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情報の文明学 中公文庫
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情報の文明学 中公文庫

梅棹忠夫(著者)

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 中央公論新社
発売年月日 1999/04/18
JAN 9784122033986

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商品レビュー

4.1

62件のお客様レビュー

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2010/05/28

そう必要ではない領域…

そう必要ではない領域の知識も掻き集めたいのなら。

文庫OFF

2026/07/05

ネクタイは布を買っているのではない。デザインという情報を買っている。車も同じで、鉄の塊ではなく、走り心地やブランド性というシンボルにお金を払っている。新幹線ですら、モノを運ぶ工業ではなく、情報を詰め込んだ人間を運ぶ情報産業になっている。 梅棹忠夫は、こうした変化を半世紀以上前に...

ネクタイは布を買っているのではない。デザインという情報を買っている。車も同じで、鉄の塊ではなく、走り心地やブランド性というシンボルにお金を払っている。新幹線ですら、モノを運ぶ工業ではなく、情報を詰め込んだ人間を運ぶ情報産業になっている。 梅棹忠夫は、こうした変化を半世紀以上前に見抜いていた。農業や工業は終わったのではなく、情報化・意味化して情報産業に吸収されたのだ。モノの価値は、物質そのものではなく、そこに付与された意味や構造で決まる時代に移った。 この視点で見ると、AIも「考える存在」ではなく、意味を拡散・保存・組み替える媒体の進化形だと理解できる。人間は情報によって次の行動を決める生き物であり、だからこそ、世界を動かすのはモノではなく、精神的生産物——意味・設計・ルールなのだ。 情報産業の時代とは、何を作るかではなく、どんな意味を流通させるかが問われる時代なのだと思う。

Posted by ブクログ

2025/04/06

梅棹氏の『知的生産の技術』を読んで感銘を受けたため、著者が生前に「情報」についてどのような考えを持っていたのかを知りたいと思い購入。 本書は文庫本にして300ページほどのボリュームであるが、体系的に一冊を書き下ろしたものではなく、長い年月をかけて考え続け温めてきた論考を3部構成...

梅棹氏の『知的生産の技術』を読んで感銘を受けたため、著者が生前に「情報」についてどのような考えを持っていたのかを知りたいと思い購入。 本書は文庫本にして300ページほどのボリュームであるが、体系的に一冊を書き下ろしたものではなく、長い年月をかけて考え続け温めてきた論考を3部構成にしたものである。 著者がまえがきを記したのが1988年5月であるのだが、本書の出発点ともいえる論文である『情報産業論』が発表されたのが1963年というのであるから、高度経済成長期からバブル期までのおよそ四半世紀の長きにわたり議論されてきたテーマであったことがわかる。 『情報産業論』での考察では、人類の産業の展開史を「農業の時代」「工業の時代」「精神産業の時代」の3つに区分し、それぞれに対して生体史観的に「内胚葉(消化器系)の時代」「中胚葉(筋肉系)の時代」「外胚葉(脳神経系)の時代」と対応付けていることはよく知られている。 そのうえで、第一次産業(農業)、第二次産業(工業)、第三次産業(サービス業)の区分には対応しないとしていることがポイントであろう。 特に、工業主義一辺倒であった1960年代初頭に、工業の時代の次に到来するのが「精神産業の時代」、すなわち脳神経系に訴える材やサービスが中心となる産業であろうと見通していることが驚嘆に値する。 そして、この精神産業こそ、情報産業に他ならないとしているのである。 改めて指摘するまでもないが、梅棹氏の卓越性は、この文明史観に基づいた先見性なのだと思い知らされる。 自分は90年代半ばに社会人となったいわゆる氷河期世代であるが、この頃に言われていた「情報産業」とはいわゆるコンピュータ産業のことを指しており、この認識がいかに表層的なものであったか思い知らされる。 梅棹氏は「情報」というものを、シャノンのサイバネティクスで論じられているようなビットで表すデジタル情報ではなく、より広く大局的に捉え、「人間と人間のあいだで伝達されるいっさいの記号の系列」と定義している。 産業論的には、コンピュータ産業やメディア・放送産業のみならず、教育産業、観光業や宗教に至るまでも情報産業にカテゴライズされるというのである。すなわち情報というものを、言うなれば「脳神経系に訴えかけ体験や行動を誘発するもの全般」と扱っているのである。 そう考えると、確かにメディア産業や情報通信産業は情報を流通させるために重要な役割を果たしてはいるものの、それらは情報網であるにすぎないことがわかる。 むしろ現代では、情報網を伝って届けられる情報を活用しなければ、仕事のみならず日々の生活すらままならない。 ビジネスにおける競争のみならず、受験における競争ですら「情報戦」と言われるのもうなずける。まさに現代は情報なくしては生存競争に勝ち抜いてくことのできない時代であり、モノやサービスの価値でさえも(ブランド価値やSNSによるクチコミ・レイティングも含め)情報によって左右される時代なのである。 アルビン・トフラーが1980年に『第三の波』を出版し、第一の波が農業革命、第二の波が産業革命とし、第三の波が脱工業化社会を実現する情報革命だとして世界中で話題となったが、この出版よりはるか前に次代を看破していた梅棹氏の先見の明にはやはり脱帽せざるを得ない。 梅棹氏の考えに立脚するならば、コンピュータ、インターネット、スマートフォン、AIなどのテクノロジーは「情報の増幅器・変換器」と捉えることができ、その発達とそれに伴う各種サービスの普及こそ、あらゆるものを情報として扱ってきた結果としての「情報化社会」なのではないか。 情報化とはコンピュータ化やデジタル化ではないのだ。 このことはこれからの時代を生きていく上で重要な示唆を与えてくれる。 情報コミュニケーションが活発になれば、それだけ新しいアイデアや考えが創発され、新しいパラダイムや社会への転換が生まれやすくなるというメリットがあるだろう。 しかしその一方で、自分の好みの情報しか届かず、異なる考えに触れることが困難になっていると言われる近年のSNS上の問題に象徴されるように、思想や価値観の均質性が推進されてしまうという危険性も孕んでいることも事実である。 本書はインターネットが登場する前に著されたものの、情報というものの本質と、それとの向き合い方や付き合い方を再考させてくれる名著といえる。 第3次AIブームが過熱している今こそ、知の巨人の肩の上に乗せていただくことの重要性と有難みを痛感した一冊であった。

Posted by ブクログ

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