』、『復興の道なかばで―阪神淡路大震災一年の記録』として近日刊行されるそうです。
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